金田城

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name金田城
another name金田城(カナタノキ)
selected続100名城 186
location長崎県対馬市美津島町黒瀬城山

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バイクで城攻め 対馬番外編





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Data




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Record

攻城日時

2020年12月20日

攻城手段

ANAプロペラ機 タクシー 登山

攻城記録

 長崎県の続100名城、金田城。金田城は、九州最北端、韓国まで49.5kmに位置する国境の島、対馬にある。対馬は、南北82km、東西18km、山林が面積の89%を占める自然豊かな長崎県に属する島である。
663年(天智天皇2年)白村江の戦いでの大敗後に、攻め寄せてくるかもしれない唐新羅連合軍への防衛対策が段階的に進められた。664年に水城。665年に基肄城と大野城。と大宰府防衛ラインが完成。667年金田城と高安城と八嶋城。この中でも対馬の金田城は朝鮮半島への最前線であり、防人が見張りに当たった。
大陸の東アジア各国との距離が近いことで、航路の要衝として、漢字や仏教、律令制などが、ここ対馬を経由して日本に運び込まれた。また元寇をはじめとする歴史上の出来事の様々な舞台にもなった。明治時代にはロシアの侵攻に備え山頂に砲台が造られるなど、歴史の折々で金田城は姿を現す。

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 金田城は下対馬(正式呼称ではないが個人的にイメージがしやすいのでこう呼ぶことにする。対馬は1つの島というよりは、中心の浅茅湾を挟んで南北に2つの大きな島があるイメージ。)の北端部、湾の奥にあり三方を海に囲まれた276mの城山の山頂に築かれた。城山を取り囲むように全体を石塁で守り、その総延長は3km。高さは最大7m。  谷間部分には三つの城門(北から一の城戸、ニの城戸、三の城戸)と水門を設け、敵の侵入を防ぐ作りになっている。
 ※対馬の地理について
 下対馬の地図を眺めていると何となくだが、上に向かって泳いでいるウミガメのように見える。そのウミガメの頭が金田城、右手の甲が対馬やまねこ空港、厳原桟原(イヅハラサジキハラ)が右脇腹、左足が豆酘崎(ツツ)灯台、万関橋(マンゼキバシ)が右手の先。
 上対馬はなんと形容すればいいのか、複雑な形でちょっと例えが難しい。下対馬をウミガメに例えたのでその流れでイメージしてみる。上対馬の南半分は同じく向かい合っているウミガメのように見える。、、見えなくもない。ただし上対馬の北半分はこれでは説明がつかない、、まあ強いて例えるなら脱皮中のウミガメということにしておこう。そもそもウミガメは脱皮するんだったろうか。  上対馬の脱皮中のウミガメは下を向いて、下対馬のウミガメと向き合っている。ウミガメの頭の右の首すじが和多都美神社、頭が烏帽子岳展望台、脱皮の一番後ろつまり北端が韓国展望所。  幹線道路は、下対馬ウミガメの右脇腹から右手を通り、上対馬の左手につながり、上対馬の首元を通過し、やや右脇腹よりの胴体を縦断、最後に北端であるお尻のところでぐるっと円を描く。、、こんな感じだろうか。、、下対馬までで例えをやめておけばよかったかもだが。
 2匹の亀の間に複雑なリアス式海岸、浅茅湾(アソウ)があり、この景勝が対馬の最も有名なスポットである。

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 さて、金田城。前日に佐世保泊、早朝に長崎空港に移動するプランだった。6時半からの朝食を慌てて掻き込み、6時45分佐世保ワシントンホテル出発。西肥バスセンターは歩いてすぐ。バスで6時50分出発、8時20分長崎空港着。飛行機の待ち時間は1時間以上あり余裕、一服して過ごす。9時35分長崎空港発、ANAのプロペラ機に乗り、10時対馬やまねこ空港に到着。
余談になるが、初めて乗ったプロペラ機について書いておく。プロペラ機は前評判ほどの揺れもなく、あっても気流の乱れによる小さな揺れ程度。音もそううるさくはない。翼が窓より高い位置にあるため、翼付近の席であっても景色がよく見える。眼下に流れる雲、そのさらに下の海、泡立つ白波、浮かぶ船舶。途中壱岐島の上空を通過したがこれもよく見えた。この壱岐もいつかは訪れてみたいものだ。対馬が近づくと、車輪が現れ着陸態勢に入る。そして無事着陸。プロペラ機で珍しかったことは、長崎空港でも対馬空港でも、飛行機まで歩いて乗り降りすること。たまたまなのかもしれないが新鮮だった。プロペラ機は小型で中もそう広くはないが、そこまで狭いわけでもない。まあまあ快適だった。ちなみにプロペラ機のプロペラは高速回転であるため肉眼で見ると一枚一枚を確認することができず、4枚の羽は合わせて丸い影にしか見えない。しかしiPhoneのカメラを通して見るとゆっくり回ってるように映り、羽を確認することができる、不思議。
プロペラ機の予約についても記録しておく。対馬に発着する小型飛行機は、航空券を予約すると翌日にすぐに発券される。言い換えれば、発券しないと予約ができないことに注意。今回は長崎→対馬、対馬→福岡という航路だったが、料金は大人1人往復で20210円。今回はGOTOを利用した2泊3日の旅行で費用は5万ちょっととかなり安い(佐世保と対馬のホテル代、東京→長崎、福岡→東京の航空券、そして対馬往復の航空券の料金も込み)。しかし対馬発着の飛行機はGOTO対象外。旅費のおよそ2/5をプロペラ機が占めていることになる。

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 さて対馬に初上陸。対馬市は人口3万人弱、九州で最も人口密度が低い地域だそうな。海を隔てて隣接するのが壱岐市と韓国の釜山市。ここまで日本の端っこにくるのは初めてだ。日本より韓国がよほど近いわけだから。対馬と釜山市の距離は49.5km。新宿駅から高尾山が46kmだから、ちょっと電車に乗って高尾山に行く程度の距離。もしここから中央線が韓国まで伸びているのなら、電車移動だったとしても1時間ちょっとで着いてしまうわけだ。もはやここは日本ではなく韓国みたいな感覚。
 空港の退場ゲートを出るとすぐにタクシーの運転手さんが友人の名前のプラカードをもって待っててくれていたため、空港の写真をちょっと撮らせてもらったくらいで、すぐにタクシーに乗り込む。予約していたタクシーに乗り金田城へと出発。タクシーの運転手さんは聞き取りやすい声で、程よく話もしてくれるとても感じのよい人だった。  対馬では新型コロナ感染者が9名でストップしているとのこと。最初の1人は6月くらいに。それは市役所の人。そしてお盆明けに8人感染。それは知り合いのガソリンスタンド。そこでストップ、新規感染者は出ていないそうだ。さすが人口密度の低さ九州ナンバーワン。むしろコロナの影響で韓国人が一切来れなくなり静かでよいと運転手さんは言う。しかし飲食店はやはり打撃らしい。そんな話が聞けるのもタクシーのよいところ。タクシーは当たり外れがあるが今回は当たりの運転手さんであった。
 さて、まずは途中で美津島地区公民館に寄ってもらい、金田城の資料をもらいスタンプを押す。公民館の入口には祝続100名城ののぼりが立っている。再びタクシーに乗り金田城に向かう。  タクシーで登山口まで行くことができる。対馬空港から登山口までは25分くらいか。寄り道しなければ20分程度かもしれない。10時35分登山口に到着。タクシー料金は3030円。二人で割れば1500円程度。そう高くはないし、そもそも登山口に延びる道路はかなりの悪路。車1台分の幅程度しかなく、対向車との離合がかなり難しい。実際に事前情報通りだったため、レンタカーではなくタクシーで正解だった。
 金田城に一度行ったことがあるという運転手さんの話では、登山口で車を降りてから歩いて戻ってくるまでの所要時間は、2時間半から3時間だそうだ。 健脚と帳尻合わせのトレイルランには自信があり、2時間半後の13時に予約してタクシーを降りる。  登山口にはレンタカーが2台停まっている。先客がいるようだ。登山口の横にストック用の木の杖と、パンフが入っている小型のポストがある。ダウンを脱ぎリュックにしまう。脱ぐとかなり寒いのだがどうせすぐに汗をかくことになるし、佐世保のホテルでもらったホッカイロもある。平気。
 10時45分に登山口をスタート。先に時間の記録だけ書いておくと、以下のようになる。※山頂以外は、移動+見学時間込み。そこに到着し、見学し、写真も一頻り撮り終わった上で出発した時間、となる。

 10:45 登山口
     ↓30分間
 11:15 東南角石塁
     ↓5分間
 11:20 三の城戸
     ↓10分間
 11:30 ビングシ山掘立柱跡
     ↓10分間
 11:40 東屋(一服)
     ↓10分間
 11:50 ニの城戸
     ↓5分間
 11:55 一の城戸
     ↓35分間
 12:30 山頂
 12:55 山頂出発
     ↓25分間
 13:20 三の城戸
     ↓10分間
 13:30 登山口

 結果、所要時間は予定超過の2時間45分。タクシーには山頂から遅延を伝え迎車時間を変更してもらった。我々はかなり写真を撮るし、説明版なども比較的しっかり読む。そして一服など一度休憩してしまうとだらだら長い。そのために超過してしまう目安時間を、軽いトレランばりの高速移動で帳尻を合わせる羽目になる。いつもそんなパターンで、今回もまさにそのパターン。したがって、行程の記録は一般の人のリズムやペースで考えるとあまり参考にはならないと思う。例えば、一の城戸から山頂までは登りの急斜面が続き難関ルートだがそれを35分間で移動したのはとても速いと思うし、帰りの山頂から登山口までについても目安時間が50分間のところ35分間しかかかっていない。かなりのゼエハアでしんどいが、とりあえず速いは速いのだ。でも東南角石塁ではやけに見学が長引いてしまったし、余計な一服など時間を浪費しているところも多い。では詳細を書いていく。
 まずは、東南角石塁。一番最初に出てきたのがこの東南角石塁。登山道が開け視界の右に浅茅湾が広がる。浅茅湾に向かって下るように、美しい緩いカーブの石塁が続く。一目見て感嘆の声をあげた。石塁の上を歩いて、石塁の奥まで進む。石塁の上の方は風化してごろた石になっており、足元はそうよくはない。慎重に下りて行き、そして下に回り込み、下から石塁を見上げる。何とも立派。一番最初の遺構であり、また青い浅茅湾を背景にしていることも手伝い、インパクトが絶大。
 次に、三の城戸。やはり同時代に作られたというところか。鬼ノ城で見た城門と似ている気がする。平たい石塁を整然と積み上げた立派な城戸。防人の居住跡か見張り小屋跡と言われている、ビングシ山掘立柱跡もある。
 続いて、ニの城戸。ここもしっかり石塁が残っている。
 一の城戸から山頂までが超難関。地図上にあった2箇所の急傾斜は本当の急傾斜だった。木の枝をつかみながら滑り落ちないように気を付けつつ、登る。気温は5度くらいなのだろうに、薄手のパーカーでも全く寒くない、むしろ汗をかく。ゼエゼエの息が時折白くなることで、外気温が低いことがわかるくらいだ。しかしこの城山。これは普通に中級者向けの登山だろう。ノースフェイスの山靴で臨んでよかった。街履きの普通のシューズでは滑り落ちて登れないだろう傾斜だ。瞬間的な困難さは攻城史上間違いなくナンバーワンだった。
 そして、山頂。山頂は、最高だった。向きとしては北西、丁度韓国釜山市の方角。頭上から韓国までの青空には雲ひとつなく、釜山市の街の輪郭もはっきり見える。眼下にはリアス式海岸の浅茅湾。もこもことした緑の隆起が複雑に広がっている。自然は今も昔も変わらない。白村江の戦い後に金田城を築いた防人たちも、元寇から防衛した人々も、日露戦争の旧日本軍の兵隊たちも、みなこの同じ景色を見ていた。そう思うと何とも感慨深く、とても嬉しい。山頂275mという木の看板を持って記念撮影。あまりの圧巻の眺めを前にして大興奮であった。人の幸福度は伸び率というがまさにそうで、困難から解放された分幸福度の延びしろが大きくなる。大満足であった。  山頂を去るときにはかなり名残惜しくずっとここにいたいとさえ思うくらいだったが、何ぶんタクシーに迎車時間を変更してもらっており、さらに大きく遅れることは気が引ける。後ろ髪を引かれる思いで絶景を後にする。帰りは距離はあるも傾斜はあまりないルート。13時半にはとても間に合いそうもない、どうしよう、など話しながらも駆け降りるように戻る。結果、計ったように13時半に登山道に到着した。
 以上が行程の詳細。登山口では、迎車のタクシーがすでに待っていた。帰りの運転手さんは、方言もあり話してくれることがよくわからない。それでも方言というのは、旅の臨場感を増してくれるというか、「よう見えたでしょ、こんなコンディションはないよ。」とか「車が来ると往生すっばい」など、遠くにやってきた感がより出て、よいものなのだが。
 さて、記録をまとめきらないうちにタクシーは厳原に到着。厳原の街を歩きながらも頭に浮かぶのは金田城からの眺望。浅茅湾や釜山市の景色が脳裏に鮮明に焼き付いていて、まだ興奮が覚めやらない中ふわふわした足取りで街を歩く。天候など好条件も重なったが、金田城、SSS評価をあげてよいくらいの素晴らしい城だった。


最後に。
対馬に出発する朝の長崎空港で、友人の祖母の訃報が届いた。昔からよく話題にあがり友人間では名物のおばあちゃんであった。102歳の大往生。ご冥福をお祈り申し上げます。

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Another Record

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バイクで城攻め 対馬番外編




today's ramen1

『だいぜん』 (厳原) 刺身定食 枝豆 餃子 やまねこ 2900円

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 そもそもは居酒屋「対玄」に行く予定だった。しかし近隣にこの「たいぜん」があり、暗い夜道に輝く看板をみて、対玄あった!と思ってしまったのだ。近いし名前も似てるし紛らわしい。こぢんまりとした店内の座敷席に座ったが、後ろの4人は地元の方々のようでGOTO組は肩身が狭い。目当てだった対玄は地域クーポンが使える店だったのに対し、ここたいぜんは使えない地元民の居酒屋だった。間違いに気づいたのは店の人にクーポンは使えないと告知された時。時すでに遅し。仕方ないのでそのまま刺身定食や枝豆、餃子と地元の焼酎やまねこを注文。本来ならとんちゃんやろくべえを食べたかったのだが、それらはない。
 しかしおいしかった。対馬近海で捕れた新鮮な魚はとてもおいしい。お湯割りのやまねこと刺身がまた合う。そういえば対馬の居酒屋はどこも魚がおいしいと評判だった。どうやら対玄はお休みだったようで、結果たいぜんはおいしかったし、よかった。





today's ramen2

『居酒屋すみっこ』 (厳原) とんちゃん ビール 2900円

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 1軒目のたいぜんでは、対馬とんちゃんもろくべえもオーダーできなかったため、2軒目すみっこへ。暗い夜道を歩き、路地を折れ、明るいネオンを発見。長屋のような隠れ家的な小さいお店で、店の前にはツシマヤマネコ似の太ったネコが寝そべっている。入店。小さい店内にはカウンターには地元民、奥のテーブル席にはGOTO組っぽい学生集団がいて、熱気がある。早速対馬とんちゃんを注文。
 普通にうまい、だろう1軒目だったら。見た目は鍋にどどんなのだが、実際は野菜も多く案外ヘルシー。対馬とんちゃんは対馬のB級グルメらしく、甘辛の焼肉ダレに漬け込んだ豚肉を、大量のキャベツやもやしと一緒に焼いて食べる料理。ウィキペディアによると、戦後まもなく対馬北部に住む在日韓国人によって広められたそうな。名古屋の味噌とんちゃんなどとんちゃん自体は他にもある。このご時世、奥のGOTO組の喧騒にひやひやし落ち着かなかったが、おいしくいただきました。





today's ramen3

『そば道場 あがたの里』 (対馬北部) いりやきそば(対州そば) 700円

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 どうしても「ろくべえ」が食べられない。「あれは仕込みに手間かかるし」と訪れたどの店にもなかった。対馬を発つ日、対馬北部の韓国展望所付近にレンタカーで訪れた際に、ろくべえと対馬そばを求めて足を運ぶ。そば打ちもできる体験工房なのだろうか、建物は大きい。しかし客はおらずガラガラ。やはりろくべえは、なかった。縁がない。ろくべえは対馬空港の土産物店で購入。後日家で食べた。ほしいもテイストのおいしいスープだった。麺はほろほろで、イモという感じ。さて話を戻して、ここあがたの里では対馬そばを注文。いりやきそば、という鶏肉出汁のそば。
 うまい。鶏出汁スープがうまく、固めの鶏肉もスープに合う。対馬そばアイスも食べ満腹。ごちそうさまでした。





today's ramen4

『スーラーメン まくり』 (福岡空港店) スーラーメン 935円

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 結局、今回の攻城中にはラーメンを食べなかった。そうだろう、他に地元の名産があるのだから。しかしやはりラーメンが食べたい。乗り継ぎ時間が1時間ほどあったので福岡空港でラーメンを食べる。地元のラーメンということで、福岡のお店であるスーラーメンまくりに入店。入店といってもフードコート。
 まあうまいが、どうだろう、ちょっと酸っぱいか。本格的なスーラーメンはこうなのだろうか。いつも食べ慣れているジョナサンのスーラーメンの味よりもちょっと酸っぱい。「濃厚なコクがある黒酢とまろやかな白酢を絶妙な割合で調合し、特選ラー油と黒コショウの効いた旨味が際立つ上品な辛味。この二つの味わいが、とろみのあるスープにより一体となり、麺を絡めて味わうと、三位一体の美味しさが口の中に広がっていきます。」とある。熱々で、まあまあおいしかった。


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