伊賀上野城

Basic information
name伊賀上野城
another name白鳳城 上野城
selected100名城 47
location三重県伊賀市上野丸之内

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Data




Map




Record

攻城日時

2020年2月3日

攻城手段

近鉄大坂線 伊賀鉄道伊賀線

攻城記録

 三重県の100名城、伊賀上野城。伊賀上野城は筒井定次によって作られた。筒井定次は筒井順慶の息子で、島左近がそりが合わず筒井家を出て明智光秀の家臣となったきっかけの人物。筒井定次は1585年(天正13年)に、平楽寺と薬師寺があった台地に三層の天守閣を含む近世城郭を築く。

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 1608年(慶長13年)に筒井定次は改易。そして同じく1608年(慶長13年)、当時宇和島城主であった藤堂高虎が信任されていた家康から伊賀伊勢伊予の22万石を加増された上での国替えを命ぜられ、伊賀上野城に入城する。藤堂高虎は大阪包囲網のために城を大改修、拡張。筒井定次が大坂を守るために築城したこととは正反対で面白い。藤堂高虎はさすが築城の名手。本丸を西に拡張し、高さ30mの高石垣を巡らせ南を大手とする。建設中に暴風雨で倒壊したが、5層の天守も築こうとしていた。しかし大坂の陣により豊臣家は滅び、城の拡張も中止に。天守が再建されないまま、幕末まで続く。

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 さて、伊賀上野城。本日3城予定の2城目。宇陀松山城の最寄駅、榛原(はいばら)から近鉄線で10時4分発、伊賀神戸(いがかんべ)で伊賀鉄道伊賀線に乗り換える。ちなみに伊賀鉄道は交通ICカードが使えない。沿線はのどかな田舎の風景が続く。上野市駅までの北上の途中で丸山も通る。丸山は、天正伊賀の乱で伊勢が伊賀の拠点として拓殖三郎右衛門が築城した丸山城があるところ。11時8分上野市駅着。空腹で、まずは事前にリサーチしておいたラーメン屋に行く、が休み。それならば伊賀上野城内で伊賀牛うどんを食べようと別の当てに行くも、そこも休業。月曜観光の心配が的中。もう食べることのみ考えていたため、攻城に頭を切り替えるのが難しく、空腹の体とうわの空の頭で城郭内を回り始める。

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 まずは、有名な内堀の高石垣に。日本で一、二を争う30mほどの高石垣。これはこわい。下から見上げることはあっても、このクラスの高石垣から見下ろすことはそうない。緑色のカラーコーンで注意と書かれてあるのみで柵などはなく、端で転ぼうものなら転落死必至。今日は風も強く、写真を撮る時は足がすくんだ。しかしながらさすがに有名な高石垣。感心。見下ろすそれは巨大なダムの壁面のよう。この高さを出しても尚きれいな曲線の反りがあり美しい。足をすくませながらも、しばらくいろいろなポイントから見下ろす。続いて、天守閣へ。というか、高石垣から振り返ると天守がそこにある。天守周辺には裏込石のような丸いぐり石が散乱している。これはなにか?裏込石なのか?ぐるっと一周。天守は木造の模擬天守で、昭和10年のもの。模擬天守内部には元々あまり期待はしていない。入口でスタンプを押し、600円払って入城。中には、高虎の黒甲冑や、羽織り、首級を入れたであろう血のついた母衣などが展示されている。展示物はそこそこよかった。しかし展示物以外はというと、そこまで見所がない。階段なども急傾斜で作られているが、昭和風な階段であるし。最上階も回縁があるわけでもなく、窓も閉まっておりガラス越しの眺望しかない。これで600円はちょっと高いのかも。最上階から一階に戻る。予定していたより、時間が余る。入口のおじさんにどこかご飯を食べるところはないかと聞く。ここは月曜休みの店が多いのだと教えてくれる。ここなら開いてるのでは?と教えてもらったのはレストラン。おいしいですよと勧められたが、伊賀まできてレストランはどうかと悩み、結局食べず。1時間早い電車に乗り、伊賀上野を後にし、松阪へ出発することにした。松阪で食べよう。12時36分、伊賀鉄道で上野市駅を出発。

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today's ramen

『自家製面 若葉』『愛間亭』 (上野市駅) つけそば(味噌味玉、豚丼つき)、伊賀牛うどん



impressions

 既に書いたが、いずれも休み。調べて楽しみに足を運んだのだが、いずれも本日休業とある。またの機会に、、。



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