Photo
Data
- 築城年: 平安時代末期から鎌倉時代初期
- 廃城年:
- 城郭タイプ: 平城(方形居館)
- 天守タイプ: なし
- 築城主: 足利義兼
- 主な城主: 源氏 足利氏
- 関係する武将: 源氏 足利氏
- 主な遺構: 堀 土塁 方形居館
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
栃木県の100名城、足利氏館。足利尊氏の先祖にあたる足利義兼が12世期末に築いた。土塁と水堀に囲まれた「方形居館」という鎌倉時代前後の武士の館としては最大級。その後、館内に氏寺として鑁阿寺(ばんなじ)を造営。鑁阿寺は真言宗大日派の本山。館の南には日本最古の学校、足利学校がある。
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氏寺として造営された鑁阿寺。「鑁阿(ばんな)」とは、足利義兼の僧名「法華坊鑁阿(ほっけぼうばんな)」から来ているのだろうか、それとも鑁阿寺が先にあって僧名の由来となっているのだろうか。足利義兼は、源頼朝と従弟。そして妻は、北条時政の娘政子の、その妹時子。源頼朝とは義兄弟でもあり、鎌倉幕府の創建に多いに力を尽くす。晩年に出家し、高野山に入る。そして帰ってくると、この足利氏館内に、本堂や鐘楼などを建立し、源家相伝の大日如来を安置した。また、一門子弟の育英のため、足利学校を興した。
足利義兼は、7世代前くらいの足利尊氏の先祖。足利尊氏が京都室町に幕府を興して以降も、室町幕府と鑁阿寺は密接な関係にあったと言う。
さて、通算63城目、足利氏館。本日3攻城中、2城目。10時58分寄居発、秩父鉄道に乗り11時32分熊谷着。熊谷からバスに乗り太田に12時35分着。Suicaで入場してしまったが、秩父鉄道はSuica不可。JRで精算してくれと、熊谷でペーパーの証明書をもらう。しかしそのためバスにSuicaで乗れず不便なことに。秩父鉄道は交通系ICカード不可であること覚えておこう。さて、当初は先に金山城の予定だったが、スタンプ時間の関係で先に足利氏館に。既に攻城済みの友人は太田で待つ。 12時41分太田発、東武伊勢崎線で足利市駅に12時53分着。群馬県の太田から栃木県の足利市までは電車でたったの10分だ。東武伊勢崎線足利市駅から足利氏館跡まで、徒歩15分弱。
▼read more!足利市駅降りて、北上。渡良瀬川を渡る。このポツポツ雨の中、ビクを腰に下げた釣り人が一人、眼下で釣り糸を垂らしている。渡良瀬川を渡りさらに北上。13時10分鑁阿寺到着。近づくと小さな水堀が見え、方形居館の足利氏館跡がある。正門と西門の両方が見え、どっちから入ろうか悩んだ末に西門から入る。西門をくぐり、東に向かって進む。鑁阿寺本堂や天然記念物の巨大な大銀杏、多宝塔など流し見る。方形居館の中はそれほど広大ではない。1196年建立の鐘楼も見学。鎌倉幕府初期の頃のものでかなり古い。友を待たせており時間があまりない。鑁阿寺本堂でスタンプを押し、200円のパンフを購入。城は載ってないよ?とおばちゃんが言ってた通りに寺情報だけであった。その後方形居館内を一頻り見て、駅へ急いで戻る。足利学校は今回はパス。再訪の折にまた。足利氏駅に着き、太田に戻る。足利市駅のホームでは森高千里の渡良瀬川の発着メロディが哀愁たっぷりに見送ってくれた。
▲close!today's ramen
impressions
足利氏館は本日3攻城中の2城目。足利市から太田に戻り、金山城を攻城し、歩き疲れた足でようやく辿り着いたラーメン屋がここだ。
新型コロナ感染防止対策のため、ご多分にもれずここでも入口に消毒液が設置されている。消毒をして入店。そこそこ広めの店内には他に客が2組くらい。
ここ爆じゅう餃子餃点は、食べログベストラーメン2013の店。味噌ラーメンと爆じゅう餃子を食す。
うん、うまい。麺はもちもちの中太麺、スープは多少苦味のある味噌だ。メンマは極太で味は普通。チャーシューよし、味玉よし、普通においしかった。餃子は肉汁をつけずに食べよと説明にあり、その通りに食す。これがうまい。肉汁が溢れ味がしっかりついている。醤油など確かに要らない、とってもうまかった。