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Data
- 築城年: 1384年(南北朝時代)
- 廃城年: 1874年(明治7年)頃
- 城郭タイプ: 平山城
- 天守タイプ: 望楼型(7重?階)※1593年 層塔型(5重5階地下2階)※1611年
- 天守の縄張り:
- 築城主: 蘆名直盛
- 主な城主: 蘆名氏 伊達政宗(黒川城) 蒲生氏 上杉景勝 加藤氏 保科氏 松平容保
- 関係する武将:
- 主な遺構: 天守閣(復元)長屋門(復元) 石垣 土塁 堀
- 主な石垣のタイプ: なし
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
福島県に100名城は2つ。そのうち、幕末の戊辰戦争で西軍の猛攻に耐えた難攻不落の城で有名な、会津若松市にある会津若松城。会津に住んでいた身としては、鶴ヶ城の方が馴染み深い。
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鶴ヶ城は、室町時代の初めに葦名直盛が「東黒川館」として築城したのが始まり。その後、伊達政宗、蒲生氏郷、会津松平藩の藩祖保科正之、そして戊辰戦争時の松平容保と、戦国→豊臣徳川時代→明治維新と城主が変遷していく。その中でも、大河ドラマ「八重の桜」のおかげで、綾野剛くん演じる松平容保のイメージが自分の中では強い。
積み重ねていくと、点と点が線で結び付いていくことが攻城のおもしろさの一つである。蒲生氏郷は六角氏の支族で、幼少期に織田信長の人質となったことでその後の出世街道のレールに乗ることができたということを、観音寺城で知ることができた。また保科正之については、徳川秀忠の側室の息子で、甲府に移り、後々に鶴ヶ城に転封になったことを、甲府城で知ることができた。点が線になった時に攻城はおもしろいと改めて思う。
さて、会津若松城。今回は帰省中のため、車で城攻め。仙台南ICから東北道に入り、郡山ジャンクションで磐越道に、そして会津若松ICで降りる。そして千石通りに入り…と、このルート、昔は日常的に行き来していた。とても思い出深い。社会人1年目に会津若松で働いていた時には、月に1度は会津仙台間を往復していた。TOYOTAのスプリンターだった。車中ではいつもSPITZだったな。東京の求人に応募し、大学の先生にその自己推薦文の添削をしてもらうため、仕事後の真夜中に会津仙台間を往復したこともあった。去る時に涙した記憶も、この会津ICから高速に乗った直後の場所だ。
▼read more!会津の三泣きとはよく言ったもので、周りにも恵まれ、鍛えられ、とても充実した新鮮な1年間だった。なんてことを、このルートを通ると思い出す。何年ぶりかと数えたら15年。懐かしい、と思うと同時に、あれちょっと違うな、変わったなという光景が多い。そんなことを感じながら、神明通りを南下、鶴ヶ城に近づいていく。今日はGW真っただ中で尚且つ令和元年初日。混むことを予想して早く出たのは正解だった。駐車場は西の丸の方だった気がする。臨時でなのか廃校の校庭が駐車場になっていてそこに駐車。この時既に込み始めていた。歩いて天守閣の方へ。途中、武者走りや、大河ドラマ「八重の桜」の主人公綾瀬はるかが植樹した桜などを流し見しつつ、天守閣へ。天守閣入り口は行列ができていた。昨年が戊辰150年で各地が盛り上がったようにここもまだその余熱があるのだろう。それに加えて今日はGW。人は多い。改元記念に何やら、令和元年五月一日の登閣証明証を先着5000人に配布しているらしい。長蛇の行列を前に少し気を揉んだが幸運にももらうことができた。それを手にいざ天守閣の中へ。ここは小学校の修学旅行で、そして仕事で、と2回は既に訪れているはずなのだが、全く記憶が戻らない。天守から見る南走長屋がとてもよかった。眼前に伸びる走り長屋の赤瓦。鶴ヶ城は、戊辰戦争往時は赤瓦だったようで、2011年に赤に葺き替えられたそうだ。天守も走り長屋も赤瓦で、これは初めて見ることができた。ちなみに赤瓦の天守閣は日本で鶴ヶ城だけだということだ。鶴ヶ城は中が博物館になっていてじっくり見学するのもおもしろい城。鶴ヶ城の城主は時代ごとに城主が変わるため、その辺りのおさらいをすることができた。1階の土産物売り場だっただろうか、スタンプも押すことができた。天守閣から出る。その後、白虎隊の飯盛山、さざえ堂なども見て回った。飯盛山から白虎隊の気持ちで拝む鶴ヶ城はまた格別であった。
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impressions
鶴ヶ城ではラーメンはなし。鶴ヶ城と言えば、赤瓦。赤…と言えば、紅…ということで、2018年5月3日に訪れた浅草の名店「紅」(くれない)をアップ。
トマトラーメン紅太麺を食す。うまい!ニンニクやバジルなど深みのあるスープ。チャーシューではなく、炙った手羽先のような肉。うまい。こういう店が増えてほしい。
アップするにあたってラーメンデータベースを見たら、何とまさかの閉店情報。2019年8月末で閉店し、移転先は未定とのこと。ぜひ続けてほしい。