Photo
Data
- 築城年: 1554年(天文23年)頃
- 廃城年: 不明
- 城郭タイプ: 平山城
- 天守タイプ: 不明 ※天守台のみ残る
- 天守の縄張り: −
- 築城主: 武田信玄 ※仙石秀久改修
- 主な城主: 武田氏 仙石氏 牧野氏など
- 関係する武将: 武田信玄 仙石秀久
- 主な遺構: 大手門 三の門 天守台 石垣 空堀
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
長野県の100名城の一つ、小諸城。武田信玄が築城し、豊臣政権後に入封した仙石秀久、忠政親子が三重の天守などを築き、近世城郭に改修した。
▼read more!小諸城の起こりは、大井光忠(信濃小笠原氏の支族)が1487年(長享元年)に築いた鍋蓋城であると言われている。1554年(天文23年)に佐久地方を制圧した武田晴信が小諸城を拡張、整備。そして秀吉治世に、仙石秀久による大改造を経て、現在の姿となる。ちなみに、息子仙石忠政は、関ヶ原の戦い後家康治世下で小諸城から上田城に移封となり、上田城の有名な西櫓や南北櫓を築いた。
▲close!さて、小諸城。上田城からは、23キロ33分ほどで着く。上田菅平IC→上信越道→小諸IC。小諸ICをおりて延々と下る。小諸城は、浅間山の火砕流で低く広がっていく土地に築城された。城下町の方が高く、城にかけて低くなる、別名「穴城」と呼ばれている。延々と下ることでそれをより実感。13時5分、小諸城に到着。肌寒い。 小諸城は、大手門だけJRで分断されているが、懐古園として保存されている。まずは大手門へ。
▼read more!歩行者用の地下歩道を通り、JRの下を潜る。大手門は国の重要文化財。櫓門になっており、中に入ることができた。その後、懐古園に入り、大手門、三の門と進む。苔むした石垣や、落葉の南の丸跡など、深緑や黄色、赤など色があって目が楽しい。小諸城は第二次上田合戦の徳川方の本陣でもあるため、秀忠が腰掛けた石などもある。途中で雨が降ってきた。蕎麦屋で一休み。蕎麦を食べている間にまた晴れ間がのぞく。今回は幸運にも天気に恵まれている。一方で、ご多分にもれず台風19号の影響はここでもあり、石垣台などには登れず残念。15時、龍岡城に向けて出発。
▲close!today's ramen
impressions
出汁そば、800円を食す。とてもとてもうまい。かつお昆布出汁のそば。最初は何もつけず、次に塩をぱらぱら、タレをつけて、最後に蕎麦湯、と計4ステップで楽しむことができる。かつお昆布の出汁がきいていて甘じょっぱくとてもうまい。蕎麦湯も完飲。ところで店名の「山城館」。小諸城は平山城。是非「平」を付け加えてもらえると紛らわしくなくて助かる。