根室チャシ群

Basic information
name根室半島チャシ群跡
another name
selected100名城 1
location北海道根室市温根元

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バイクで城攻め 道東番外編



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オンネモトチャシ

シエナハウシチャシ

モシリヤチャシ

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Data




Map




Record

攻城日時

2021年7月23日

攻城手段

AirDO トヨタレンタカー

攻城記録

 北海道の100名城、根室半島チャシ跡群。北海道全域には500ものチャシ跡が確認されているが、道東の東端である根室半島に分布する24か所を根室半島チャシ跡群と呼ぶ。しかしそのほとんどはあまり整備されていない。整備がなされ形も良好に残ったヲンネモトチャシ跡が代表的な遺構。

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 チャシ跡はアイヌ文化期(13世紀〜19世紀)の砦跡とされているが、チャシ跡の築造は18世紀頃までとされている。砦の他にも見張り場、聖地、祭祀場等の使われ方をしていたようで、その規模や形状は様々。
 北海道内には500か所以上のチャシ跡が確認されている。特に道東地方はチャシ跡の分布密度が高く、根室市内にはチャシ跡が32か所現存している。そのほとんどがオホーツク海を臨む海岸段丘上に作られている。根室半島のチャシ跡群は保存状態が良好なこと、分布密度が高いこと、和人のアイヌ民族に対する非道が発端のクナシリ・メナシの戦い(1789年 寛政元年)との関連性が高いことから、根室半島に分布する24か所が「根室半島チャシ跡群」として昭和58年に国指定史跡となった。
 ヲンネモトチャシ跡は、温根元湾の西岸に突出した岬の上に盛り土を行い、壕で区画し、盛り土頂上に平坦面を2か所作り出している。温根元漁港から側面を見るとお供え餅のように見え、形の良好なチャシ跡として知られている。近くには長さ12mのオホーツク文化期の大きな竪穴もあり、古くからこの湾が利用されてきた。チャシ跡からは、歯舞諸島や国後島が指呼の位置に臨め、交易品として貴重なラッコの毛皮の入手のために海を越えていた根室地方のアイヌの生業領域の広さを実感できる。
 ※以上、現場の案内パネルより引用。

 【クナシリ・メナシの戦い】
 1789年当時、蝦夷地のアイヌ人は松前藩に支配されていた。利益を追い求める松前藩や和人の商人たちは、不当な交易、非常に安い賃金や品物での長時間労働でアイヌ人を追い詰める。そしてそれらの不満が爆発し起こったのが、クナシリメナシの戦い。1789年(寛政元年)5月。場所は国後島。きっかけはクナシリの総首長サンキチが和人から貰った酒を飲み死んでしまったこと、さらにはサンキチの弟マメキリの妻も和人から貰ったご飯を食べた後に死んでしまったこと。和人が自分らのボスを毒殺したのだ、と捉えたアイヌ人がマメキリを中心として国後島で蜂起。まずはクナシリ地方(国後島)で和人の商人や商船を襲撃。続いて、対岸のメナシ地方(道東方面)でも同様に和人を襲撃。130人のアイヌ人が蜂起し、71人の和人を殺害。松前藩に鎮圧された。実は北方領土に住んでいたアイヌ人は裏でロシアと関係を持っていた。択捉島付近で狩猟することができるラッコの毛皮を求めてロシア人は付近までやってきていたのだ。江戸幕府老中の松平定信は、抑圧されたアイヌがロシアに協力を求めることを強く恐れた。結果、幕府は現地の情勢を詳しく把握するよう努める。アイヌが蜂起した原因が和人商人の仕打ちによるものであることを突き止め、アイヌの待遇改善を松前藩に求めた。ついで10年後の1799年、幕府は道東を幕府の直轄領にし、本格的にロシアが南下してくる前に択捉島までを幕府の支配下においた。、、、しかし1813年頃になるとロシアとの関係が改善。アイヌに気を遣う必要がなくなった幕府は、道東を松前藩に返却、アイヌへの不当な扱いも再度横行するようになってしまった。

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 さて、根室半島チャシ跡群。道東旅行4日間のうち2日目、レンタカーで13時前に根室半島に到着。ここから日本本土最東端の納沙布岬まで進む道中にチャシ跡が点在している。狙うはそれらの代表格ヲンネモトチャシだが、看板等が出ているのであれば点々とするチャシ跡のいくつかは是非拝んでおきたい。進行方向の納沙布岬方面やオホーツク海は霧で霞んでおり、期待していた北方領土、歯舞諸島や国後島はどうやら拝めそうもない。そもそも納沙布岬付近の灯台ですら、その先端部分は霧で白くぼやけており見えない。が、気を取り直して出発。

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 ヲンネモトチャシの途上にあるはずの他のチャシ跡だが、これらおそらくほぼ未整備なのだろう。案内板の類は一切ない。13時10分に「シエナハウシチャシ」というチャシ跡に着いたのだが、ご多分にもれず看板はない。地図を見ておそらくここだろう、と推測。素通りしてきた他のチャシと違い停車して行ってみようと思ったのは、そこに通じてそうな横道のようなものがあったため。それがあったから立ち寄ったが、他のチャシは地図上で指しているチャシに近づくための道がそもそもなさそう。というわけで、シエナハウシチャシ跡に近づく。この道、海辺の工場か作業場への通路っぽい。海辺に出ると、左側に面崖式のチャシっぽい丘があり。おおこれがチャシかと興奮したのだが、地図上のチャシは海に向かって逆の右手っぽい。どっちだろう。地図が間違っているのか。右手を見てもチャシっぽい形の地形を視認することはできない。、、きっと左側のがチャシだろう。希望的思い込みで、そのチャシっぽいものを写真に収める。シエナハウシチャシを13時30分発。
 13時45分、ヲンネモトチャシ跡着。納沙布岬東端に延びている道路には小さな看板がかろうじて設置されてある。が、他の100名城や続100名城のような分かりやすく大きな看板ではない。栄えある100名城ナンバーワンなのにヲンネモトチャシですらこうなのである。根室市はもう少し商魂だしてもよいのではないだろうか。
道道沿いの看板を左折するとすぐに駐車スペースがあり、草が生い茂るエリアが広がる。ここは温根元漁港のすぐ横で、漁港にはもう一つ先の道を左折すると降りていくことができる。車から降り、青々した草を前に立つ。目の前に広がるオホーツク海。ついにきましたヲンネモトチャシ跡。北海道の最東端にあることから100名城最難関と言われ、ここを攻めるのは本来かなり先の見通しだった。根室チャシ群は栄えある100城目に、とすら考えていたくらい。こんなに早く訪れるとは思っていなかった。このコロナ禍に東京オリンピックの4連休が現れ、まとまった休みなのに他の計画が立てられず結果個人の城攻めを優先することを周りに理解してもらえた、そんな幸運で偶然の城攻めである。
さて、駐車場からチャシ先端まではすぐそこ。生い茂る草の中、草を押し分け切り開いたような細い道を歩き登り、チャシの先端へ。あまり歩くこともなく、ほどなく到着。右手には漁港、左手にはオホーツク海を臨む絶好のロケーションである。「ヲンネモトチャシ跡」と書かれた杭がもしなければ、誰もこの場所が100名城の一つであること、クナシリメナシの戦い跡地であるとは思わないだろう。白い杭の前で記念撮影。100名城巡りではこれまで記念撮影などはやってこなかったのだが、遠路はるばる訪れたことから沸き起こる興奮と達成感から友人とパシャリ。いやはや遠くまで来たものだ。ヲンネモトチャシに立ち眼前に広がるオホーツク海方面をしばらく眺める。やはりだが、霞んでいて歯舞や国後を拝むことはできない。が、本来ここから北方4島、特に歯舞諸島は目と鼻の先であり、確か一番近い貝殻島までは3.7km。当時、国後島で蜂起し、その後メナシ(道東)のこの場所、ヲンネモトチャシで戦ったアイヌの人々。彼らにとっては、歯舞や国後島には自転車でコンビニに行くような感覚で行き来していたのではないだろうか。むこうではロシアも狙っていた貴重なラッコの毛皮が捕れるそうな。
 ヲンネモトチャシ跡から戻り、一旦道道に出て漁港に降りる。温根元漁港には船が数隻、何らかの作業をしている人もまばらにいる。漁港に降りて左方面を見やると、ヲンネモトチャシ跡が海にせり出すように延びている様を、側面から拝むことができる。このアングルが、よく本で紹介される際に写真に使われている。霧で霞んではいるが天気もよく、よい写真を撮ることができた。
 その後、漁港を後にして、納沙布岬の東端にある北方領土資料館に到着。駐車場はだだっ広く、奥に有名なオブジェ「四島のかけ橋」が見える。クナシリメナシの和人71人の殉難墓碑もある。時間があればここはじっくり見て回りたいところだが、そそくさと北方領土資料館に入る。100名城スタンプを無事に押すことができた。パンフもここでゲット。今回はヲンネモトチャシがメインで、前後4日間で美幌→釧路→根室→網走と欲張る行程だったため、ここ納沙布岬に時間を割くことが叶わなかった。再訪の折は、納沙布岬、北方領土関係をじっくり見て回りたい。そして、次こそは北方領土を是非この目で拝みたい。

 実は、シエナハウシチャシ、ヲンネモトチャシの前にもう一つ、前日の夜に釧路市街で「モシリヤチャシ」も見学している。釧路の宿泊場所で城攻めアプリを開くと、ほど近い場所に「釧路川流域チャシ」と表示されたチャシを発見。夜だったが、釧路ラーメンを食べに出るついでに歩いて寄ってみることに。歩いて釧路川を東側に渡り、川沿いを北上するとほどなく出現。金網が張り巡らされどうやら入ることができないが、案内板がしっかりとあった。モシリヤチャシのモシリヤとはここら一帯の地名のようで、「川中の島の対岸の丘」という意味らしい。既に22時を過ぎており辺りは暗かったが、街灯に照らし出された部分とそうじゃない部分の明暗の差、コントラストがはっきりしておりかえって恰好良かったかも。

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Another Record

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バイクで城攻め 道東番外編


today's ramen1

『かに屋めし屋 大八』 (根室市花咲港) 花咲カニラーメン 1200円



impressions

 ヲンネモトチャシ、北方領土資料館、花咲灯台と納沙布岬を回り、16時15分「大八」着。取れたて、浜茹での新鮮な花咲蟹が食べられることで有名な店らしい。道路脇にあり、店頭でカニ自体も売っている。店内はカウンターとテーブル席がいくつか。そう広くはない店内はほぼ満席。花咲カニラーメン1200円を注文。
 さすが、道東の港近くで食べるカニラーメン。ゴロゴロとカニが入っている。新鮮な赤い肉は食欲を掻き立てる。とれたてなのか噛むと海の味がするが、それが塩スープとよく合う。とてもおいしかった。ラーメン自体は特別な工夫やこだわりがあるようには見えず、やはり素材の勝利か。



建物の写真 建物の写真 ラーメンの写真

today's ramen2

『?』 (釧路市街) 釧路ラーメン 1100円



impressions

 釧路ラーメンを食べよう、と、ヲンネモトチャシの前日、道東初日の夜に釧路市街に出た。時刻は23時頃。ほとんどの店は閉まっている中、開いている店を発見。店名は覚えていない。確か小さなビルの1階だったような。店内には客はおらずがらんとしている。釧路ラーメンを注文。
 まあうまい。「細ちぢれ麺のあっさり醤油」が釧路ラーメンの定義。定義通りのシンプルなラーメンだった。おそらくはそうたいしたことのないラーメン屋なのかもしれない。しかし、釧路で釧路ラーメンを食べることに意義がある。駆け込みでありつくことができて大変よかった。



釧路ラーメンの写真
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