丸岡城

Basic information
name丸岡城
another name霞ヶ城
selected100名城 36
location福井県坂井市丸岡町霞町

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Photo

笏谷石の石瓦 天守閣 天守閣

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Data




Map




Record

攻城日時

2020年9月11日

攻城手段

JR北陸本線

攻城記録

 福井県の100名城、丸岡城。丸岡城は、天正4年(1576年)柴田勝家の甥、柴田勝豊が勝家の北ノ庄城の支城として築いた。天守は現存最古との説もあったが、2015年度からの調査の結果、寛永年間(1624年から1645年)頃に整備された可能性が高くなった、と2019年にニュースになった。小高い丘に位置し五角形の内堀に囲まれた中に、本丸や二の丸があった。天守の屋根瓦は、笏谷石製で、天守に石河原を使用した現存例はここだけである。一重目の入母屋破風や、柱や長押(なげし)を白木のまま見せる3階などが天守の古風な格式を高めている。創建以来火災に会う事はなかったが、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊、可能な限り倒壊前の建材を活用して再建された。※パンフ等から引用

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 初代丸岡藩主本多成重の父、本多(作左衛門)重次の「一筆啓上」がとても有名。重次が陣中(賤ヶ岳の戦い?)から妻に送った手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、家を守り、家族を愛し、忠義を尽くす思いが短い文の中に簡潔に込められた日本一短い美しい手紙だとのこと。重次が鬼作左と呼ばれ実は怒りっぽく勇猛だったこと、秀吉が大嫌いだったことなど、天守内のパネルで掲示されている。
 本多重次について
 気性が荒く、家康にも遠慮なく諫言するような性格。また武勇にも秀でていた。新井白石は以下のように重次を評価している。「重次は恐ろしげに見え、言いたい放題を言い、思慮のあるようではなく、奉行など務まる柄ではないように思えた。だが心正しく、しかも民を用いるのに思慮があり、訴訟をよく聞き事を明らかにした」
 家康の次男、結城秀康を身籠った女中のお万を、築山殿の手にかかることを恐れた家康は、本多重次に預けた。結城秀康は重次に匿われている中村家住宅で誕生した。

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 さて、丸岡城。長浜から北陸本線で北上。特急しらさぎに乗り、敦賀、鯖江、と知っているが馴染みのない駅を通り過ぎ、14時福井着。普通電車に乗り継ぎ、14時10分福井発。車窓は生憎の雨だが、久しぶりの現存天守を拝めるとあって気分はうきうきする。九頭竜川を渡り14時22分丸岡駅着。駅前には地元のコンビニ的な小さな店が1軒ある程度で他は何もない。駅の中のタクシー専用電話でタクシーを呼び、14時35分出発、14時50分丸岡城着。1750円。

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 一筆啓上茶屋の前の駐車場に到着。天気は雨が降ったりやんだり。幸い外を移動中はほぼ雨には当たらなかった。茶屋の奥上方に丸岡城天守が見える。まずは天守へ。階段を上り天守の全貌が見えてくる。古びた板と石瓦が美しい3階建ての独立式の天守。支える石垣は一つ一つが大きなゴロゴロとした野面積み。大きくはないがさすがは現存天守、渋くて雨もまた似合う。雰囲気があり立派。まずは四方から石垣と天守の写真を一頻り撮る。反った古びた石垣は、曇天の空とまだ緑色の紅葉とのコントラストで美しい。階段を登って天守内へ。靴を脱いで入ると、現存天守に来た感が増す。
 1階はそこそこ多めのパネル展示があり、太い6本の柱が目につく。そのうち手前から2本目が当初からある柱だそうな。
 かなり傾斜のある階段をロープをつかみながら登り2階へ。南北に出部屋があり、私の家が作ったのよと観光客に話しかけてくるおばあさんが座っていた。出窓や武者窓から手を伸ばせば、石瓦を触りながら間近で見ることができる。笏谷石の石瓦は、実際に触ると重厚で冷たい質感だ。よくぞこの大量の石瓦を天守は支えているものだと感心。後で聞いた説明では、この石瓦の重量を支えるために天守の柱などを補修したとのこと。そもそもこの石瓦はいつからあったのかは記録に残っていないとのこと。一乗谷や福井城で用いられる前からあったのか、それとも1680年くらいになってからなのか不明だそうな。しかし天守手前に古墳時代の石棺があり、ガイドのおじいさんの話では間違いなく笏谷石を使用しているとのこと。そうすると、かなり昔からこの地では笏谷石を使用してきたわけで、石瓦もかなり昔からなのかもしれない。石瓦の他にも、笏谷石の阿吽の鬼瓦もある。これもとても珍しいそうな。
 そして3階の天守へ。天井に祭壇が設置されているわけでもないシンプルな最上階。高欄の回縁もあるが外には出れない。廻縁は明治くらいに後付けで作られたのではないかとのこと。最上階からは四方の景色を眺めることができる。外堀内堀の跡は今は全くわからないが、ガイドのおじいさんが説明してくれる。学校の校庭が本丸二の丸。福井地震で倒壊した話も聞いた。不思議と地震では縦柱は残り、横柱は折れたそうな。逆のような気がするが不思議。確かに横の柱は新しく、縦の柱は古めかしい。
 16時前丸岡城を出る。資料館にちょっと入り、茶屋で土産物を物色。16時30分福井駅前に向けバスで出発。現存天守、石瓦の丸岡城。とてもよかった。今回パスした一筆啓上館などもあり、また是非再訪したい。

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today's ramen

『すず鬼』 (三鷹駅) スタミナ満点そば 850円



impressions

 丸岡城と言えば、珍しい笏谷石の阿吽の鬼瓦。鬼瓦。鬼。、、、鬼つながりということで、1週間前に行った「すず鬼」をアップ。
 地上まで長蛇の列。列に並び、階段半ば頃から汗が止まらなくなる。そのうち頭から血の気が引いてくる。熱中症か。水持ってどうぞと呼ばれて、水を3杯飲み、そして何とか入店。水を飲み、エアコンの前で、座れて、すこし持ち直す。が、出てきたラーメンを見て、これは今は無理だと思った。大きな玉ねぎとニラ、豚肉、背脂たっぷりの黒いスープに縮れ太麺。味は濃い目のラーメン。
 玉ねぎとニラからいく。体調は戻ってこない。水ばかり5,6杯おかわり。二人でピッチャーの水を一つ空けた。でラーメンはと言うと結局3分の2ほど残した。どうなんだろう?いつもの体調で空腹ならうまいのだろうか。今日は15時過ぎから吉祥寺のみかづき酒房でビールやら梨園のロックやら4杯ほど飲み、そしてすず鬼へ行ったのだが、なぜこうなった、、。横の友人も体調不良でラーメンは残し、変な歩き方で帰途についた。飲んだ後のラーメンはそもそも味がよくわからないが、組み合わせとしてもダメなのか。ラーメン後のアルコールで最近腹を壊すこと多いが、どちらが先でもだめなのだろうか、、。梨園がよくなかったのか、、自信喪失。
 いや、そもそもこのすず鬼、よく考えれば次郎系では。背脂やニンニクの効いたパンチ力に対抗するにはやはり相応の体調が必要なのだろう、、。体調いい時にリベンジを誓う。



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