Photo
2019年2月
2020年1月
Data
- 築城年: 1346年〜1369年(天平年間)
- 廃城年: 1873年(明治6年)
- 城郭タイプ: 平山城(梯郭式)
- 天守タイプ: 望楼型(4重6階)※1597年築
- 天守の縄張り: 複合式
- 築城主: 上神高直?
- 主な城主: 宇喜多秀家 小早川秀秋 池田忠雄
- 関係する武将:
- 主な遺構: 天守(復元)月見櫓 石垣 堀
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
2020年1月11日
攻城手段
新幹線のぞみ 徒歩
攻城記録
岡山県の100名城、岡山城。五大老、宇喜多秀家の居城。関ヶ原で宇喜多秀家が敗れた後は、小早川秀秋の居城となる。ちなみに宇喜多秀家は八丈島に流され、城主よりも長い時間の余生を八丈島で過ごした。宇喜多秀家は、天下人となった秀吉に厚遇され、1597年(慶長2年)に岡山城を築城。旭川を天然の外堀に、秀吉の指導のもと普請には8年をかけた。
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この時代は天守閣の壁に黒漆塗りの下見板を取り付けることが多く、岡山城も同様。そのため外観が黒く、後の時代には烏城とも呼ばれた。
宇喜多秀家が八丈島に流され、小早川秀秋も夭折した後は、池田家を藩主として明治維新に至った。また藩政が安定期に入った17世期末には、旭川を隔てた北側に藩主が憩うための庭園、後楽園が作られた。天守閣は、昭和20年の空襲で焼失。昭和41年に天守を再建。城主の権威を示す書院造りの居間、城主の間も復元された。
さて、岡山城。のぞみで前日18時50分東京発、20時11分岡山入り。駅直結のヴィアイン岡山に宿泊。岡山城へは徒歩30分2.4km。岡山城は昨年訪れているが当時はスタンプ習慣がなかった。今回の目的は、天守外観や櫓の見直しと写真撮影、スタンプ押印。
▼read more!仕事で10時20分には岡山駅を発たなければならない。開館は9時なので、許される攻城時間は開館後30分程度となる。早めに到着して、開館前に天守閣外観や、月見櫓、西の丸西手櫓を見るため、当日朝8時25分出発。歩いて岡山城へ。岡山城は空襲で遺構のほとんどが焼失してしまい、今も残る重要文化財は2棟のみ。「月見櫓」と「西の丸西手櫓」。まずは、烏城公園の外にある西の丸西手櫓へ。これは前回見逃してしまったので楽しみ。旧内山下小学校(うちさんげ)にそれはある。桃太郎大通り?を通り過ぎる路面電車を横目に眺めながら、東へ直進。烏城公園の手前の交差点で右折、右折後すぐにあるコインパーキングの空間からニョキッと急に櫓が見える。そこだけ時代が異なるアンバランスな風景だ。裏に回り、内山下小学校の校門をくぐり、校庭へ。校庭の奥に西の丸西手櫓がひっそりと佇んでいる。こちら側は廃校の校舎内ということもあり、あまり違和感もなく櫓は溶け込んで見える。続いて、烏城公園方面に進み、月見櫓へ。月見櫓は立地が傾斜ということもあり、その土台の石垣がとても高い。石の大きな算木積みで、とても立派。岡山城は再建された黒い洋館のような天守が有名だが、実は石垣に見応えがある。石垣は、豊臣時代から徳川幕府時代にかけて増改築を繰り返したため、野面積みから江戸初期の打込剥、江戸後期の切込剥までバラエティに富んでいて目が楽しい。本丸本段の野面積みによる高石垣は見事。さて、その後、岡山城の天守入口でスタンプだけ押させてもらい、ここでタイムアップ。駅方面に帰る。帰りは急ぎ足20分で岡山駅に到着。
▲close!today's ramen
impressions
岡山駅西口から徒歩数分。昭和25年創業の冨士屋。店内も菊人形が飾ってあったりと、どこか懐かしい雰囲気。そもそも岡山ラーメンとは、鶏ガラや豚骨を使用した醤油系スープ。奥深い味ながら後味がすっきり。さて、中華そば730円を食す。
岡山ラーメンの定義そのままの、昔ながらの優しい醤油ラーメン。なみなみと満たされたスープに箸を入れると、ストレート細麺が顔を出す。チャーシューがまた旨い。形はしっかりしているのだが、煮込まれて口の中でほろほろになる。おいしかった。昭和25年創業って1950年?かなりの老舗だ。ごちそうさまでした。