能島城

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name能島城
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selected続100名城 178
location愛媛県今治市宮窪町宮窪

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攻城日時

2019年12月20日

攻城手段

ANA→リムジンバス(松山)→瀬戸内バス(今治、宮窪)→徒歩→船

攻城記録

 愛媛の続100名城の一つ、能島城。「村上海賊の娘」を読んだばかりなので、能島城と聞くとまず景たちが思い浮かぶ。景の父、村上武吉率いる能島村上は、来島村上や因島村上ら三島村上の中でも筆頭。村上海賊の中でも特に強大な力を誇った。

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能島城は、干潮時満潮時には潮流が激しく渦を巻く、天然の要害。敵の船も近づくことが難しい海城であったそうだ。村上氏は、南北朝時代には既に瀬戸内海ここら一帯を制圧しており、往来する船から通行税「帆別銭」を徴収し栄えた。戦国時代の村上武吉の頃が、村上海賊の最盛期。因島村上は所領の近い毛利元就の毛利家の臣従となり、来島村上は同じく所領が近い河野家(湯築城)の臣従となっていたが、所領が中間地点にある能島村上だけは大大名の参加に入らず独立していた。やがて、河野家が衰退、毛利元就の勢力が大きくなると、半分毛利傘下として毛利水軍の一翼を担う。1576年(天正4年)の第1次木津川口の戦い、1578年(天正6年)の第2次木津川口の戦いに参戦。小説「村上海賊の娘」景が活躍したのは、第1次の方。1585年、秀吉の四国攻めに従わなかったという理由で、村上武吉は小早川隆景に攻められ、隆景の火船攻めの前に難攻不落の能島城も陥落。その後秀吉が天下を統一すると、豊臣水軍の傘下に入る。しかし1588年秀吉の「海賊廃止令」で通行税を徴収する収入源を絶たれ、村上海賊は徐々に衰退する。村上武吉、元吉、景親らは、鎮海山城(広島県竹原市)6000石程度を与えられ、能島城を放棄。能島城は無人島になる。秀吉亡き後の、関ケ原の戦い時に、関ケ原に出陣し留守であった加藤嘉明(伊予松山城)の当時の居城、松前城(まさき)を急襲し ※「三津浜夜襲」、結果撃退され、村上元吉(武吉の嫡男、景の兄)は討死した。一方景親は、関ケ原本戦で細川忠興や池田輝政から家臣へと誘われるくらいに武勇を発揮。1610年、病で死した。
 第1次木津川口の戦い
 顕如の大坂本願寺への兵糧入れの要請に応えた毛利輝元 VS それを阻止する織田信長勢。村上水軍の「焙烙玉」の前に、小田軍が壊滅的な打撃を受け、一向宗門徒への兵糧入れの目的は果たした。この戦いは小説村上海賊の娘のおかげで、武将が登場人物のようにイメージできる。児玉就英、乃美宗勝、真鍋七五三兵衛、沼間義晴、本当に参戦していたか不明だが、雑賀党の雑賀孫一(鈴木孫一)。
 第2次木津川口の戦い
 第2次の方は、村上水軍の焙烙玉対策を取った、九鬼水軍の前に、毛利・村上方は破れる。第1次では息子元吉に任せた武吉が、第2次には参戦している。

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 さて、本日1城目の能島城。前日にANAで羽田19時35分発、松山空港21時20分着。愛媛県は初めて足を踏み入れる。空港トイレの洗面所は砥部焼の陶器製で、愛媛に来た感が増す。空港からリムジンバスで松山駅へ。460円。地元のICカード以外交通系ICカードは一切使えない。22時過ぎ、30分程度で松山駅到着。早朝出発のため、松山駅付近のホテルニューカジワラに前泊。一泊3000円、安い。翌朝6時半ホテル発。まだ暗い。甲子園で有名な斉美高校前を通り過ぎて、松山市駅へ。7時、松山市駅前バスターミナル5番乗場から瀬戸内バス(特急今治経由大三島宮浦港行き)で出発。※7時発の便は今治桟橋行きのため今治で乗換が必要。

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 バスに揺られ伊予松山城や湯築城を車窓から楽しむ。奥道後を過ぎ、石手川ダム、白鷺湖、玉川湖の紅葉を眺めつつ、石手川、蒼社川沿いの317号線をバスは延々と進む。8時25分、今治駅前着。しかしバスが遅れ、乗り継ぎ失敗、予定の20分発ではなく次の8時40分発で出発。瀬戸内バスも相変わらずSuicaは使えない。来島を左に見つつ大島へとバスは渡る。大島と伯方島の間に小さな鵜島があり、さらに大島と鵜島の間にある米粒のような島が能島。横の鯛崎島など地図上ではもはやチリ。石文化公園前バス停下車、そこから徒歩35分3.3kmで村上水軍博物館に到着。9時45分着。宮窪町漁港で潮流体験。1200円。確か2名以上いないと出航してくれない、はず。2人しかいない船は能島、鯛崎に近づいていく。凪の時間で潮流は穏やかだったが、それでも複雑に渦を巻いたり、下からの海流で渦が沸き起こる様を見たり、ひとしきり潮流を堪能。船は加速減速のメリハリがはっきりしていて船上でよろめくことが多いが、能島城にはかなり近づいてくれる。能島城の軍船のような曲輪や岩礁ピットもかなりはっきり見ることができる。景や元吉や景親が駆け抜けたであろう西の船泊まりや、鯛崎島も間近で拝む。能島にしても鯛崎島にしても、想像していたよりももっともっと小さかった。能島城は硬い岩礁の上に曲輪があるのだが、掘作されて段状に積み重なるような曲輪がとても見事。島自体はとても小さいが、能島が本丸、鯛崎島が出丸、関船や小早も曲輪として含めるのだろう。こんな小さな島に本当に海賊たちが群れをなして立て籠もっていたのか?とも思うが、城郭の一部、本丸部分と考えると合点がいく。往時はおびただしい船が停泊していただろうことを想像する。見近島も能島村上の出城?居住区だったという説もあるそうだ。一つ一つは小さいが、全体として巨大な海城を構成していたのだろう。最後は小早川隆景に攻められ、炎上したという能島城。見応えのある城だった。村上水軍博物館をちょっとだけ見学し、次の今治城に向け、11時15分慌ただしくバスで後にする。

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today's ramen

『らーめん おが多 KISUKEBOX店』 (JR松山駅) らーめん 700円



impressions

 時間は22時半。松山駅前のKISUKEBOXというアミューズメント施設の中にある「おが多」に入店。らーめん700円を食す。
うまい。スープを覆い隠すほどの大量のネギと散らばるモヤシとキクラゲ。チャーシューは、燻ってあるのかやけにうまい。スープもこの時間帯にありがたい優しい味。、、スープ上の大量のネギともやし、キクラゲが、荒々しい能島の潮流を想わせる。しかし中身は優しい鶏しょうゆスープ。その様はまるで村上武吉。安宅レンゲをいれると巻き起こる潮流。関船チャーシュー、小早ネギが渦に躍り飲み込まれる。沈んでいくチャシューのかけらは真鍋七五三兵衛か、、。なんていう意図は当然店側にはありません。攻城前に気持ちが高ぶる客の妄想です。



店の外観 ラーメンの写真
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