岩櫃城

Basic information
name岩櫃城
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selected続100名城 117
location群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町

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Data




Map




Record

攻城日時

2021年4月24日

攻城手段

SR400

攻城記録

 群馬県の続100名城、岩櫃城。標高800mの岩櫃山の中腹にあり、急斜面に囲まれた天然の要害。真田幸隆、昌幸、信之が居城とし、上田城と沼田城を結ぶ真田道の中間拠点として重要な役割を担っていた。 高低差のある本丸までの登城路、長く放射状にのびるの竪堀群、5m以上の深さがある大きな堀、雛壇状に配置される曲輪群などが、広大な縄張りの中に広がる。

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 岩櫃城は築城者、築城時期ともに不明だが、中世に築かれたとされる山城。文献に初めて登場する城主は南北朝時代(1336年〜92年)の吾妻太郎行盛。戦国時代の大永年間(1521年〜28年)には斎藤氏が城主となり、吾妻郡一帯を支配したと言われる。吾妻郡へ侵攻した甲斐の武田信玄は永禄6年(1563)、真田幸隆に岩櫃城攻撃を命じたが、天険の地形と上杉謙信の遣わした援軍のため、2度失敗する。幸隆は一計を案じ、得意の調略戦と奇襲により、永禄8年(1565)に陥落させた。以後、岩櫃城は真田氏の拠点となり、上田城や沼田城の支城として存続した。徳川幕府の開設後も岩櫃城は真田氏の城として使われていたが、慶長19年(1614)に家康が発令した一国一城令により破却、廃城となった。
 岩櫃城は、南西は岩櫃山、南は吾妻川へと下る急斜面、北は岩山に囲まれた天然の要害。尾根の西から東に細長い本丸、こぢんまりした二の丸、中城が続き、少し離れて北東に天狗丸と呼ばれる出丸、そのさらに北東には支城である柳沢城が位置していた。各曲輪間には、竪堀や横堀が蜘蛛の巣のように巡らされていた。(日本城郭協会続100名城本より引用)

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 さて、岩櫃城。11時30分箕輪城を出発。岩櫃城は榛名山を挟み箕輪城の反対側にある。箕輪城からの距離はgoogleマップでは35km、1時間程度と出ている。28号線を榛名山方面に走る。アスファルトが傷んでおり結構な悪路。急カーブも多く道幅も狭い。近頃は通勤にバイクを使わなくなったこともあり、山道のワインディングが怖い。1速2速で慎重に運転。12時20分昼食を取るべく榛名湖に到着。榛名山と榛名湖を目の前にして大学の恩師ご夫妻と昔訪れた記憶が蘇る。今日は天気がよく、榛名山の三角形の稜線と湖の鮮やかな群青が映える。気持ちがいい。湖には白や黒や金色のスワンボートが浮かぶ。

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 わかさぎ天丼を食べ、13時に榛名湖を出発。13時25分には遠く岩櫃山の山頂の巨石が拝める位置まで近づいた。JR郷原駅にバイクを停め、無人駅の改札を通りホームへ。ホームから岩櫃山の写真を撮る。いいアングルなのだが惜しいことに電線が入ってしまう、あとで場所を変えて撮り直すことに。岩櫃山の南を一旦東方面に進み、Uターンする形で岩櫃城に近づく。岩櫃城の旗が一定間隔で誘導してくれる。13時45分頃には平沢登山口駐車場に到着。
 駐車場にはそこそこ車が停まっている。その服装から登山客やトレッキングの人が多い印象。登山口横には岩櫃城本丸観光案内所があり、そこでスタンプと資料をもらう。案内所にはガイドのおじいさんもいたが、コロナ感染拡大防止で今はガイドを自粛していると言う。つまりガイドはできないと。ガイドで同行してもらうことは元々想定していないので、お礼を言って登山道入口に向かう。と、ガイドは自粛しているというおじいさんが登山道入口前までついてきてくれて、地図看板を前にいろいろと教えてくれた。遺構はほぼない、所要時間はこれくらい、ここにこんな見所があるなど。再びお礼を言い、13時55分いざ出発。おじいさん曰く、途中まではなだらかな山道で、あるところから急峻になると言う。その通りで、整備された山道は基本緩やかでなんの苦労も要らない。そしてあるところから確かに急な勾配となる。道端には鮮やかな黄色い水仙が咲いている。尾根通りを行き中城跡を通る。中城付近は保存良好な土塁が残っている。この時点で景色は既によく、遠くの山並みがきれいに見える。そして二の丸跡を通り、本丸跡に到着。本丸跡は碑と立て看板のみがありそう広くはない。山頂へ向けてさらに歩みを進める。
 この辺りからより登山の様相を呈してきた。山履でよかった。足を一歩踏み外せば転落しかねないルートで、岩にしがみつき横歩きが必要な箇所や岩に登るための鉄梯子がかけられた難所もある。かなり危ない。自己責任ということなのだろう。引き返す時間を頭に入れながら山頂に向かう。途中天然の巨石の裏側に何度となく出る。がしかし麓から見た岩櫃山の巨岩群はまだ先、おそらく山頂付近にあるのだろう。
 六合目まで来た。櫃の口(天狗の蹴り上げ岩)と言う場所に出る。ここは左右と遥か頭上を巨岩が覆いまるで音楽ホールのようなエコーがかかる神秘的な場所。沖縄の御嶽を彷彿とさせる。岩も木も地上からの高さがありすぎてiPhoneのカメラには収まらない。山頂まであと0.7km。あと少しだし、と行きかけたが、しかし櫃の口から延びる山頂までの道の勾配の険しさを目の前にして、断念。時間も15時半を過ぎていることだし、ここから引き返す。
 帰りは沢ルートで下山。熊が出没するということなので、大きく拍手をしながら降りる。海のサメと山のクマはほんと苦手、こわい。慎重になり辺りを見渡して警戒するほどに岩や茂みや木々やらすべてが熊に見えてきてドキドキする。沢ルートは今では水はないが当時は沢底だったのか、左右を巨岩群に挟まれ拍手がやけに響き渡る。こりゃクマにもよく聞こえるだろう。そして15時55分頃、三合目である平沢口登山道入口まで戻ってきた。時間は16時半頃だっただろうか。2時間半程度かかったことになる。本丸だけなら本来そう時間はかからないはずだが、櫃の口は必見、足を延ばすべき。岩櫃城は本丸を含めてあまり遺構は残っておらず、むしろ山頂付近の巨石群のインパクトが強い。
 駐車場で一服し、16時半頃だったか、宿方面へ出発。岩櫃山の巨石の遠影を撮り直したいので一度道を戻る。給油で訪れたガソリンスタンドからの景色がそこそこ良かったので、岩櫃山をそこから写真に納める。

 18時前に「農園民宿かかし」に到着。岩櫃城もよかったが、この民宿かかしさんのインパクトの方が大。少しクセはあるがそれがクセになる、、とでも言うのか、総じてとても記憶に残る民宿だった。せっかくなので記録に残しておく。以下回想。
 バイクで着くと民宿のおばさんが出迎えてくれた。この方、お話が好きで途切れなくお話をしてくださる。着いて早々に民宿前の桜の説明を一頻り、そしてヘルメットや荷物を持ったそのままで裏庭に周り、自作のハンモックや五右衛門風呂、飼ってるチャボの説明へと切れ目のない情報提供をしてくださる。チャボは週一しか卵を産まないがそれを明日あなた方に出す、桜を一年に一回特別にライトアップするから風呂から見て、裏庭の畑のカカシの頭(カットマネキン)の名前(あけみ)、小麦粉からこんにゃくから何から何まで自分で作っている、などなど、たくさんの情報で間断なくおもてなしをしてくださる。荷物も最初は気にしてくれたのだ。玄関横に置く?と。決して悪い方ではない。ただこちらの想像力が足らなかっただけだ。宿にインする前にこんなにも丁寧に説明して回ってくれるということを。荷物を置けばよかったのだ。悪い人ではない。自分の世界に愛があるのだろう。なかなか中に入れない。道端に生えている三つ葉にまで説明は及ぶ。この辺は何でも食べられる、と無造作に摘み取る。この三つ葉は食べられる、というお話の通りに夕食のお吸い物に入っていた。ちなみに夕食には三つ葉の他、つくしやたんぽぽなど、家の周りに生えている野草や雑草が材料。肉や魚はない。0円ですか?と突っ込みたくなるくらい低いだろう原価率に反して、おいしくて、おもしろく、満足。料理や味付けが上手なのだろう。つくしやたんぽぽ、そもそも小麦粉などかなりの手間をかけて作ってくださっている。不思議な民宿だ。こんにゃくも自家製、天ぷらの小麦粉も自家製。何でも自家製。こんにゃくは市販のは消毒だらけでとても体にいいものではない、私は自分で作る、消毒なしでなんてつくれやしないと言われる、でも私は作れた。揚げたての天婦羅や温かいお吸い物が冷めないか心配になるくらい、夕食を前にして間断なく延々とお話を続けてくださる。食後には、風呂の窓開けたらライトアップの桜の件の続きをしてくれた。窓開けておいて、窓の外からキンモクセイ酒渡すから、何時に入る?じゃあ9時に風呂の窓を開けて、外からお酒渡すから、きれいよ桜、あ開けっぱなしは寒いからノックして、ノックあったら私外から渡すから。お話は途切れない。おもてなしの心配りをひしひしと感じる。 そして9時になり、風呂に降りようとすると、寝てるのかと親切にも起こしにきてくれたおばさんと鉢合わせ。また窓開ける閉めるノックするしないのお話を始めてくださった。自分は開けるのが合図と聞き、友人はノックが合図と聞き、情報が多少食い違う。結果窓開けて待つもなかなか来ない。寒いけど、窓の外におばさんが出現するのを待つ。見通しが飲み込めず、正解がわからず、戸惑う。なんだろう、この縛られているような感覚は。妻の実家に泊まって人のいい義母に世話を焼いてもらっているような感覚に近いのか。宿に泊まっている感は薄いが、もてなそうという心遣いに感謝。部屋に鍵はなく、出た空き缶も持ち帰りルール。声を潜めて今起きている出来事について友人と話す。一般的な宿の物理的な楽さと気楽さというものはない。が、でも何だろう、悪くない。
 そして翌朝。朝食も数々の野菜と予告通りのちゃぼの卵、お櫃満杯のご飯、そして指先がおかずにくっつかんばかりの熱心な指差し説明で我らをもてなしてくれた。何でも昔は国立に住み多摩霊園のNECで働いていたと。いや保育士さん?ハスラーに乗りスカートは履いたことがなかった、会社の人は退職の時に初めて私のスカート姿を見た、など個人情報も惜しみなく追加してくれた。ありがとうおばさん。風呂もご飯も景色も、みないい宿でした。
 10時出発。
 と、いう予定だったが玄関で友人がおばさんにつかまっている。いや最後のおもてなしを受けている。朝日デジタルに載った、彼女はいるの?娘さんは?何歳?どこで奥さんとは出会った?ブルーベリー食べ放題、蕎麦打ち体験もある、ハンモックもある、今度は娘さん連れてきて、彼女さんも、ここはいいとこよ、こんどみんなできて、SNSやってる?拡散して、私できないから、口コミもお願い、干し柿もっていって、誰にでもあげるわけではないよ、○○くんたちは料理の味がわかってくれるから、ご飯もつけてと言われたときほんと嬉しかった、ごはんはこの辺のものだけど私がすごい手をかけて用意している、最近の若い人は素泊まりでよるは部屋でわいわいやって、でも○○くんたちはごはん食べてくれて嬉しかった、ねえまたきてね、今度はみんなでね。フィナーレが近づきお話というおもてなしもヘビーローテーション。いつの間にやらくんづけになっている。でも心地よかった。

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today's ramen

『農園民宿かかし』 (みなかみ) おばさんの手間をかけた夕食



impressions

 詳しくは上の攻城記録参照。つくしやたんぽぽの天婦羅は初めてかも。とてもおいしかった。おばさん、ごちそうさまでした。



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