名胡桃城

Basic information
name名胡桃城
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selected続100名城 115
location群馬県利根郡みなかみ町下津

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Data




Map




Record

攻城日時

2021年4月25日

攻城手段

SR400

攻城記録

 群馬県の続100名城、名胡桃城。沼田城の攻略拠点として、真田氏が築城。真田の城だった名胡桃城を北条の家臣が攻め落とし怒った秀吉が小田原攻めを行った、言わば戦国時代を終わらせるきっかけとなった城である。 名胡桃城は、利根川と赤谷川の合流地点南西の段丘上に築かれ、東西に細長く郭群が配置されていた。東から順に物見郭、ささ郭、本郭と続き、さらにニ郭、三郭、般若郭、水の手などが並ぶ。本郭とニ郭の間には空堀が刻まれ、木橋を渡して喰違虎口で接続されていた。 北条の角馬出に対する真田の丸馬出も特徴の一つで、細長くのびた台地に築かれた典型的な連郭式山城。段丘上の東西に細長く郭が配置されている。奥のささ郭は眺望がよく、利根川と河岸段丘を見渡せる。対岸には北条方の明徳寺城、また沼田城方面も一望することができ、真田にとっての対北条の最前線であったことを彷彿とさせる。

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 戦国時代、沼田城は関東支配の重要拠点として、北条氏、上杉氏、武田氏が争奪戦をくり返した。武田氏から沼田城攻略を命じられた真田氏は1579(天正7年)に名胡桃城を築き、ここを足掛かりに沼田城を占拠した。
 その後も小競り合いが続いたが、ほぼ天下統一を目前にしていた豊臣秀吉が、1586年(天正14年)大名同士の争いを禁止する惣無事令(そうぶじれい)を全国の諸大名に発令。それでも沼田をめぐり睨み合いを続けていた真田と北条を秀吉が仲裁。結果、名胡桃城は真田氏、沼田城は北条氏のものとされたが、この裁定を不服とする北条氏は名胡桃城に侵攻。これが秀吉の小田原平定の引き金となる。戦後、沼田城は真田氏のものとされ、役割を終えた名胡桃城は廃城となった。

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 さて、名胡桃城。10時に出発するはずが玄関でかかしのおばさんにつかまり、結果10時20分の出発、打ち合わせの会話もできていなかったためすぐ先の近所の道の駅たくみの里で仕切り直し。簡単なプランをねる。ここから名胡桃城まで9km14分。名胡桃橋を渡り10時40分到着。昨日とは一転、今日は寒い。

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 バイクを停めた駐車場が般若郭。駐車場の下に埋まっている。三郭手前に案内所がありスタンプと資料をもらう。案内所はちょっとした資料館にもなっていてビデオも上映されている。大河ドラマ真田丸の撮影時の、草刈正雄と寺島進のパネルなども展示されている。三郭から、二郭、本郭、ささ郭と進む。真田の六文銭の赤い旗が風にたゆめき、軋む音が心地よい。ささ郭からは川向こうの北条方の明徳寺城も見える。目と鼻の先。沼田城方面も臨むことができる。結果的に戦国時代を終わらせるきっかけとなったこの場所に立ち思いを巡らせる、巡らせたいのだが、いかんせん肌寒い。一向に気温が上がらない。そそくさと沼田城に向け12時に出発。

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