姫路城

Basic information
name姫路城
another name白鷺城(シラサギジョウ ハクロジョウ)
selected100名城 59
location兵庫県姫路市本町

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大小天守の写真 大小天守の写真 連立式がよくわかる写真

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2019年2月
大小天守の写真 大小天守の写真 大小天守の写真 特別公開の渡櫓の写真 天守の写真 連立式がよくわかる写真 連立式がよくわかる写真

2020年11月

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Data




Map




Record

攻城日時

2019年2月9日
2020年11月22日

攻城手段

JR線
のぞみ

攻城記録

 国宝、ユネスコ世界遺産、誰もが認める日本一の名城、姫路城。現存している大天守小天守群は、関ヶ原の戦い後に池田輝政が築城(大改修)、連立式天守を完成させた。さらにその後、本多忠政が城主となり、西の丸等を増築した。

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 時系列に書いていく。1333年赤松則村が姫山に砦を築いたのが始まり。その後1346年赤松貞範が本格的に城を築く。1441年山名持豊が播磨国を与えられ姫路に入る。1467年の応仁の乱で赤松政則が姫路城を陥落させ領国を回復させ、後に一族の小寺氏、その重臣の黒田氏が城をあずかる。1545年黒田重隆が小寺氏の命により姫路城を任される。1546年(天文15年)黒田孝高(黒田官兵衛)が姫路城で誕生。1580年(天正8年)黒田孝高の勧めで、毛利氏攻略の起点として羽柴秀吉が入城。※1583年に大阪城を築くまでの3年間は秀吉が姫路城主。1583年秀吉が大阪城に移り、弟の羽柴秀長が入封。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後武功が認められ、池田輝政が城主となる。※池田輝政=池田恒興の次男。小牧長久手の戦いで父と兄が戦死。父の跡を継いで大垣城主。→岐阜城→姫路城。1601年池田輝政が姫路城大改築を開始。1609年(慶長14年)5重7階の連立式天守が完成。1617年本多忠政が伊勢国桑名から、息子忠刻とその妻である千姫とともに入封。※本田忠政=徳川四天王本多忠勝の息子。※千姫=家康の孫で豊臣秀頼の妻。大坂夏の陣で助け出され江戸城へ戻る道中に、警護の本多忠政の息子忠刻と再婚。姫路城で10年を過ごす。
その後は、松平→榊原→松平→本多→榊原→松平→酒井と続いて、1867年(慶応3年)の大政奉還を迎える。1945年(昭和20年)の太平洋戦争下での2度の姫路空襲でも、姫路市は焦土となるも城は奇跡的に生き残る。1993年(平成5年)に日本初の世界文化遺産に登録。

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 さて、姫路城。訪れるのは今回で3回目。この日は、姫路→丸亀→高松の3つを攻城予定のその一番目。後ろが気になり、かなり慌ただしく回った。天気は曇りでいま一つだったが、タイミングがよく世界遺産登録25周年記念で特別公開期間中だった。姫路城は連立式のため、大天守の西に「西小天守」、北西に「乾小天守」、北に「東小天守」の計4つが、イ、ロ、ハ、ニの渡櫓でロの字型に結ばれており、ロの字の中心は中庭になっている。普段は入ることのできない「乾小天守」「東小天守」「イロハの渡櫓」の内部を公開していた。「東小天守」は初公開。建築当初は「艮(うしとら)の隅櫓」と呼ばれていたそうだ。「乾小天守」は、建築当初は「乾櫓」と呼ばれていたそうだ。2019年2月の一か月間のみの特別公開で、たまたま出張と時期が重なり訪れることができてとても幸運だった。乾小天守への階段は朝9時過ぎにも関わらず人で溢れ、入場制限をしていた。行列に気を揉み後ろの時間を気にしながらも見学。各小天守から、普段は見ることのできない角度の大天守を拝むことができる。とてもよかった。それにしても改めて姫路城の大きさを思う。天守閣までの門や曲輪もそうだが、天守閣自体が巨大。さすがは連立式天守。小天守群と結びつきそのスケールがさらに増している。本丸の備前丸から、真正面に見上げる大小天守群は何回みても圧巻。到着したのが9時で出発したのが確か11時くらい。およそ予定通りに回ることができた。姫路を後にし、四国の丸亀へ出発。

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 2020年11月に4回目の再訪。三連休の初日、17時50分に姫路駅着。姫路名物あなご料理を食べ、20時頃、三の丸広場でライトアップ天守を拝む。2年ぶりの再開、正面に大天守と西小天守。入城口の方に回ったアングルでから乾小天守も姿を現す。後方に三日月。そう寒くもなく気持ちのよい晩秋の播州。いくら夜とは言え三連休初日。にもかかわらずこの閑散とした空間。入場口は当然閉まっているが、官兵衛の野面積みの方面は見学ができる。ちょっと足を運び、月とライトアップに照らされて一段と美しい扇の勾配を直下から見上げる。翌日が楽しみ。
 そして翌日。8時過ぎにホテルを出てゆっくり向かう。8時40分に入城口に到着。新型コロナ対策もあるのだろう、係のおじいさんが今日は早めに開けますとアナウンス。8時45分入城。重要文化財の菱の門をくぐり、三国堀から姫路城を見上げ、緩い上り坂を進み、いろはにの各門をくぐり、大天守へ。はの渡りから入る。これもおそらく新型コロナ対策。普段とは異なる入城口だった。そして大天守を6階まで登る。西大柱、現存の東大柱、筋交(すじかい)、六葉釘隠し(ろくようくぎかくし)などを見学。時折出てくる連立内側の武者窓から、乾小天守や西小天守を拝むことができる。いずれも華頭窓を備えていて豪華。池田氏の揚羽蝶家紋にも久しぶりに対面。ちなみに、揚羽蝶は平家の家紋で、基本的には平氏系が使っているが、池田氏などの清和源氏系の一部にも使われているそうな。大天守最上階は、さすがに人も多かったが、そこはまだ早い時間、激混みではない。早く来て正解。さて、大天守を出て西の丸へ。百間廊下や千姫の化粧櫓を見学。帰りの入城口横の管理事務所で4回目にしてようやくスタンプを押すこともできた。12時過ぎ姫路城を後にする。いい秋晴れで、とてもいい再訪だった。

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today's ramen

『あなご料理 柊』 (姫路駅前 キュエル姫路店) あなご和膳 3800円



impressions

 播磨、姫路と言えばあなごらしい。今回初めて知った。焼きあなごで有名な地元の店、柊に行く。昼に本店に電話するも応答がなく、キュレル店に電話するも予約席はいっぱいで直接来てもらうしかないとのこと。どれだけ激混みかと不安を抱え、姫路駅に着きすぐに直行。時間は18時過ぎ。キュレルというおしゃれな駅前ビルの柊へ急ぐ。着いて肩透かし。がらがらであった。どういうことだと戸惑う。予約席はおそらく一部で、他大多数は一般席なのだろう。しかし、普通その辺りの事情も伝えてくれるのでは、、。急いで入店して着席したのに、周りはかなりがらん。
 地域クーポンが4万円分ほどあるため、心が大きくなっている。あなご和膳3800円を注文。ほどなく出てきた御膳を見てなるほど、あなごづくし。どれもこれもあなごであった。これだけあなごを食べたのは初めて。向こう10年分のあなごを食べたのではないだろうか。味はうまい。どれもおいしかった。油が多いのがうなぎ、淡泊なのがあなご、という個人的な感想。ごちそうさまでした。
 翌日姫路を発つ前に、タコピィを食べる。タコピィとは明石焼き風たこ焼きらしい。一皿10個で400円。出汁がついていて、それにたこ焼きをつけて食べる。初めは御吸物と勘違いして、飲んでしまった。ちなみに出汁は飲んでもうまかった。その出汁につけて食べるタコピィはやはりうまかった。ほくほくとろっとしたタマゴの香りと、たこ焼きのソース、そして出汁。特に、ソースと出汁が合うとはびっくり。こちらは出汁の文化なのだろうか。ごちそうさまでした。



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