犬山城

Basic information
name犬山城
another name白帝城(ハクテイジョウ)
selected100名城 43
location愛知県犬山市犬山(大字)北古券

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2020年

2022年

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Data




Record

攻城日時

2018年12月16日
2020年11月15日
2022年8月15日

攻城手段

JR線
名鉄小牧線

攻城記録

 国宝、犬山城。前身の城(木之下城)を、1537年(天文6年)、信長の叔父織田信康が木曽川沿いの標高88mの丘陵に改修・築城した。その縄張りは天守のある本丸から南へ連廓式に連なる。(杉、樅、桐、松の丸)。天守の北は木曽川の断崖絶壁で、後堅固。 城主は、池田恒興や織田勝長など、小刻みに交代。1617年(元和3年)に、尾張徳川家の付家老(つけがろう)成瀬氏が城主となる。明治になり、城の整備補修を条件に、城は成瀬氏に譲渡された。2004年(平成16年)まで個人所有が続いたが、その後は財団法人犬山城白帝文庫の所有に。

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 犬山城は、小牧長久手の戦い(犬山:秀吉、小牧山:家康)や関ヶ原の戦いで、西軍の重要拠点となった。その後、江戸時代には平岩親吉、成瀬正成が入城。1610年(慶長15年)頃、成瀬正成は、家康9男義直の尾張移封の際にその傅役(もりやく)となる。尾張藩政を任せられていた平岩親吉が慶長16年に死去し、その翌年から竹腰正信とともに尾張藩の付家老として政務に携わるようになった。1617年(元和3年)成瀬正成は2代将軍秀忠から犬山城を拝領、そして明治までずっと成瀬氏の居城(幕末まで尾張藩付家老も続く)。2004年まで個人所有の城だったことでも有名。
 ※小牧長久手の戦い 1584年(天正12年)、羽柴秀吉軍 VS 織田信雄(信長の次男)と徳川家康軍。羽柴軍の勝利。家康と信雄は清洲城。池田恒興が羽柴軍に寝返り犬山城を占拠。これに対抗すべく、家康は小牧山城に移る。秀吉は大阪城を出発して犬山城に入城。
 この辺りは複雑で、以下に経緯をメモしておく。
 長篠の戦い  1575年(天正3年)信長家康軍に、勝頼破れる。
 甲州征伐   1582年(天正10年)3月、信長家康氏政が勝頼を滅ぼす
 本能寺の変  同年6月
 山崎の戦い  同年6月 秀吉VS明智 本能寺のわずか10日後。
 清洲会議   秀吉と柴田勝家の対立 秀吉=三法師(信長嫡男信忠※本能寺) 勝家=信孝(信長三男)
 賤ヶ岳の戦い 1583年(天正11年)、秀吉と信雄(信長次男) VS 柴田勝家と信孝(信長三男)。秀吉勝利。
         同年、信雄は秀吉によって安土城を退去させられ、これ以後関係悪化。信雄は家康と手を組む。
 小牧長久手の戦い

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 さて、犬山城。恒例の忘年会で立ち寄る。何せ記憶が薄れている。熱いうちにきちんと記録しないと勿体ない、と改めて反省。城下町を歩いて犬山城に到着。時間がなく立ち寄らなかったが城下町も見どころが多そう。犬山城自体は高さ19m、小ぶり。しかしさすが国宝の現存天守。その古びた板張りの色合い、天守内の匂い、廻縁が四方にめぐる高欄、花頭窓、どれも素晴らしかった。廻縁は、柵が低く外側に傾斜もしていて落ちそうでかなり怖い。天守から木曽川と切り立った崖を眺め、犬山城の要衝の要たる所以、天然の要害である理由がよくわかった、気がした。ここは是非また訪れたい。

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 2020年記録
 さて犬山城。2018年以来のおよそ2年ぶり。小牧駅を9時46分発、名鉄小牧線(犬山行き)360円に乗り、10時2分犬山駅着。所要時間は移動を含めて2時間予定。タイトかもだが2回目なのでよしとする。Google mapには1.4キロ19分と出ている。犬山駅を出て北西の方に徒歩で階段状に進むと、古い街並みが現れ、そして観光客で混み合う南北の道に出る。時間はまだ10時を過ぎた辺りだが人はそこそこ多い。さすがは国宝犬山城。進行方向の北を見やると鳥居の左奥に犬山城天守が見える。久しぶりの対面。北へ進む。鳥居を潜り、左奥の方へ進む。近道である伏見稲荷のような連続鳥居を通り、黒門などを通り、10時30分、天守閣の前に到着。思ったよりも早く着いた。右にある管理事務所でスタンプを押し、犬山城の写真を一頻り撮る。昨年行く予定が補修工事で攻城プランを変更したのだが、やはりきれいになっている、気がする。黒板張りの黒も色褪せていない。石垣は例の赤茶が混じるような独特の石垣。荒々しくそれでいて緻密に積み上げられている。見上げる唐破風も風情がありとてもよい。さて天守閣入城の列に並ぶ。列は20人くらいだったろうか。想定よりは混んでいない。まだ午前の早い時間だからだろうか。お知らせには中が200人を超えたら入場制限をかけると書いてあるが、幸いまだ制限はかかっていない。靴を脱いで入り、入ってすぐの急傾斜の階段を登る。なにやら階段の底面が新しい。この辺りも補修したのだろうか。中は薄暗く現存独特の匂いで、これがまたよい。武者窓や破風の間、柱や天井、少ない展示物を流し見ながら上の階へと進む。やはり階段はすべて補修されて、というか底面が新しいものに貼り直されている。最上階へ。最上階には成瀬氏初代から12代までの写真がズラッと並ぶ。最後のウィスキーを片手の成瀬さんを見て、1617年から脈々と続く血脈に感心。さて廻縁に出る。この廻縁、柵が低く、転落防止の網もなく、外側に傾斜しており怖かった記憶だったが、やはりその通りで少々怖い。しかし興醒めな網などをつけられるよりずっとよい。四方を回る。北側には断崖の下に木曽川が穏やかに流れる。天気もよく見晴らしも最高。とても気持ちが良い。魔除けの桃だったろうか、お馴染みの屋根瓦もちらほら。さて、付櫓など見ながら下におり、天守からでる。時間はまだ11時。予定より30分ほど早い。一本早い電車で、11時40分岐阜に向け出発。

 2022年再訪
3年ぶりくらいか。今回は犬山駅前に宿泊。犬山に前日19時15分到着。駅前のホテルミュースタイルに泊まる。併設のレストランがおいしかった。犬山に前泊したのは混み合う天守閣の行列を避けるため、朝早く行くためだった。しかしホテルでゆっくりしてしまい結局出たのは9時半頃。 いつもとそう変わらない時間帯。今日も朝から暑い。駅前からまず西へ進む。北へ犬山城にまっすぐに延びる古い街並みの通りから北上。 観光客はそこそこいるが今日は月曜日だからだろうか、そう多いわけではない。犬山城に到着し、まずは娘のスタンプを押す。娘は中2にして国宝5城中既に4城制覇。 少し外観を眺めて写真を撮って、混まないうちにまずは天守閣に入ることに。時間は10時だが、まだ並ぶほどではない。傾斜のきつい階段を登りまずは最上階へ。 柵の低い廻縁に出て、破風と屋根瓦と木曽川と青い空のすてきな写真を撮る。犬山城はやはり天守からの眺めがきれいだ。亀の上に桃が乗る魔除けの瓦もじっくり見る。 そして唐破風の間など見学しながらゆっくり降りる。10時40分地上へ。今日はこの後名古屋城にも行く予定。ゆっくりと駅に戻り、犬山駅から名古屋へ向かう。

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today's ramen

驛釜きしめん きしめん 670円



impressions

 4日間の出張も終了し、最終日の3攻城を終え、ぐったりして名古屋駅に到着。新幹線の時間まで余裕もあり、何か最後に名古屋らしいものを食べようということになり、立ち寄った。名古屋駅構内のお店「驛釜きしめん」。店内に入店しメニューを眺め、結局シンプルなきしめんにすることに。ほどなく運ばれてきて早速頂く。
奇をてらっていないシンプルなきしめんだったが、きしめんはやはりうまい。個人的に太い麺や平麺は大好きなのだ。ここ驛釜きしめんは、出汁のきいた醤油に、海苔、かまぼこ、油揚げ、ネギ、ホウレンソウが乗っている。麺は固すぎずつるつるで、のどごしも良い。ここ数日の野菜不足もあり、ホウレンソウがありがたかった。つゆまで全て飲み干す。ごちそうさまでした。



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