萩城

Basic information
name萩城
another name指月城
selected100名城 75
location山口県萩市堀内(大字)

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Data




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Record

攻城日時

2022年12月17日

攻城手段

バス

攻城記録

 山口県の100名城、萩城。本拠を吉田郡山城から広島城に移した毛利輝元だが、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、中国地方8カ国120万石から、周防と長門の2カ国36万石に削封。広島城を明け渡し、新たに萩に築城したのが萩城。1604年(慶長9年)から1608年(慶長13年)にかけて築かれた。

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 実は元々希望していたのは山口の鴻ノ峰。他に合わせて三田尻(防府)の桑山と萩の指月山の3つの候補を幕府に提出したところ、最も不便な萩が選ばれたらしい。指月山は日本海に突き出した標高143mの小山。その山頂に詰丸が築かれ、山麓に本丸や二の丸三の丸を配している。メインは山麓の5重5階の萩城だが、詰丸にも6基の櫓が建てられ、いざという時は詰丸に逃げ込む手筈だったということだ。 幕末の1863年(文久3年)に藩庁が山口に移されて以来萩城の重要性は薄まる。維新後に天守や櫓は解体された。※以上100本等より引用

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 さて、萩城。大内氏館の後に前日に萩入り。翌日の萩城の前に、他の見どころを駆け足で回る。そして翌日に萩城、という流れだった。

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 【前日】12時8分山口自衛隊前バス亭からJR中国バス東萩行きに乗る。1800円、Suica可。13時30分東萩駅に着。日本海だからなのか暖かかった山口とは一転して寒い。駅前の貸し自転車屋で24時間1200円でレンタル。まず道の駅萩しーまーと内の浜料理がんがんで、がんがんスペシャル定食1690円+うに300円を注文。刺身と味噌汁がうまかった。そして世界遺産萩反射炉へ。ここは反射炉の煙突部分だけが残っている。友人曰く伊豆韮山の反射炉はもっと大きくて立派だと。韮山も一度見ておきたい。そして続いて恵美寿ヶ鼻造船所跡へ。松崎剛蔵が艦長で高杉晋作も乗せてもらったあの丙辰丸を作った場所でもある。ここは特別に整備されている風でもなく、ロープが張られ申し訳程度の看板がちらほらあるくらいなのだが、対岸の山の隙間から差し込む夕日が波止場やテトラポットを照らす様はきれいだった。続いて自転車をとばした先は野山獄と岩倉獄。ここは住宅街の中に紛れつつ道を挟んで両側に今も残っている。節目節目で留置されていた松蔭に思いを馳せ、岩倉獄で亡くなった金子重之輔を悼む。また自転車を走らせ、続いては明倫学舎へ。先に敷地内の有備館に入る。ガイドのおじいさんがいろいろの教えてくれる。晋作らが剣術の修業をしたことや坂本龍馬がここにきて泊まった話、どこでどう飛んだのか相撲取りが稽古で使う時は畳を敷く話など高齢のガイドさんは教えてくれた。自分もこんな仕事をするシルバー人材になりたい気持ちも無くはない。時間は16時過ぎ、一方明倫学舎は16時40分までに入らなければならないので少し急ぐ。遺構の観徳門をみて、明倫学舎へ。ここは13代毛利敬親が移設した新明倫館跡なのだろうか、資料や展示品、映像が豊富で、おもしろい。久坂玄瑞のパネルや明治の工業化政策を牽引した長州ファイブ、松下村塾などわかりやすく展示している。蛍の光が流れ17時出る。遺構の南門をみて、水練池をみて、明倫学舎を後にする。その後山縣有朋生誕地、山縣有朋像を拝む。暗くなったがさらに移動。久坂玄瑞の誕生地へいく。そこで本日は終了。宿の美萩へ。
 【翌日】9時30分宿美萩を出る。昨日から痛むぎっくり腰気味の腰痛はもはや気味ではなく、朝食の椅子も合わずに座布団をお願いするくらいに悪化。外は小雨が降る中で移動手段は貸し自転車。悪条件は積み重なり多少憂鬱。片手に傘をさし、腹に力を入れて腰を保ち、自転車で出発。寄り道は菊乃浜で日本海と指月山を拝んだくらいで、ほどなく指月公園に到着。白茶色の大ぶりの石垣と水堀が出迎えてくれた。入口でスタンプを押す。雨が強くなり本が濡れる。自転車を置き、まずは歩いて旧厚狭毛利(あさもうり)家萩屋敷長屋へ。ここは重要文化財。厚狭毛利は、毛利元就の5男元秋の血筋のようだ。長屋を出て萩城へ。
 大ぶりな石垣の枡形虎口を抜け、厳めしい表情で座る毛利輝元像の前を通り、本丸へ。内堀と奥の天守台、背後に詰城のある指月山。よい景色だ。減封されて36万石かそこらなのだが、城は決して広大ではないが縄張りの構成と一つ一つの造りがしっかりしているように見える。天守台を角度を変えて写真に収める。目の細かい打ち込み剥ぎの天守台には往時は5重5階の天守閣が建っていた。豊臣五大老の毛利輝元や、松蔭や高杉晋作の頃の毛利敬親もここにいた。長井雅楽も周防政之助らもここで仕事をしていた。司馬遼太郎の世に棲む日々を読んでいる最中のため、当時の人物たちが目の前の光景と重なり、その生活や仕事の輪郭がはっきりしてくる。
 さて、内郭へ。会津若松城と同じくらい立派な武者走りもある。石垣の上に乗り高所から天守台へ近づく。間近で見ると天守台の反りがより見事。天守台に上がる。天守台からは城内の四方を眺めることができるが、縄張りの丁寧さというのか、しっかりした構成に改めて感心。さすがは大毛利。江戸幕府への敵意を感じさせないように従順さをアピールすることと、しっかりした城をここ萩に造ることの両立はきっとバランス感覚が求められ難しい調整だったのだと思う。輝元偉大。
 さて、天守台を降り、他の遺構も回ることに。まずは万歳橋(ばんせいばし)。これは明倫館の遺構の石橋が移築されたもの。ここを松蔭や久坂玄瑞、高杉晋作らも歩いたのかと想像しながら欄干に触れてみる。そしてその奥にある志都岐山神社を見て、次へ。カルガモ親子が行列を成して横断している。近づき一斉に飛び立ったその親子らが着水した池が東園だったか、回遊式庭園を眺める。花江茶亭という茶室も見学し、ここで攻城は終了。腰も痛く、雨も一時強まりどうなることかと危ぶんだが、結果しっかり見ることができて満足。

 その後はまた貸し自転車で移動。 天樹院(毛利輝元墓所)、堀内鍵曲(ほりうちかぎまわり ※ 左右を高い土塀で囲み道を鍵の手つまり直角に曲げた独特な道筋)、旧明倫館跡、北の総門、田中義一像、高杉晋作像、同誕生地、菊谷家住宅(外観のみ写真に収める)、木戸孝允邸宅などを午前一杯回る。 そして昼を食べず3人目の友と合流。 午後は、 松陰神社、松下村塾、至誠館、伊藤博文、松蔭晋作、玉木文之進、久坂玄瑞、墓地、東光寺(毛利家奇数菩提寺) そして宿宿の萩本陣へ。

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today's ramen

『浜料理 がんがん』 (道の駅 萩しーまーと) がんがんスペシャル 1690円 +うに300円



impressions

  萩に到着し貸自転車を借り、まずは道の駅萩しーまーとへ。しーまーと内の浜料理がんがんで、がんがんスペシャル定食1690円+うに300円を注文。刺身と味噌汁がうまかった。いかが特筆のうまさ。甘くて、身切りがよくぷつんとかみ切ることができる。ごちそうさまでした。



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