Photo
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Data
- 築城年: 1598年
- 廃城年: 1871年
- 城郭タイプ: 平山城(連郭式)
- 天守タイプ: 層塔型?御三階櫓?
- 天守の縄張り: 独立式?
- 築城主: 南部信直
- 主な城主: 南部氏
- 関係する武将:
- 主な遺構: 石垣 土塁 堀
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
岩手に100名城は一つだけ。盛岡市の中心部にある、盛岡城。盛岡城は南部藩の南部氏の居城。
▼read more!土塁が多い東北の中で白い花崗岩で作られた石垣がよく残っている。本丸と二の丸の間に朱塗りの橋が架かっている。ただし存城当時は屋根付きの廊下橋だったらしい。天守台は作られたが、この時期の他藩と同様に幕府への遠慮から天守閣は作られず。天守台にはお三階櫓が設置された。
▲close!さて、盛岡城。今回は帰省中のため、車で城攻め。5月だというのにものすごく寒い。14度くらいだっただろうか。仙台が20度を超えていたので油断していた。ちょっと寒いとか、盛岡は中間がない。暑いの前は寒いのだ。そんな中、盛岡城目指して駐車場から歩く。途中、明治の赤煉瓦造りの岩手銀行などを流し見る。寒い。盛岡城到着。桜がまだ咲いており、寒々しい石垣との対比で余計にきれいだった。確か、三の丸跡から入り、石垣の階段を登る。石垣が主の遺構なだけに、縄張り自体は当然よく残っている。が、なにもない。看板はあれどそれのみ。寒さでイマジネーションもうまく働いてくれない。頂上の天守跡には、日露戦争で戦死した南部家42代当主の騎馬像... の台座のみ残る。
▼read more!1908年に建立されるも太平洋戦争の1944年に金属供出で持ち去られたらしい。よって台座のみ。したがって、盛岡城は何もない、と言ってよいかもしれない。せめて像くらい復元させるとか、ガイダンス施設を作るとか、櫓の一つは復元させるとか、折角の100名城指定なのだからもう一つ努力が欲しい。桜の名所なだけに、管理している側としては他で売り込む必要性を感じないのかも。前出の岩手銀行や、櫻山神社の烏帽子岩などがなければ、盛岡城自体は見所が少ない印象。烏帽子岩や岩手銀行メインで観光すべきかも。
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