一乗谷朝倉氏館

Basic information
name一乗谷朝倉氏館
another name一乗谷城
selected100名城 37
location福井県福井市城戸ノ内町

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Data




Map




Record

攻城日時

2020年9月12日

攻城手段

越美北線(えつみほくせん) ※通称 JR九頭竜線

攻城記録

 福井県の100名城、一乗谷朝倉氏館。一乗谷城は、文明3年(1471年)、朝倉孝景(たかかげ)が越前守護斯波氏を破って一乗谷川沿いの天然の要害を拠点としたことに始まる。一乗谷には2つの城戸(きど) ※門 に挟まれた約1.7キロメートルの細長い城下町が全国に先駆けて形成された。一乗谷は応仁の乱を逃れてきた京都の文化人たちなどにより越前の中心地として栄えたが、天正元年(1573年)織田信長の軍勢により放たれた火によって灰塵に帰した。ちなみに、焼き払われた後、中心は平野に移動。福井市自体は江戸時代は越前松平家32万石。

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 足羽川(東西に延びる)の支流が削ってできたのが一乗谷(南北に延びる)。明智光秀も身を寄せたと言われる越前の城下町、天然の要害である。信長に焼き払われ、わずか100年で消えた。
 一乗谷には1万人が暮らしていた。発掘調査では各家庭にトイレ(戦国時代の金隠しも発見されている)と井戸があり、豊かな先進都市であったことがうかがい知れる。町割りには珍しく武家屋敷の中に町屋がある。町屋では皿などを売っていた。武家屋敷と町屋敷が隣り合ってあるのは珍しいらしい。武士のエリアも商人に明け渡すほど発展した豊かな経済活動。時代の変化ともに町人が力をつけてきたという事情があったのだ。ちなみに一乗谷からは中国の医学者も発見されている。国の重要文化財2000点以上。1573年に滅ぼされた後、街全体が水田で真空パックにされていたため保存状態がよい。水がいつもあると腐らない。あったりなかったりすると腐るらしい。奇跡的な条件。
 朝倉氏が豊かになれた理由はやはり水運。ヨーロッパ産のガラスグラスも出土している。内陸の谷にありながら水路で海と結ばれていて、日本海の水運を支配していた。やはり水運を牛耳った者は富み、強い。

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 さて、一乗谷朝倉氏館。10時13分越前大野を出発、JR九頭竜線で30分ちょっと、510円。ちなみに越前大野では同じ単線の線路にワンマン電車が2両止まっていて、手前が九頭竜湖行き、奥が福井行き。背中合わせで出発する光景が珍しかった。10時49分一乗谷駅着。

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 一乗谷駅は小屋のような駅舎がポツンとホームにあるだけ。山と線路と田園のみの、どローカルな風景が眼前に広がる。店も何もない。まずは資料館へ。資料館の道路を挟んだ横は工事現場になっていて、ガイダンス施設、博物館が建設予定のようだ。資料館の入口には令和元年に日本遺産に認定されたとある。ブラタモリ福井編で取り上げられ、大河ドラマ麒麟がくるの明智光秀でも扱われ、いまここ一乗谷は観光バブルなのかもしれない。資料館の中はやはりそこそこ人がいる。扱っているのはまず麒麟が来る関連。特別展なのだろうか、さながら大河ドラマ館のようだ。朝倉氏について少し勉強し、笏谷石の展示物などを見て、出る。展示物の中では「バンドコ」が印象的なだった。バンドコとは、暖房具。越前では行火(あんか)のことをこう呼ぶようだ。前面に小さな窓がついていて、くり抜いた中に炭を入れて使用したようだ。やはり加工しやすく熱にも強い笏谷石製だった。
 足羽川沿いを歩き、線路を越え、右折。南を向くと一乗谷川が切り開いた谷エリアが延びている。今日は日焼けするくらいにとても暑い。太陽を遮るものが何もない中、一乗谷川沿いを歩いて南下。まず大きな巨石の城戸を発見。かなり大きな石だ。一乗谷はその南北に城戸を設置し防御を固めた。さらに歩く。左に一乗谷レストラントという新しくおしゃれなレストランがあり、ブラタモリで放送していた一家に一台井戸エリアに出る。まずレストランで一服し、日陰で休んでから道路を挟んだ反対の井戸エリアへ。テレビで見たよりも広大な範囲に井戸やトイレ?などの住居跡群が広がる。井戸が一家に一台など、一乗谷の居住者は裕福な暮らしをしていたのだろう。そう言えば、麒麟がくるでも一乗谷の賑わいや豊かさに明智光秀は戸惑っていた。
 さて、住居跡の中を一乗谷川と並行に歩く。途中の自販でスポーツドリンクを買い水分補給。延々と歩くと、川の向こうに朝倉氏館の唐門を発見。橋を渡り、唐門を目指す。唐門の前の橋の下が紅白に賑わっている。見ると観光客が餌をやり鯉がわんさか集まっている。その鮮やかな紅白は写真に色を添えることができてよいが、しかしここは写真スポット。観光客を滞らせるような仕掛けは少し迷惑かもしれない。写真を撮るタイミングがなかなかこない。人がはけたタイミングを見計らって写真を何枚か撮る。唐門をくぐって、朝倉氏館跡へ。さすがはスペースが広い。右奥に朝倉氏の墓所がある。朝倉は五代100年続いたが、各享年も明記されている。最後の義景は享年41歳でほぼ同世代。最後彼は信長に追われ、一乗谷から逃げ、越前大野で隠れているところを確か発見され自刃した。越前大野の義景の墓所があったのはそういう訳だったのか。手を合わせる。
 時間はもうあまりない。庭園には行かず復原町並みへ。この「復原」。「ふくはらまちなみ」と友が言い間違えたことから勉強になったのだが、ふくげんは、「復元」と「復原」と二つある。復元は、失われて消えてしまったものをかつての姿通りに改めて作ることを指し、一方復原は元々の姿が改造されたり変化させられてしまったものを元通りの姿に戻すことを指す、らしい。さてその復原町並み。入ってみて分かったが、規模が予想よりも大きく、そして一つ一つに入れることから想定よりも回るのに時間がかかる。武家の家、商人の家が並び、中に入ると先ほど外で見た井戸が家の中にある。なるほどこういう風に一家に一台あるわけかと合点がいった。ブラタモリで見た町並みの通りにはこの新型コロナの時勢には珍しく結構な観光客がいた。時間が迫っている。復原町並みの端までいき出る。そして入った土産物やでバス発着所の場所を尋ねる。すると説明を聞いていたそばからバスが停車。当初より早い特急バスだったがあわててダッシュで乗る。これで一乗谷終了。12時55分に復原町並を出発、13時20分福井着。いやいや忙しくそして暑かったが、朝倉氏の栄枯盛衰を現場で感じることができてとてもいい時間だった。鮮やかな緑の山並みと青い空が今でも目に焼き付いている。

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today's ramen

『8番らーめん』 (北陸本線 福井駅) 野菜トマトらーめん 924円



impressions

 予定よりも早いバスで福井駅に来れたので多少時間に余裕も生まれ、昨日から狙っていた「8番らーめん」に入る。
 福井県民のソウルフード8番らーめん。季節限定野菜トマトらーめん924円、野菜増し、チーズトッピング、餃子、合わせて1500円を注文。
 野菜増しだからだろうか、太陽のトマト麺や紅と比べると若干味が薄いように感じられ、少し香草の香りがする印象。私はトマトらーめん好き。普通に美味しかった。 汚れないようにという前かけと、8と書かれたかまぼこにほっこり。電車時間が迫っており少し慌てる。餃子とらーめんをかきこみ満腹の体でそそくさと店を後にし、改札へ。福井から金沢へ移動。8番らーめんと言えば本来は野菜豚骨だったのか?再訪の機会あれば今度はそっちを。



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