勝連城

Basic information
name勝連城
another name勝連城(グスク)
selected続100名城 200
location沖縄県うるま市勝連南風原

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Data




Map




Record

攻城日時

2024年3月29日

攻城手段

ガリバーレンタカー壷川店

攻城記録

 沖縄の続100名城、勝連城。北谷間切屋良(ちゃたんまぎりやら)※現嘉手納町で生まれた阿麻和利は、すぐれた才能の持ち主で、勝連按司にに仕えた。領民の信望を得た阿麻和利は、9代城主、茂知附(もちつき)にかわって城主となると、本土をはじめとする対外貿易を活発に行い、勝連を大いに緊栄させたと伝承されている。

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その様子を沖縄の古謡「おもろさうし』に次のようにうたわれている。
かつれんわ なおにきや たとゑる
やきとの かまくらに たとゑる
きむたかは なおにきや
(勝連は、なんにたとえようか、京都や鎌倉にたとえる。気高き勝連は、なんにたとえよう)
かつれんの あまわり
とひやくさ ちょわれ
きむたかの あまわり
かつれんと にせて
きむたかと にせて
(勝連の阿麻和利、千年もこの国を治めよ、気高き按司阿麻和利よ、又勝連にふさわしく、又きむたかの名にふさわしく)
若くして勝道の按司となった阿麻和利は、1458年、宿敵の護佐丸を討ち、天下の統一を夢見た。しかし王府軍に攻められて落城し、廃城になったといわれている。

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 さて、勝連城。沖縄2日目。中城を出て25分くらいだったか、12時15分頃にうるま市の勝連城に到着。予定にはなかったのだが、ついでという名目で寄らせてもらうことに。着いてびっくり。続百名城なのに施設が立派。建物はあまわりパークという。世界遺産の登録に関係しているのだろうか、かなり新しい。そして続百なのにかなり力を入れてPRしている様子を感じる。勝ちが連なるという縁起の良さを押し出したTシャツやらグッズが売り出され、あっさりしか見なかったが建物内のパネルなどもきれいで大きくやる気を感じる。 さてあまり時間をとれないので勝連城へ向かう。あまわりパークを出て広い広場の先に城が見える。

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石畳の道を歩き進むと、全貌が見えた。登城道が緩やかに大きく左上にカーブしながらグスクへと繋がる。このアングルだけでも美しい。沖縄のグスクは野面積み→布積み→相方積み(多角形の石を亀甲型に積んだもの)と発達したと考えられているが、勝連城は布積み。それを間近に見ながら搭城道を登る。 他のグスクのような石門は、確か見かけなかったような。ここはアマワリ。中城と座喜味はゴサマル。その違いなのだろうか。
廓の中にはウミチムン(火の神)が祀られていた。「ウミチムン」とは三個のかまど石」を意味する言葉で、琉球古来の風習で火の神が祀られておる。現在でも沖縄の台所には火の神を祀っているところもあるそうな。
さらに進み、一の郭階段に到着。ここは友人が写真を送ってくれたスポットで、石垣の白と海と空の青の対比がとてもきれいところ。実際には最終防御ラインのようで、上に登るに従って階段の幅が狭くなっており、少ない兵力で戦えるような工夫が施されている。階段を登り、一の廓へ。ここは岩盤を平らに削り平坦にするなどの大規模な土木工事を行い、瓦葺きの建物があったことが発掘調査でわかってきている。現在までの調査では、グスクの中に瓦葺きの建物があったところは勝連城のほかには首里城と浦添城しかないらしい。出入口の門付近から唐草模様の浮き彫りのついたアーチ石の一部が発見され ており、装飾を施した豪壮なアーチ門であった可能性があるとのこと。
生憎真っ青とは言えないコンディションだが、それでも海も空も美しい。頭上をアメリカ軍だろうか軍用機が爆音を立てて通過する様を見上げるのも、また珍しく楽しい。
さて時間は13時前。この後森のテラスで昼食をとりこの後琉球ガラス村に行く予定のため、名残惜しいがグスクを後にする。降りると中城にもあったトゥクトゥク風の乗り物があった。足腰が強くない人にも一定の配慮がある。やる気も配慮もあり、勝連城、人気が今後伸びるかも。 この日は最後、ブラタモリで取り上げていた波上宮にいき夕陽の名残を拝み、ハンバーガー百名店のズートンズで夕食を食べた。動いて、見て、食べて、と、精一杯楽しめたと思う。

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