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2015年
2019年
2022年
Data
- 築城年: 1622年(元和8年)
- 廃城年: 1874年(明治7年)
- 城郭タイプ: 平山城(連郭式)
- 天守タイプ: 望楼型(3重3階地下1階)※1604年築
- 天守の縄張り: 複合式
- 築城主: 井伊直継
- 主な城主: 井伊氏
- 関係する武将:
- 主な遺構: 天守 天秤櫓 門 馬屋(現存) 石垣 堀 土塁
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
2019年11月17日
2022年8月14日
攻城手段
攻城記録
国宝、彦根城。徳川幕府に多くの大老を輩出した譜代大名井伊氏14代の居城。天守と附櫓、多聞櫓が国宝指定。
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徳川四天王の一人、井伊直政が関ヶ原の戦いの軍功により近江国をもらい、石田三成の居城佐和山城に入城。しかし三成の居城であることを嫌った直政は、琵琶湖岸に近い場所に居城を移すことを計画する。だが直政は関ヶ原の傷が癒えず1602年に死去。その子井伊直継は幼少であったが、家臣が家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年に琵琶湖に面した彦根山に築城を開始。尾張藩や越前藩等7か国12大名が手伝いを命ぜられる天下普請であった。1606年に第二期までの工事が終了し、天守も完成し井伊直継が入城。1616年に彦根藩のみで第三期工事を開始。1622年にすべての工事が終了し、彦根城完成。井伊14代の居城として続く。明治になり廃城令で各地の城が破壊・売却される中、彦根城の天守閣も明治元年に700円で売却され解体される寸前であったが、明治11年に巡幸の明治天皇が彦根を通過した際に城の保存を命じたという。それにより彦根城は破壊を免れた。明治天皇に彦根城保存を進言したのは巡幸に帯同していた大隈重信という説もある。(以上、パンフ等から引用)
※牛蒡積(ごぼうづみ)
野面積の中でも、奥行きのある胴長石を用いる。各石の胴の長さは面の長辺の3倍程度。その中に適当な力石がはめ込まれている。彦根城や小諸城で見ることができる。
※彦根城は大津城などの移築転用
彦根城は大津城(浅野長政、京極高次)の材木や瓦など再利用。そしてそもそもが、大津城とは坂本城(明智光秀)の遺材を転用している。
慶長5年(1600)関ヶ原の前哨戦ともいうべき、大津城籠城戦で京極高次が3千の兵で大津城を守り、これに毛利元康軍1万5千が囲み、長等山(大津市歴史博物館の背後の山)に大砲を据え
城内に打ち込み激しい戦闘が行われた。最後に京極高次が本丸に立て籠もったが西軍と和睦、大津城は陥落した。この籠城戦で西軍1万5千を釘付けとしたことで、東軍は関ヶ原で勝利したと言われている。
京極高次はこの功績により若狭一国を与えられ、若狭小浜8万5千石の大名となった。
関ヶ原の戦いで焼け野原となった城下町は地子免除として再び町民を呼び戻したが、大破した大津城はその後、遺材が膳所城や彦根城の築城に利用され、城の役目を終え、大津は幕府直轄領となり
代官所が置かれた。彦根城の天守は、ここ大津城の五層四重の天守を三重三階に縮小したかたちの移築であることが、昭和32年(1957)の解体修理で明らかになっている。
彦根城は他にも佐和山城、小谷城の材木や瓦なども転用。
※鉢巻石垣、腰巻石垣
さて、彦根城。まず天秤櫓が有名。また豪華絢爛な天守閣でも有名。窓は全て花頭窓、最上階には外回縁と高欄。千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風など、各種の破風を詰め込み散りばめている。現存例の少ない築城技法「登り石垣」が良好に残っている。天秤櫓の向かって右が牛蒡積み(野面積みの一種)、左が落とし積み(谷積み)になっている。恒例の忘年会のついでに立ち寄り攻城。この頃は攻城、というより観光。今ならもっと目を皿のようにして見るのだが…勿体なかった。早く再訪したい城。
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2019年11月再訪。安土出発、13時45分彦根着。駅から徒歩10分ほどで外堀に到着。彦根城は城郭の平面が広く、そこから更に歩く。敵の足を取る有名な不均一な大手道。一段に1.5歩くらい必要なのか、歩きづらい。日本に一つしかない形態の天秤櫓。言わずもがなのガンプラのように格好良い現存天守。本日は日曜日ということもあり、かなり混雑。入口までも大行列。入ってからもほぼ列が動くのを待つ状態が続く。彦根城は天守閣の中では中が狭く、現存天守特有の階段の狭さときつい傾斜も相まって、混雑が増すのだろう。2、3人しか人を見かけることがなかった観音寺城とはかなりのギャップ。あまりに突っ立っている時間が長かったので、天井の梁や柱などをじっくり眺めることができた。かなり並んで天守3階へ。四方が見渡せるとてもよい眺め。一部窓が開放されており、琵琶湖からの風も吹き入り気持ち良い。天守天井によく見かける神様を祀るものは彦根城にはなかった。天守閣を出て外観を見て回る。モノトーン基調、様々な破風で装飾されたその様はつくづく格好良いと思う。その後、同じく現存の、西の丸三重櫓へ行く。左右に付き櫓?多聞櫓?がついている。外はシンプルな外観。三重櫓からは、琵琶湖と大手道ときれいな紅葉を見ることができる。帰りの電車の時間が迫り、急いで彦根駅へ立つ。急ぐと余計に不規則な大手道の歩きにくさを感じた。往時の井伊家側の人々も捻挫が絶えなかったのではなかろうか。16時19分彦根を出発。
※余談。彦根駅から名古屋駅の移動について。名古屋でSuicaエラー。自動改札通れず。駅員に聞くと、JRの管轄が異なり、Suicaではまたげないとのこと。彦根と米原間(琵琶湖線)はJR西日本。米原と名古屋間(東海道本線)はJR東海。Suicaではまたげず降車駅でエラーになる。勉強になった。
2022年8月再訪。彦根城は3年ぶりか。近江八幡から14時20分頃に到着。まずはごはんを、と、駅前にある近江ちゃんぽんの店「をかべ」に入る。 彦根に来ると食べるものにいつも迷う。ご当地グルメだと近江牛。しかしそれだとちょっと重たくて、他にないかなと探すと残るは近江ちゃんぽん、立地的に「をかべ」となる。 「をかべ」は何やかやで毎回入っている気がする。キャベツなど野菜がたくさん入っている優しいスープのちゃんぽん。おいしい。をかべを15時に出て彦根城へ向かう。 外堀までは駅から10分程度。天守までは30分みておけばよいか。大手門に到着。娘のスタンプを押し、天秤櫓、天守閣と見て回る。西の丸三重櫓にも足を延ばす。 西の丸三重櫓は中が公開されていて、初めて中に入ることができた。櫓の中は三階まで階段を登ることができる。 三階からの眺めは、櫓の瓦と琵琶湖と、きれいな眺めだった。帰り間際に、本で読んだ登り石垣も見ることができた。 16時半過ぎ駅に戻り始め、プリンパフェなるものを食べ、そして駅に到着。 17時20分の電車で米原へ。翌日は犬山城に行くため、米原から岐阜経由で犬山へ向かう。犬山に19時15分到着。駅前のホテルミュースタイルに泊まる。併設のレストランがおいしかった。
▲close!today's ramen
impressions
近江ちゃんぽん発祥の店で、近江ちゃんぽん710円を食す。
やさしい。
魚節と昆布出汁のスープがとかく優しい。普段であればもう少しパンチが欲しいところだが、今はありがたい。野菜も多く、満足。まともなご飯は久しぶり。