笠間城

Basic information
name笠間城
another name桂城
selected続100名城 112
location茨城県笠間市笠間

トップページへ





Photo

天守曲輪からの遠望 天守曲輪の石垣 天守曲輪の石垣

▼see more!

▲close!



Data




Map




Record

攻城日時

2020年10月24日

攻城手段

SR400

攻城記録

 茨城県の続100名城、笠間城。鎌倉時代に笠間氏が本拠としていた。関東には珍しい石垣の城で、茨城県では唯一本格的な石垣らしい。関東はそもそも石がそう採れない。つるつるの粘土質である関東ローム層の土で土塁などを築くのが主流だった。一方この笠間城は、中世の土造りの城、近世の石造りの城の二つの顔を拝むことができる。

▼read more!

 中世城郭時代
 標高200mちょっとの佐白山(さしろさん)に築かれた、山の地形を活かし堀切や土塁で造りあげた天険の山城。 370年間、笠間氏が治めていたが、1590年(天正18年)秀吉による小田原攻めで、北条に味方した笠間氏は滅亡。その後は宇都宮氏の家臣が入城。
 近世城郭時代
 1598年(慶長3年)蒲生郷成が入城。登城路や天守曲輪の整備をし近世城郭へと姿を変える。 江戸時代は、松井松平氏、小笠原氏、天領、戸田松平氏、浅野氏、牧野氏と移る。最後の藩主牧野氏は1747年から9代に渡り治め、藩校「時習館」も設置した。 石垣は穴太衆のいる近江出身の蒲生郷成時代と言われている。佐白山は花崗岩の岩盤が露出した山で、地産地消。

▲close!

 さて、笠間城。本日3城予定のうち2城目。11時にバイクで水戸城を出発。水戸城から笠間城までは40分、真端水戸線を延々と27km進むとGoogleマップにはでていたが、いつの間にか50号線を進んでいて、結果1時間10分かかった。迷いに迷う。 周辺には土塁らしきものが散見されるも、笠間城への肝心の最後の横道を発見できない。看板はなく3回ほど行ったり来たり通り過ぎた。これは誰しも迷うだろう。ナビがないバイクの弱いところ。

▼read more!

 12時10分、千人溜駐車場着。車はそこそこ停まっている。登山道のような入口から進み、階段を登り上へ向かう。 降りてきた方にどれくらいかかるか?と聞くと10分程度だと。登ってすぐに石垣を発見。石段もあり歩きにくくはない。曲輪を見学しながら上へと向かう。
 歩いてほどなく、本でよく目にしていた石垣が目の前に現れた。天守曲輪の石垣。東日本大震災で崩れてしまい、まだ一部はシートを被っている。本丸跡である佐志能神社に12時40分着。 この佐志能神社も、かなりボロボロでくたびれている。神社の土台の石垣が熊本城のような崩れ方で散らばっている。これらも東日本大震災の影響だろうか。戻って、12時50分千人溜駐車場着。歴史資料間井筒屋に向け出発。
 13時10分井筒屋着。着いてすぐに思った。先にこっちに来るべきだったと。曲輪の図ももらえて、丁寧に道順や見どころを教えてくれる。ちょうど菊まつりをやっていて観光客も多かった。 井筒屋の中に入ると、階段の壁に坂本九ちゃんの写真がたくさん貼ってある。故郷(川崎で生まれ2歳で笠間に)である笠間で結婚式を挙げた模様。稲荷神社の写真だった。
 さて、本日はもう1城残る。しかも、その後に千葉の房総半島の真ん中に位置する大多喜まで行かなければならない。時間がない。13時30分バイクに乗り、3城目の土浦城へ出発。

▲close!



today's ramen




impressions

 



inserted by FC2 system