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Data
- 築城年: 1590年前後?
- 廃城年: 1873年(明治6年)
- 城郭タイプ: 平山城(梯郭式)
- 天守タイプ: ※天守台のみ残り詳細は不明
- 築城主: 浅野長政、幸長
- 主な城主: 加藤氏、浅野氏、徳川氏、柳沢氏
- 関係する武将: 浅野長政、幸長、柳沢吉保
- 主な遺構: 石垣、本丸跡、天守台、稲荷櫓、稲荷曲輪門、鉄門、鍛冶曲輪門、内松蔭門
- 主な石垣のタイプ: 野面積み
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Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
山梨県の100名城の一つ、甲府城。もう一つの武田氏館が中世城郭なのに対し甲府城は近世の城郭。
▼read more!武田氏が滅亡し、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ、秀吉による徳川家康の関東移封があり、その後に作られた城。築城の目的は江戸を拠点とする徳川家康を牽制するためだったという。豊臣五奉行筆頭浅野長政と幸長親子の時に完成した。石田三成、前田玄以、増田長盛、長束正家らとともに五奉行を務めた浅野長政。甲府城が浅野長政の居城だったことを初めて知った。浅野長政は8年間甲府を治める。ちなみに浅野長政は、あの有名な赤穂浪士の浅野内匠頭の祖先。浅野長政が最終的に転封されたのが赤穂の地だったらしく、そこから赤穂の浅野家が始まった。徳川が権力を手にした以降は基本将軍家一門が城主。6台将軍徳川家宣も甲府城出身。その後、柳沢吉保親子も入っている。柳沢吉保は元武田の家臣。柳沢時代が最も甲府城下町は栄えたという。柳沢氏は20年間甲府を治めた。柳沢が甲府を去った後、次第に甲府城は衰退。「甲府勤番制」といって、旗本などが交代で番をしていた。最後、板垣退助率いる官軍に包囲され開城。
▲close!さて、甲府城。甲府駅南口を出てすぐにある。一目見て石垣の見事さに唸る。山梨県は石が豊富なのだろう。石に恵まれない関東のお城に分けてあげたいくらい。まずは稲荷櫓へ。復元されまだ木の匂いがするくらいに新しい。本丸跡には不整形の天守台がある。天守台は整形されていない複雑な形の方が好きだ。天守台までの石垣の積み方が見事。ミニ丸亀城のよう。天守台は野面積み。1590年前後頃であろう野面積みは、石が整形されている箇所もあり、野面切込剥という印象。
▼read more!しかしながら今日は暑い。汗が止まらない。その後、稲荷曲輪門、鍛治曲輪門、内松陰門と回る。ペットボトルの水が尽きた。歩きながら西側に回ると高石垣があり。見事。とにかく暑い。
▲close!today's ramen
impressions
今回は酷暑の中ラーメン屋を探し回ることを避け、甲府駅北口、武田通りのほうとう店に入る。このHPの趣旨は城とラーメン。ほうとうは邪道ながら酷暑には勝てず。かぼちゃほうとう1150円を食す。うまい。とてもとてもうまい。巨大なかぼちゃがゴロンと二個。山菜やゴボウや人参もごろごろ入っている。汁も出汁やら具の旨味も出ていてうまい。出汁は秘伝らしい。ほうとうのもちもち感を出すことにも研究を重ねたらしい。小作、とてもうまかった。やはり山梨はほうとう。