Photo
Data
- 築城年: 1476年(文明8年)
- 廃城年: 1590年(天正18年)
- 城郭タイプ: 平山城(連郭式)
- 天守タイプ: なし
- 築城主: 長尾景春 北条氏邦
- 主な城主: 長尾氏(長尾景春) 上杉氏 後北条氏(北条氏邦)
- 関係する武将: 北条氏邦 豊臣秀吉 上杉景勝 前田利家(北条征伐)
- 主な遺構: 土塁 堀 馬出 土橋 石垣の一部 笹曲輪 二の曲輪 三の曲輪
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
埼玉県の100名城、鉢形城。鉢形城は、1476年(文明8年)、関東管領の山内上杉氏の家臣、長尾景春が築城。後に、この地域の豪族藤田康邦に入婿(にゅうせい)した、北条氏邦(氏康4男)が整備拡充し現在の大きさとなる。
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鉢形城は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれ、関東地方有数の規模を誇る。後北条氏の北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担った。
小田原城を本拠地とする北条氏康は、直接支配した相模を除き領内を大きく三分し、拠点的な支城である八王寺城、鉢形城、韮山城はそれぞれ氏照、氏邦、氏規の3人の息子を配し軍政を分担させた。
※北条5代: @早雲 A氏綱 B氏康 C氏政 D氏直
※3代北条氏康の息子たちの城: 某、氏政(小田原城)、氏照(八王子城)、氏邦(鉢形城)、氏規(韮山城)、氏忠(佐野城)、氏光(小机城)
※武田信玄との戦い: 1569年永禄12年、信玄は信濃の佐久から関東に進行し、鉢形城を囲むも、籠城ししのぐ。そこで武田軍は小田原城へ転戦したがやはり破ることができずに陣をを引き上げた。
※北条征伐: 1590年(天正18年)秀吉の小田原攻めの際には、氏邦は3000人の兵とともに籠城。信濃から笛吹峠を越えて上野(こうずけ)に侵入してきた前田利家、上杉景勝ら北国勢3万5千人に包囲される。1ヶ月間立て篭もった末に、降参、開城、そして廃城に。鉢形城を開城した氏邦は前田家のお預かりとなり能登で千俵の扶持が与えられ、そこで亡くなった。
鉢形城開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一、日下部定好が代官となり、この地を統治した。
さて、鉢形城。62城目となる。池袋7時00分発、東武東上線で8時30分寄居駅着。寄居駅から南へ2.1キロ、徒歩で25分。途中の荒川手前のセブンで遅れた友人を待つ。本日は生憎の雨。線状降水帯の影響か、梅雨が長くまだ明けない。本来ならオリンピックの開会式4連休だったところが、新型コロナで何もない4連休に。城攻めは3月上旬の九州攻城、唐津城以来で実に4ヶ月ぶり。
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荒川はこの梅雨の長雨で水嵩が増し荒れている。北条征伐の際には荒川を挟んで真田軍と対峙したそうだ。そして、左右に景勝と前田利家。季節も同じ頃だったような。梅雨で激流の荒川、滑りやすい土塁、、長いブランクで鈍っていたイマジネーション力を徐々に取り戻してきた感がある。さて、その荒川を渡り、すぐ右手に折れると鉢形城の笹曲輪がある。ここは搦手に位置する。笹曲輪から、伝御殿曲輪、二の曲輪、三の曲輪と進む。土塁など整備はされているが、復元物はあまりない。見るからに食べられなさそうなキノコがそこかしらに生え、セミの声、木の匂いと、首都圏でも自然を大いに満喫。雨もかなり小降りになってきた。そして、鉢形城歴史館に到着。消毒をして中に入る。入口でスタンプ押印。マンホールカードなるものもゲット。歴史館内は写真はNG。入口が二階のため、入場してすぐに左に下り階段がある。歴史館はそう大きくはないが、階段を降りてすぐの復元櫓門が目を引く。この櫓門は屋根がなく、鬼ノ城の古代城柵が頭をよぎる。よく見ると似てはいないのだが。頭上の櫓からは弓兵人形がこちらに狙いを定めていて緊張感を演出してくれる。天正年間の後北条氏の城は秀吉の来襲に備えて改修を進めており、実践的な櫓門が数多く作られた可能性が高く、鉢形城にも同様のものが備えられていたそうだ。櫓門の後は、パネルやビデオで氏邦のことなどを勉強。ビデオは小さな画面ではあったが、バーチャル鉢形城も見るのことができた。天守もなく石垣もないため、バーチャルで見せてくれてもそう今と変わらないように思う。後北条氏の城は、障子堀、畝堀、角馬出(かくうまだし=四角い馬出し)が特徴である。 畝堀は二の曲輪三の曲輪の間に一つだけ残っているらしいが、今回は電車時間もあり断念。本日は3攻城予定。次の城、足利氏館へ出発。
後日、パンフを確認。復元四脚門、復元四阿(あずまや)など、復元物を見逃していたかも。再訪の折にまた。
today's ramen
impressions
攻城の一週間前に友と鉢形城の攻城計画を立てた。その日のラーメン。三鷹駅の南、大通り沿いの地下にある。時刻は13時半。地下に降りる階段には既に列をなす客が6,7人いた。列が進み地下に着くと店の入口がある。地下フロアと店の境があいまいで、このコロナの状況下でこの開放感がよい。店員に店外で注文を取られる。ほどなく順番が回り呼ばれる。消毒をしてセルフで水を持ち店内へ。7人分くらいか、カウンター席のみ。着席するとすぐにラーメンが出てきた。
すごくうまい。空腹もあったがそれがなくても間違いなくうまいラーメンだった。一口で満足できるクオリティのラーメンだと既にわかる、煮干しベースの旨味のある塩スープ。麺はやや硬めなストレートの中細麺。チャーシューは、炙り跡の美味しそうな鳥とややレアな大きな豚ロースか。小さくみじん切りされた紫玉ねぎがアクセントになっててとてもよい。紫玉ねぎとそしてこれは三つ葉か、色合いも食欲をそそった。大満足。また足を運びたい。
その後、ふらっと歩いていたら、「太宰治文学サロン」という建物を発見。昼から飲めて外席もありIQOSもいける「三鷹三日月食堂」を発見。新発見もあるし、歩くのは楽しい。