久保田城

Basic information
name久保田城
another name矢留城
selected100名城 9
location秋田県秋田市千秋公園

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Photo

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Data




Map




Record

攻城日時

2023年3月4日

攻城手段

SR特急いなほ

攻城記録

 秋田県の100名城、久保田城。伝統的な土塁技術で築かれた佐竹氏の城。千秋公園の坂道や櫓台には土造の城の面影が残る。関ヶ原の戦い後、常陸国から出羽秋田に転封された佐竹義宣が1604年(慶長9年)に城を築き、久保田城と命名した。

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 石垣がほとんど用いられていないのは佐竹氏が石垣普請に精通せず、かわりに土塁普請を得意としていたことによるそうな。現在も各曲輪の周囲の土塁や櫓台の土塁がよく残っている。
 清和源氏の流れを汲む由緒ある大名の城にしては、久保田城は質素なつくり。天守や三重の櫓がなく、一年程度という近世城郭としては短期間で完成した。佐竹氏が関東で手掛けてきた築城の経験を基に、高くて厚い土の壁で築かれた「土造りの城」。※以上100本等より引用

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 さて、久保田城。特急いなほ5号で12時55分新発田発。秋田16時7分着予定。3時間も特急に乗る。村上、鶴岡、酒田、遊佐、由利本荘など名前に馴染みのある駅を通り過ぎて電車はゆく。残念ながら日本海側の席は埋まっていて予約できなかったのだが、それでも反対側に見える海の素朴な光景はよかった。遠くの山々は雪をかぶっているが、天気は徐々に晴れに向かっている気配。しかし午後中電車に揺られている。でも城巡りアプリで城攻めをしつつ、前のお城のまとめを書きつつ、写真の整理もしていると、時間はあっという間に過ぎる。鳥海山もいつのまにか後方に過ぎた。終点秋田の一つ手前の羽後本荘で日本海側の客が降りたので席を移動。海岸線をゆく車窓から海を眺めることもできた。 特急いなほは16時7分秋田駅に着。

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 ここ秋田は新発田城から一転、時間がない。1時間半後には再び電車に乗る。秋田駅のコンコースもそうだけど駅周辺も全部広くて新しくてきれいだ。予想以上の都会ぶり。福井の時もそうだったけど。駅構内ではなまはげや秋田犬などの名物のオブジェが出迎えてくれたけど、あまりにきれいで秋田感が薄い。
 さて西口から出て、久保田城の千秋公園方面へ。冬季期間中にスタンプが設置してある秋田市文化創造館にまず向かう。21時まで開いていることは事前に確認してきた。文化創造館は千秋公園の中にある。歩いてゆくと大手門跡という看板に出会う。大手門跡には堀があって水をたたえている。丁度夕暮れ時で水面がきれいだ。たまに溶けきらない根雪があるが、全く雪国感はない。きれいに整備された区画の公園のベンチに座っているよう。そこから歩いてほどなく文化創造館に到着。ここも大きくてきれい。無事にスタンプをゲットできた。一安心。
 さてあと残された時間は1時間くらいか。そこからは駆け足。松下門跡を抜けて、土塁の上に上がりそのまま北上。先に御隅櫓へ。土塁の上を歩いていると急に目の前に御隅櫓が現れた。本でみたちょっと赤を差し色にしたような櫓だ。木の枝と、空の色に近いような壁色のおかげですぐには気づかなかった。御隅櫓は三階櫓。しかし当時は二階櫓だったらしい。折角なら階数くらいは史実通りに再建してほしいと個人的には思う。冬季閉鎖中のため一頻り写真を撮るのみ。冬季といってもこの雪と無縁な都会ぶり、閉鎖までしなくてもいいような。そして南へ戻る形で見物しながら戻る。佐竹義堯(よしたか)の立派な銅造を見物していると、公園内では珍しい木造の古い門を発見。久保田城唯一の現存の御物頭御番所だと思い近づくと、説明板には表門と書いてある。では御物頭御番所はどこかというと、表門の手前のスペースの脇に作業小屋のようや建物が。看板があることからすると、ここが御物頭御番所。えほんと?と違ったのでは、と思うくらいに作業小屋っぽかった。一頻り写真に収めて、そしてこっちの方がよほど写真映えする表門も一頻り写真に収めた。
 時間的にここまで。17時に駅に引き返す。新発田で食べた大量のシウマイのせいでまったく腹は空いておらず秋田では何も食べないことに。そして17時30分JR奥羽本線快速弘前行きに乗り秋田駅を出発。本日初めての普通電車のためボックスではなく普通の座席。ここから2時間半弱か、、。
 暗くて見えないが、八郎潟の東を北上し電車はゆく。 19時52分弘前駅着。弘前に泊まる。

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