福井城

Basic information
name福井城
another name北庄城 福居城
selected続100名城 137
location福井県福井市大手

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Photo

天守台 山里口御門 笏谷石の石瓦

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Data




Map




Record

攻城日時

2020年9月11日

攻城手段

JR北陸本線

攻城記録

 福井県の続100名城、福井城。越前北ノ庄藩初代藩主、松平秀康(結城秀康)よって造られた、白い石瓦の城。関ヶ原の戦いの功で、秀康は家康から越前70万石を与えられ、現在の福井の中心部に築城した。
 場所は少しだけ異なるが、柴田勝家の北ノ庄城が前身。北ノ庄城は1575年(天正3年)に信長から越前北ノ庄を与えられ築城、1583年(天正11年)に焼失。

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 石の瓦と一乗谷の関係
 緑がかった白い石、「笏谷石」(しゃくだにいし)。笏谷石は柔らかくて加工のしやすい高級石。一乗谷の井戸にもあった。笏谷石は一乗谷の遺産、高度な職人の遺産。福井の西に笏谷石を切り出した石切場がある。足羽山(あすわ)は山自体が笏谷石。採掘が本格化したのが一乗谷の時代から。江戸時代で売買が盛んになり、莫大な利益を越前にもたらした。一乗谷が消え去っても、笏谷石と水運が福井を豊かにしたということ。月山冨田城などもそうだが、やはり水運で経済が活性化する。ちなみに、福井には一乗町という地名が現在でもあり、ここはかつて一乗谷に暮らしていた町人商人が移り住んだ町。一乗町の国島家に朝倉氏の娘が嫁いできた、という話もあり。※以上ブラタモリから引用
 結城秀康について。
 結城秀康は徳川家康の次男として生まれた。母親は家康の正室築山殿(つきやまどの)に仕えていたお万(永平寺に墓所がある)という身分の低い女中であった。長男であるお兄ちゃんの信康は切腹、正室築山殿は暗殺されるという一大事件が起きたが、次男である秀康は後継者になれなかった。小牧長久手の戦いで秀吉と和議を結んだ家康は、秀康を秀吉に養子(人質)に出し、異母児の長丸(秀忠)を後継者に据えた。秀康は大阪で秀吉から我が子のようにかわいがられ、養父の「秀」と実父の「康」を与えられ羽柴秀康となった。しかし、秀吉に鶴松が生まれ秀吉の元でも後継者になれない秀康は、北関東の大名結城氏の養子となり、結城秀康となる。秀吉は亡くなり、時は流れ、関ヶ原。秀康は上杉景勝を抑える役目を家康から与えられそれを全う。その功として越前70万石を与えられ、大大名に立身した。そして姓を松平に戻し、松平秀康となった。しかし数年後病で34歳の若さで亡くなった。

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 さて、福井城。さて福井城。16時30分丸岡城からバスで出発。スタンプは県庁にある。平日は17時15分まで県庁内で、それ以外の時間と土日祝日は守衛室にあるらしい。まだ明るいから福井城の見学自体は十分にできるが、スタンプが心配。バスで福井駅前に着き、まずそのあまりの恐竜推しに驚く。ブラタモリでもやっていたが、動く恐竜のオブジェ、福井駅という横の文字をかすませるように煌々とライトアップされたキングオブダイナソーという文字。福井は恐竜王国。

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 さて、県庁方面へ。駅からは歩いて5分、すぐである。ほどなく水堀と石垣が見えてきた。中身は県庁だが、その外側はなかなか立派な石垣と水堀。布積みの打ち込み剥ぎ以上切込剥以下だろうか。橋を渡り櫓門の石垣だろうか、大きな石垣を間近で眺める。福井地震での損傷が生々しく残り、隙間がかなり空いている石垣、歪んでいる石垣も目立つ。まずはスタンプを、と、県庁の中へ。時刻は17時半を過ぎており、県庁からは退勤する公務員がぱらぱら出てくる。その流れに逆らい入庁、入って左のカウンターで無事スタンプを押すことができた。パンフ的な地図をもらい、県庁奥の天守台へ。天守台もかなり痛んで歪んでいる。1948年の福井地震の影響なのだろうが、ここまでのすきっ歯石垣は珍しい。天守台に登る前に、先に左に見えている山里口御門へ。ブラタモリでも紹介されていたが、平成20年に復元された櫓門のここの石瓦は新しくきれいな笏谷石を使用している。櫓門に登り二階から中に入る。外と同様中もとてもきれいで新しい。櫓門の復元映像を見て、窓から見える眼下の御廊下橋を見下ろす。そして、戻って天守台に登る。天守台の至る所に空いた隙間からスズムシの鳴き声が聴こえてくる。天守台から、秋の虫の音色を聴きながら山里口御門と御廊下橋を見下ろす。きれいに復元したものだと感心。雨も上がりきれいなオレンジ色の夕暮れ時に、石瓦の門と橋と水堀がよく映えている。奥には広々としたおしゃれな公園が、その奥にはビルが。福井は意外に都会だった。路面電車が走っていたり、駅前なのに横断歩道に信号がついてなかったりと、あれこれ珍しい光景にキョロキョロしたが基本おしゃれな都会。人はかなり少ないけれども。
 さて、福井城を一頻り見学したので、越前大野に向かう前に最後にもう一つ、友の提案で北ノ庄城跡に行ってみることに。福井城から歩くとほどなく北ノ庄城址公園?なる遺構がある。公園といっても小規模なものだが、柴田勝家神社や勝家像、お市や茶々初江三姉妹像、そして出土した北ノ庄城の石垣など小さいながらも見所はそこそこある。18時までだったため今回は入ることができなかったが、遺構の横に北ノ庄城資料館もある。ここは勝家とお市が自刃した場所。本来もっと観光客に推してもよいはずのところ。なかなかおもしろかった。
 さて時刻は18時半、本日の3攻城(+北ノ庄城址)をつつがなく終了。甘いものが無性に食べたく駅のセブンでソフトアイスを買いパクつく。19時3分福井駅出発、JR九頭龍線で越前大野へ。20時着。疲れた。

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