久留米城

Basic information
name久留米城
another name笹原城 篠山城 久留米城 雨城
selected続100名城 183
location福岡県久留米市篠山町

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Data




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Record

攻城日時

2020年3月7日

攻城手段

鹿児島本線 徒歩

攻城記録

 福岡県の続100名城、久留米城。久留米藩有馬氏の居城。有馬氏は約250年間この地を治めた。久留米城は、筑後川沿いの小高い山に築かれた平山城。古くは笹原城の名で呼ばれていた。天正15年、豊臣秀吉の「九州国割」により、毛利秀包(毛利元就の9男、大友宗麟の娘婿)が入城。これが近世大名の居城としての始まり。

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 1601年(慶長6年)、田中吉政が関ヶ原の戦いの功績で、石田方について改易となった毛利秀包の後を受け、筑後一国の大名となり、久留米城には二男則政が藩主となり入った。1621年(元和7年)有馬豊氏が田中家の断絶をうけて筑後五郡の大名となり、久留米城は幕末まで有馬氏の治世。
 有馬豊氏は、入国間もなく久留米城の大改修を行う。毛利、田中の代には東面していた大手を南面に作り替え、その前面に二ノ丸、三ノ丸、外郭を南北に配置した連輪式の構造をもつ城に改修した。明治初頭に城の建造物の大半は解体されたが、本丸の水手御門が久留米市草野町草野の寿本寺山門として移築され現存している。現在は平山城の本丸跡のみが残され、石垣や正面側の内濠に往時の雄姿をしのぶことができる。ちなみに城内には、藩祖である有馬豊氏を祀る篠山神社や、歴代藩主の武具、工芸品などの有馬家資料を中心とした久留米藩政資料を主に展示する有馬記念館がある。

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 さて、久留米城。熊本から鹿児島本線に乗り、大牟田で快速に乗り換えて11時10分久留米駅着。熊本から鈍行で1時間20分、1680円。久留米駅から久留米城までは1.2km徒歩、15分程度。ブリヂストン通りを進む。久留米はブリヂストンの創業者である石橋さんの生まれ故郷だそうだ。街はどこに目を向けて社名が目につくほど、ブリヂストンで溢れている。

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 ほどなく、篠山神社が正面に見えて来た。到着。なるほど、遺構は少ないが堀の石垣が見事。なかなかの高さもあり。ありがたいことに簡易の階段があり堀底に降りることができる。堀底から見上げると尚立派である。打込みの算木積みで高さがある。黄色い菜の花も咲いていて、石垣ものどかな春を謳歌しているように見える。さて、堀底から上がり、門跡を通り、篠山神社境内へ。神社で一礼後、社務所でスタンプ押印。時計回りで境内を回る。境内は静かでほど広く、苔生した大木が繁り、ほどよい気温と湿度で居心地がよい。高い境内からは筑後川がきれいに見える。まずは北西の乾櫓跡へ。熊本城は戌亥だったが、久留米城は乾。続いて北東の艮櫓へ。そして、小早川神社へ。小早川神社、といっても、祠のサイズ。毛利秀包が兄の小早川隆景の養子になったため、小早川神社、だそうだ。ちなみに毛利秀包、大友宗麟の娘を嫁にもらったこともあり、熱心なキリシタン。小早川神社には、見つけることはできなかったが十字が刻まれているらしい。そして月見櫓跡も見て一周。ここの石垣は排水溝が設けられたあったりノミハツリが刻まれていたり、近世的な作り。有馬氏の改修のためか、新しく感じる。続100名城は情報量が少なく、ゆっくり回れて気楽でよい。有馬記念館は新型コロナで休館。久留米城を後にし、久留米駅へ向かう。本日はこれで2城目。これからもう2城予定。

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