Photo
2019年
2023年
Data
- 築城年: 1622年
- 廃城年: 1874年
- 城郭タイプ: 平山城(輪郭式)
- 天守タイプ: 層塔型(5重6階)
- 天守の縄張り: 複合式
- 築城主: 水野勝成
- 主な城主: 水野氏 松平氏 阿部氏
- 関係する武将:
- 主な遺構: 天守(復元)伏見櫓 筋鉄御門 鐘楼 石垣
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
2023年2月17日
攻城手段
のぞみ
攻城記録
広島県の100名城の一つ、福山城。幕府の西国監視の最前線を担った城。伏見城からの移築と伝わる三重橋と櫓門が現存する。たしか、日本で一番駅近なお城、それが福山城。それもそのはず。内堀がそのまま新幹線の線路として使われているとのことだ。
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福山の地に徳川家康の母方縁者であった水野勝成が1619年(元和5年)入封し、海陸路の要衝地である芦田川のデル夕地帯に築いたのが福山城である。城は徳川幕府の西国経営の拠点としての重要な位置づけを与えられた。京都の伏見城や近くの神辺城(かんのべ)の建物が移築されたといわれ、伏見城から移築されたとされる「伏見櫓」が現存している。天守
は五重六階地下ー階の層塔型で、北面の外壁が防御のため鉄板で覆われていたという唯一の例であった。明治維新後も天守をはじめ多くの建物が残ったが、そのほとんどが1945年(昭和20年)の空襲で焼失。1966年(昭和41年)天守や月見櫓などが鉄筋コンクリートで再建された。※以上100本やパンフより引用。
※伏見櫓
矩形の二階櫓の上に望楼の載せた三重三階の古式な櫓。伏見城松の丸東櫓を移築したものと伝えられている。
※筋鉄御門
伏見櫓とともに伏見城から移築したとされる筋鉄御門。入母屋造の渡櫓門。
さて、福山城。不意な振動に腰がピリッときて目が覚めた。くの字に折れて寝てたのもあるが、どうも新幹線の席というのは長時間座ると疲れてくる。はっと起きてはまだ名古屋か、えまだ京都なの、新神戸、、よし岡山もうちょっと。福山は遠い。6時の始発で出たのだ。到着予定は9時25分。3時間半移動するが次の予定もあるので1時間ほどしか滞在しない。福山城に訪れたのは2019年。まだ100名城スタンプを集めていなかった頃だ。そのスタンプを回収しにいく。伏見櫓もじっくりと拝みたい。前回見た記憶があまり残ってない、一緒に移築されたという筋徹御門にも注目。
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新幹線は福山城の内堀に入城。ホームからはすぐ目の前の福山城が見える。福山城口から出て、出てほんとすぐなのだが、目の前に迫り上がった石垣が現れる。さすが日本一駅に近い城、福山城。
さて、仙台城の高石垣ほどの高さの石垣をガイドラインにそこからまず伏見櫓や筋鉄御門へ。歩いてすぐに伏見櫓が現れる。こんなに大きかったかと思うほど、現存三重櫓の伏見櫓は大きい。余裕で天守を張れるほどのサイズ。伏見櫓からは伏見城の「松の丸東やくら」という刻字のある梁が見つかり、元々は伏見城にあったよという証拠となるようで、伏見城関係で唯一の現存となるそうな。伏見城の1,2階の白壁は面白くて、柱が漆の外に出ている。これを真壁造というらしい。筋鉄御門や鐘櫓は柱などが漆喰に埋まって見えない大壁造であるので、同じ伏見城からの移築でも伏見櫓は古式な意匠を施されていたのだろうか。伏見櫓のエリアは向かって右に筋鉄御門、奥に鐘櫓と、現存の重要文化財が3つ固まっている。用途も機能も向きも異なるこの3つが一つの視野に収まるアングルがとてもよかった。福山城の評価がアップ。
そして本丸に出ると朝日を浴びた福山城がお出迎えしてくれている。ここは正式には博物館、そしてスタンプも外に設置されているため今回は中には入らず外から写真を撮る。復元建造物とはいえ、かっこよい。その後は、御湯殿や他の櫓跡なども見学して、10時15分余裕を持って駅に戻る。10時29分、さくらに乗り次の広島へ。
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