大野城

Basic information
name大野城
another name(おおののき)
selected100名城 86
location福岡県糟屋郡宇美町四王寺

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Data




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Record

攻城日時

2020年3月6日

攻城手段

西鉄天神大牟田線 徒歩(3時間)

攻城記録

 福岡県の100名城、大野城。「〜大野(オオノ)と椽(キ)、二城(フタツノキ)を築かしむ」『日本書紀』。「大宰府をして、大野、基肄(キイ)、 鞠智(ククチ)の三城を繕治せしむ」『続日本記』。
 663年、白村江の戦いで敗れた中大兄皇子らは、664年に水城を、665年に大野城と基肄城を築いた。援軍を送った百済が滅亡し、高句麗と新羅が倭に攻め寄せてくるのでは、という恐れから、国を押しての大事業。太宰府を守るべく、水城と、そして古代山城の先駆けと言われている大野城を急いで造らせた。

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 大野城は朝鮮式山城。そもそも島国の日本では、周囲の国に攻められることはそうそうない。そんな事情から日本ではあまり発達してこなかった山城だが、一方の朝鮮では、唐やらの脅威に常に脅かされており、それが故に山城築城術が発達した。中大兄皇子の時代の頃、親交のあった百済から築城方法を教えてもらい、日本でも初めて山城が造られた。

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 さて、大野城。大濠公園を13時24分発、天神駅で降り、西鉄天神大牟田線に乗り換え春日原へ。13時50分、春日原(かすがばる)着。歩いて10分少々、大野城こころのふるさと館に着。残念ながら新型コロナの影響で休館のため、側面の通用口に回る。予め電話で聞いていた通りにチャイムを押し、中に入れてもらう。大野城と水城の二つのスタンプを押印。丁寧な封筒入りのパンフも頂いた。

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 こころのふるさと館で応対してくれたスタッフの方に、大野城までどういくのが一番近いか聞くも明確な回答はない。そもそも車が主で徒歩で行く人はそういないのだろう。事前リサーチでは、太宰府駅から歩くのが一1番近いと出てた記憶。確か、駅からは徒歩5km、50分ほどで登城口だったはず。一方、今ここで開いたGoogle MAPを見ると、このふるさと館からは歩いて8.5km、1時間50分と出てる。、、。よし、ここから歩こう。ということで14時11分、大野城に向けて出発。
 ざっくりな行程は、ふるさと館を14時過ぎに出て、歩きに歩き、大野城百間石垣に着いたのが16時30分。そこから太宰府駅まで歩いて17時30分。死ぬほど歩いた。
 具体的に書いていく。まずはこころのふるさと館を出発して、延々と西へ西へ歩く。進行方向には大野城のある四王山が見えている。しかし、その遠さ故に山の全貌と形がよくわかり、それが歩く気を萎えさせる。ここから2時間は歩かねばならない。そしてその半分は登山。さすがに失敗だったか?何度も弱気になり、タクシーが来たら乗ろうかと後ろを振り返り振り返り歩いた。がタクシーは通らず、黙々と黙々とひたすらに歩く。進行方向にある山の形は歩いても歩いてもあまり変わらず、大きくはなってくれない。挫けそうだが、歩く他ない。どのくらい歩いただろうか。1時間は過ぎていた。ようやく周りが山らしい景色に変わる。しかしまだ面白くもない登り坂の車道を、延々と進む。途中、車道である林道と、自然遊歩道の分岐点に差し掛かった。トイレがあり、座ることのできる縁側のようなものもあり、大野城のパンフも透明ケースに入って置かれている。さて、どちらに進もう。自然遊歩道を行くと、目的の百間石垣に近い毘沙門堂まで比較的短い距離で進めるようなので、迷った末、林道ではなく自然遊歩道を選ぶ。歩き出してすぐに思った。これ遊歩道じゃないだろ。立派な山道です。ここからが本当の苦行の始まりであった、、。そもそもこの四王山、大野城の遺構をぐるっと見ようとすると、ふるさと館のお姉さんの話では通常2,3時間はかかると言う。ここは山一帯が遺構なので、距離に加えて高さが出てくる。もはや普通の登山だ。恩師夫婦との100名山を思い出す。靴は最近購入したノースフェイスの山履。足元は安心だが、しかしもろ登山なのにスティックがない状態。さすがに二足歩行では辛くなり、落ちてる枝切れを拾いスティックにする。四足歩行で延々と登る。途中にあった展望場所で、四王山からの景色を眺めつつ小休止。町は変わっても現代の私たちは古代と同じ風景を見ています、なんていう説明板を読み、まったくその通りだよねと相槌を打つ。疲れた。独り言が増える。さらに歩を進め、ようやく毘沙門堂に到着。毘沙門堂の裏は石造りのお堂がくっついていて、文政何年と彫られている。文政、だから、1810年初頭。何だろう、もともと石堂があって、その前面に木造のお堂を接地合体させたのだろうか。さて、この毘沙門堂、道のジャンクションになっており、迷う。3又の枝分かれ地点。引き返したり戻ったりまごまごする。丁度いた登山のおじさんに道を聞き、簡易トイレ横の道を、ほんとにここでいいのかと疑いながらも進む。途中、大野山410mという石碑と看板があり、ここから下りに入る。延々と進む。見てみたいと考えていた「屯水」という古代の水門跡は見逃してしまった。この大野城の山道は道が分かりづらい。展望場所にぽつんといた高校生らしき男の子が「こんにちはー」と声をかけてくれたので、百間石垣まであとどれくらいかかるか聞く。ちょっと遠いかも、と高校生は教えてくれた。ちょっと、とはどれくらいだろう。またしばらく進む。下って、そしてまた登る。そして、ようやく百間石垣という看板が出てきて、道を誤っていなかったことが確認でき一安心する。さらに延々と歩く。たしかに遠い。ちょっと、ではない。途中、林道と並行する部分があり、気持ちが幾分か楽になる。熊出没注意とはないが、人気もなく嫌な感じ。車道を見ると、文明がすぐそこにあることに安心ができる。そして、さらにしばらく歩き、前方に石垣発見!ようやく百間石垣にたどり着いた。時刻は16時30分。14時過ぎに歩き始めたから、かなり歩いたもんだ。疲れもある分、百間石垣にたどり着いた喜びはかなり大きい。
 さてこの百間石垣。朝鮮式古代山城というものは、基本は土塁なのだそうなのだが、傾斜がきつい箇所などを補強するために部分的に石垣を使う。野面では、なさそう。しっかり整形しているわけではないが、横方向に切って平石にし、横長に積み上げている感じ。ここまで岩盤が剥き出しているところがいくつかあったが、ブラタモリで説明していた、アプライト?が取れるのか。鬼ノ城もそうだったが、地産地消で、その山の岩盤を砕いて使用しているのだろう。目があってある方向に力を加えると、バリンと平たく割れる、あれ。きっとあれだろう。アプライトだった記憶だが、、。古代の石垣なのに妙に整形的なのはそんな理由ではないだろうか。それにしてもきれいに積み上げられている。ふと百間石垣の先を見ると、石垣はかなり長く続いている。林道に分断されているが、本来はもっと長いらしい。沖縄の今帰仁城や首里城が頭によぎるくらい、湾曲して長く連なるその様が、それらに似ている感じがする。浸み出してきた水もうまく排水できるように隙間もうまく作っているそうな。百間石垣は、予想していた以上の見事さだった。しばらく見とれる。写真を撮る。来てよかった。満足。
 さて、ここから太宰府駅まで歩くことにする。林道を南下する。登山道はもう夕方なので暗くなる心配があり避けた。ひたすら南下。途中に看板があった北石垣群などは今回は見送る。岩屋城なども同様に見送る。延々と歩く。結局1時間歩いたのでおそらく5km程度か。ほんと飽きて視界が麻痺するくらいに、同じようにウネウネと曲がりくねる林道をひたすら進む。下ったり登ったりまた下ったり。幸い、車は滅多にこない。太宰府口城門の看板を発見。ここは見逃せないので、林道から降り下る。下るとすぐに城門跡がある。いわゆる中世近世城郭と同じサイズくらいの城門。石垣で補強してある。礎石や柱跡も残っており、それなりにおもしろい。そしてまた林道に復帰し、延々と足を前に運び続ける。さすがに歩き過ぎて、足裏の水膨れがつぶれそうで痛い。まだかまだかと足を前に運ぶ。人家が出てきて、太宰府駅が近いことを知り勇気をもらう。そして17時30分、太宰府駅に到着。足が棒。足が棒。足が棒。何度言っても足らない。太宰府天満宮などは今回は寄る予定は元々なく、攻城はこれにて終了。昼にパンを食べたのみであまりにも空腹だったため、駅前のラーメン屋に入る。暗くなる前にこれから水城に行かねばならず、気持ちは焦りながらも、スープもしっかり飲み干す。
 ちなみに福岡は、交通系ICカード、Suica使用可。

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today's ramen

『ラーメン暖暮(だんぼ)太宰府駅前店』 (太宰府駅) 味玉ラーメン 780円



impressions

 九州ラーメン総選挙第一位の看板が目に止まり、空腹の絶頂であったこともあり、あまり迷わず入る。一番人気の味玉ラーメン780円を食す。麺は固め、唐辛子は少なめ、ネギは入れる、全て店員が聞いてくれる。
 うまい。空腹だからそりゃうまいのだが、普通の時でもこれはうまいだろう。机上のにんにくをたっぷり入れた豚骨スープはレンゲが止まらない。硬めの細麺も、スープをよく絡めてくれてよい。チャーシューもうまい。染み渡りました。
 ふと、顔を上げると、他県に展開しているポスターが目にとまった。東京にも店があるようだ。今度足を運んでみようかと思う。



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