明石城

Basic information
name明石城
another name喜春城 錦江城
selected100名城 58
location兵庫県明石市明石公園

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Data




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Record

攻城日時

2022年10月17日

攻城手段

JR神戸線新快速

攻城記録

 兵庫県の100名城、明石城。1619年(元和5年)初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が、外様大名の多い西国の備えとして徳川幕府2代将軍秀忠から命じられ築城した。本丸跡に建つ坤櫓と巽櫓は日本に12しか現存していない貴重な三重櫓のうちの二つで、国の重要文化財。

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 初代明石藩主は、織田信長と徳川家康の二人を曽祖父に持つ小笠原忠政(後の忠真)。その後も、戸田松平家、大久保家、藤井松平家、本多家と続き、1682年(天和2年)に越前大野5万石の松平直明が入封し、以降10代にわたって明石藩を治め、1871年(明治4年)に廃藩置県を迎えた。
 もともと明石の地には高山右近も城主を務めた船上城があった。1600年(慶長5年)に起きた「関ケ原の戦い」後には姫路城主池田輝政の支城となり、大坂城包囲網の一角をになっていた。1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、江戸幕府は「一国一城令」を制定し船上城は破却される。そして池田氏に代わり本多氏が姫路に入ると、時を同じくして信濃松本から小笠原忠政(後の忠真)が明石に入封する。依然として福島正則をはじめとする豊臣恩顧の大名は健在であったため、彼ら西国大名から姫路城や尼崎城とともに京・大坂を防衛するために2代将軍徳川秀忠は新しい城を築くよう忠政に命じた。そうして西国街道と明石海峡という水陸両方の交通の要衝に築城されたのが明石城。以上公式HPより引用

【小笠原忠政(忠真)】
下総国古河城生まれ。大坂夏の陣で父と長兄を亡くし家督を相続。信濃松本8万石。後に播磨国明石藩10万石を経て、豊前小倉15万石に移封された(細川2代→小笠原10代)。大名茶人、糠漬けを好み城下のものにも奨励。

【小笠原伯爵亭】
新宿区にある小笠原伯爵邸は2002年にオープンしたレストランで、そのスパニッシュ様式の建築で有名。その名前は元々が小倉藩下屋敷であり、この建物が旧小倉藩主の小笠原長幹(ナガヨシ 10代忠忱の長男)の邸宅として1927年(昭和2年)に建てられたことに由来する。1869年(明治2年)小笠原家は華族に列し、1884年(明治17年)に伯爵となっている。
戦後はアメリカ軍に接収された後に東京都へ返還、以来都の所有。東京都選定歴史的建造物第66号。

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 さて、明石城。本日2城目、100名城としては80城目となる。播州赤穂を13時9分出発。山陽本線、そして姫路で神戸線新快速に乗り換え、14時5分明石着。駅のホームから坤櫓と巽櫓がきれいに見える。この二つは現存する12の三重櫓の二つ。ずっと見たかった。

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 さて、時間は余裕。北口に出てすぐに水堀があり、西の方に進むと入口がある。明石公園内に入ると坤櫓と巽櫓が視界の中に。近づくにつれその高さに圧倒される。あれ平山城だったかな。石垣も二重で高く、上田城を彷彿とさせる。左の坤櫓の方が若干大きいか。まずは坤櫓の下までいき写真を撮り、そして巽櫓の下まで歩き写真を撮り、そして坤櫓の方から石垣の2段目のエリアまで登る。期待していた現存櫓はもちろんだが、思いの外石垣が見事だ。小笠原忠政はできる男か。
 小笠原忠政。この明石藩初代藩主にはすこし思い入れがあるのだ。職場が彼が明石の後に移った小倉藩の下屋敷跡で、また彼の11代目の子孫の小笠原長幹伯爵の邸宅の横にある。現在はミシュラン一つ星のスパニッシュレストランとなっているが、長幹の邸宅をそのまま再利用している歴史的建造物。昨日そこにいて、今日彼の先祖が初代藩主として今も残る櫓を作った明石城にいる。勝手ながら個人的に感慨深い。昨日子孫の邸宅横でセブンコーヒーを飲み、今日先祖の興した地でおいしいコーヒーを飲む。今は二つの三重櫓を見ながらコーヒー休憩しつつつこれを書いている。個人の感慨深さなど伝わるものではないのだけど、勝手に感慨深い。
 さて話を戻すと、石垣の2段目エリアでまた坤と巽の間をいったりきたりして写真を撮り、そしてさらに上のエリアに登り、内側から三重櫓を見る。やはり櫓は外側から見られてなんぼ。内側から見るとしょぼいのだがまたそれが人間臭いというのか愛着が湧くような気がする。土日祝日なら櫓の中に入れるようなのだが生憎今日は月曜日。しかし外から間近で眺めるだけで十分。
 そして、そこから東の方に歩いてみる。確か二の丸とか東の丸の跡地なのだが、特に何もない。至る所に残る大きな石垣は見事だが。高石垣のためかなり高い位置にあるのだが、正面にJR明石駅が見え、左の方には瀬戸内海と、おそらく淡路島と本州を結ぶ大橋が見える。明石はかなり海に近い。さらに東は進むも博物館は今日は閉まっていたので引き返し、スタンプを押すべく入口付近のサービスセンターへ。無事押すことができた。節目の80城目。そして今コーヒー中。やんでいた雨がまた降ってきた。眼前に現存櫓を置いたコーヒーブレイクは思ったより贅沢な気分を味わうことができてよかった。そう思い出した、坤櫓の存在感の陰に隠れていたが、その後ろ(北)すぐに立派な天守台がある。天守が建てられなかった天守台として謎を残している模様。
 さて時刻は16時半。本日の攻城は終了。宿泊地の大阪に戻る。

 

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today's ramen1

『玉子焼こだま』 (明石駅) 明石焼 700円



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 大阪に戻る、つもりだったが、駅ビルをうろうろするにつれに明石焼が食べたくなり「玉子焼こだま」に入る。明石焼700円を注文。間食にはちょっと量が多いが、しかし仕事の方との夕食予定は20時半頃、いけるはず。 メニュー表によると「玉子焼とは他地域では明石焼と呼ばれている。江戸時代末期の天保年間よりここ明石では人工サンゴ明石玉の製造が盛んに。その製造に玉子の白身を用いていたのだが、ある商人が黄身の利用を考え、名産明石ダコを入れて焼き上げ庶民に舌鼓を打たせたのが玉子焼の起こり。玉子焼は「なべ」で焼き上げだしにつけて食べるのが特徴。当店では明石ダコと本ガツオ、羅臼昆布のだしで食べる。」ありがちな質問だろうがでは明石市民は玉子焼をなんとよぶのだろか。
 明石焼を食べ満腹、体も温まり満足。17時20分神戸線新快速に乗り大阪へ。18時着。





today's ramen2

『美々卯』 (新大阪駅) うどんすき



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 こちらもラーメンではなく兵庫でもないのだが、新大阪駅でごちそうになりおいしかったのでアップ。うどんすきはここの登録商標のようで、食べるのは初めて。本来は生きたエビをそのまま入れるのだそうな。それが暴れて大変なことになるのだそうな。おいしかったが、生きたエビとか暴れるとかとても苦手な分野のため、次回もエビは入れないだろう。



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