本佐倉城

Basic information
name本佐倉城
another name将門山城
selected続100名城 121
location千葉県印旛郡酒々井町本佐倉

トップページへ





Photo

東山虎口 月星紋盾 月星紋盾

▼see more!

▲close!



Data




Map




Record

攻城日時

2020年10月25日

攻城手段

SR400

攻城記録

 千葉県の続100名城、本佐倉城。千葉氏の祖先は平安時代中期に関東に土着し、鎌倉時代から下総の守護を世襲してきた。当初の本拠地は千葉城だったが、享徳の乱(1454年〜1482年)を経て、1469年〜87年の文明年間に千葉輔胤が本佐倉城を造り本拠を移した。(ガイドブックなどから引用)

▼read more!

 千葉輔胤(すけたね)が築いた千葉氏後期の本拠地、本佐倉城。室町時代後期に千葉宗家を倒して家督を奪った馬加氏(まくわりし)は、将軍足利義政の命により千葉実胤と自胤を支援した東常縁に討たれ滅亡した。 また太田道灌も実胤・自胤を支援し江戸城を築城するなどした。 だが、馬加康胤の子(異説あり)、千葉輔胤は、古河公方足利成氏と結んで下総国を平定したことで、宗家の地位を確保。文明年間に従来の亥鼻城よりも内陸のこの地に城を築いて本拠地を移した。 (なお、文明11年(1479年)に太田道灌が千葉輔胤を攻めたときに追い詰められた輔胤の籠城先が臼井城であったことから、この時点ではまだ本佐倉城は完成していなかったと推定されている)
 その後、9代にわたって戦国大名千葉氏宗家の本拠地となる。しかし天正18年(1590年)、千葉氏が小田原征伐後に改易されると、徳川家康に接収されて一旦は破却され、代わりに城下に陣屋が設置された。 松平忠輝が、慶長7年(1602年)12月に5万石で任されるが、ひと月余り後の慶長8年(1603年)2月、信濃国川中島に移封される。 慶長15年(1610年)、軍事上の必要から同地に封じられた小笠原吉次、土井利勝が、再び本佐倉城に入って佐倉藩の藩庁が置かれた。 元和元年(1615年)、藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により、本佐倉城は廃城となる。なお、本佐倉の城下町は酒々井宿に移設されて成田街道の宿場町になったと考えられているそうな。(以上、webから引用)

▲close!

 さて、本佐倉城。本日2城目。次の佐倉城は押し損ねたスタンプを回収しに行く程度のため、実質最後の攻城。10時50分大多喜発。大多喜から下道で60km1時間半と出ている。ここで友人のGoogle マップのナビが大いに力を発揮する。

▼read more!

 前を走るドラッグスターの早め早めのウインカーの出し入れに、ルートへの明らかな自信と確信を感じる。どうやらGoogleマップのナビ機能をワイヤレスイヤホンで聴きながら運転しているらしい。なるほどその手があったのか。バイクでもナビを使って走ることができるのだ。
なぜそれを早く、、せめて昨晩の土浦→大多喜移動の前に編み出してくれていたら、、と歯痒く思うと同時に、ワイヤレスイヤホンで案内を聴きながら前を走る様を尊敬の眼差しで見守る。ナビを駆使する友人が前に、自分は後ろに。 そもそもバイクの後ろは楽。先のコーナーが減速が必要なコーナーかどうかも、前のバイクの傾きや速度である程度判断できる。無駄なクラッチ操作も要らず、クラッチ筋も疲れない。前の車との車間距離を保つという地味に神経を使う作業やブレーキ作業が不要。何とも楽ちん。 グリップを軽く握り、背中に陽光を浴び、ヘルメットの中で心地よいあくびをしつつ、周りの景色と緩やかなカーブを楽しむ。バイクはいいなと改めて思えた。
 しかし、それは道がよかった前半の話。後半の道路はさほどよくなく、一般道のため停止と発進の繰り返しが多く、昨日から酷使しているクラッチ筋も悲鳴を上げ始める。しかしまあ2日間の最後の攻城。もうひと踏ん張り。
 12時30分過ぎ城近くのセブンイレブン着。Googleマップを見ると、本佐倉城はすぐ北にあるはず。まずはスタンプと資料を、ということで酒々井中央公民館へ。 酒々井中央公民館に13時8分着。資料やパンフはかなり充実していて、酒々井町の熱意と意気込みを感じる。スタンプも無事に押すことができ、さていよいよ本佐倉城へ。公民館からはバイクで7,8分。
 本佐倉城の駐車場に到着。駐車場エリアには刻印された大きな石、ガイドステーション、そしてトイレと、充実。ここは東山馬場と呼ばれる曲輪のようだ。 西方向に目を向けると、記号のついた立板が一定間隔に2列に並んでいる。守備兵に見立てて立てているようだ。この記号は千葉氏の家紋で「月星紋盾」(ゲッセイモンタテ)と呼ぶそうだ。 その盾を前にしては敵の気持ちに、盾と並べば味方である千葉氏側の気持ちに想像を膨らます。敵としてはもちろんかなりの威圧感。あの場に出てしまったら命は諦めざるを得ないだろう。 では逆に千葉氏側に立った時に余裕を持って臨めるかと言うと、そうではなかった。敵を前にした味方の数としては、盾の数は下から見た時よりもかなり頼りなく心細い。攻め込む方も守る方も、どちらも恐怖であること改めて思う。
 さて、東山を登り土塁の上に出る。田園風景が広がり、見晴らしがよい。遠くにつくば山がはっきり見える。 土塁上を行き止まりまで歩き、そして引き返し、東山虎口を見下ろし、東山の土塁を降りて、4郭を少しだけ進む。 明日の仕事に響かないように、今日は早く帰ると決めていた。予定していた時間になったので躊躇なく引き返す。本佐倉城は広大で、曲輪図を見ながら改めてじっくり歩くのもおもしろいだろう。再訪を楽しみにしたい。 13時40分、本佐倉城出発、バイクの乗り本日3城目の佐倉城へ向かう。

▲close!



today's ramen




impressions

 



inserted by FC2 system