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Data
- 築城年: 不明 応永年間?
- 廃城年: 1871年(明治4年)
- 城郭タイプ: 平城(輪郭式)
- 天守タイプ: 複合式望楼型 ※現在は連結式の復興天守
- 築城主: 不明
- 主な城主: 小出氏、松平氏、岡部氏
- 関係する武将:
- 主な遺構: 天守、城門、隅櫓石垣、本丸跡、石垣、堀
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
大阪府の続100名城、岸和田城。築城時期は不明だが、現在地より北東約500mに位置していた岸和田古城から戦国時代に移ったといわれ、江戸時代初期にかけて段階的に完成していった。
▼read more!永禄年間(1558年~1570年)に松浦肥前守、豊臣氏の家臣中村一氏、小出秀政がそれぞれ改修を加えた。小出氏3代、松平(松井)氏2代のあと、1640年(寛永17年)に入った岡部宣勝が城を完成させ、岡部氏が13代続き明治維新を迎えた。
▲close!さて、岸和田城。南海線に乗り14時9分和歌山市駅発、15時蛸地蔵着。本日2城目。岸和田城は岸和田駅より蛸地蔵駅の方が近い。歩いて5分程度。蛸地蔵という名前が気になるところだが、何でも戦国時代に岸和田城を雑賀衆などから守ったのが蛸地蔵なのだそうな。小さな駅だが、駅舎にそのステンドグラスがはめられている。さて、持ち時間は1時間半。まあ余裕。まずは岸和田城へ向けて歩き始める。住宅街を歩いていると、左側だけ歴史的建造物保存区域のように古い木造の建物に統一されているエリアがあり。古びた昔の長屋なのに看板だけラジオ店とあり、表札にはパナソニックの店と銘打たれてありおもしろい。そんな住宅街を抜けると、きれいな石垣と白塀の岸和田城が姿を現した。秋晴れの青空と自らの影を水堀に映し、美しく佇んでいる。外観についてはほんと立派で、紅葉も入り込むともうどの角度からの写真も映える。一頻り撮る。
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さて、内郭に入ると八陣の庭と呼ばれる枯山水のような前庭が広がる。しかしこれはいかがかな。賛否わかれるだろう。本来はないものだろうし、作り込みすぎた凝りすぎた客寄せの目玉のように感じてしまう。安っぽくはなってほしくない、という理由で個人的には不要かな。まあそれはそれとして、夕暮れの陽光を浴びる岸和田城はきれいだった。
さて、一応天守の中に入ってみる。最上階は廻縁になっていて外に出ることができる。和歌山城には少し劣るがそこからの景色はまたよかった。その他天守内のパネルや陳列物には目をやりつつ軽く通り過ぎて、あっさり見学して外に出る。
時間は16時前くらいだったか。城の横にある観光交流センターの中に入り、カフェオレと小豆のパウンドケーキを座って食べてしばし疲れを癒す。帰りは岸和田駅まで歩き、16時36分岸和田駅発、南海線特急サザンに乗りなんばで御堂筋線に乗り換え17時23分新大阪着。17時39分新大阪発のぞみ102号(東京行)に乗る。東京に着くのは20時過ぎ予定。今回は一日2城で、電車での行き来がしやすいところを選んだので、計画的には無理ない攻城だったはず。3日間出張先で仕事をしそこから4時起きのスタートだったが、同僚も楽しんでくれたし、和歌山まで足を延ばすことができたことも嬉しかった。紅葉の季節に行けたことは一番よかったかな。