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Data
- 築城年: 1479年(文明11年)以前
- 廃城年: 1871年
- 城郭タイプ: 平城
- 天守タイプ: ※御三階櫓 層塔型
- 築城主: 成田氏
- 主な城主: 成田氏 阿部氏 松平氏
- 関係する武将: 成田長親 石田三成 阿部忠秋
- 主な遺構: 土塁 堀 移築門 ※復興御三階櫓
- 主な石垣のタイプ:
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Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
埼玉県の行田にある続100名城、忍城。野村萬斎が成田長親を演じた映画のぼうの城で有名。
▼read more!1590年の小田原攻めで、石田三成の2万の大軍攻められたが、耐え忍び落ちなかった城。北条の支城が全て落ち小田原城も降伏してもなお籠城を続けた唯一の城である。山中城や八王子城など北条の城が次々と攻略されていった中で、領民合わせて3000人の忍城が猛攻を耐えるという難攻不落さ。すごい。北条の再三の援軍要請で軍の主力とともに小田原城に入っていた君主の成田氏長(兄の子)が忍城に帰還し降伏するように説得してようやく降伏した。その忍城の当時の城代が成田長親(歴史的な確証はない)。ちなみに成田長親は、忍城の城代の父成田泰季が籠城中に死去したことによるピンチヒッター城代。平凡な人だったらしい。 手柄を立てさせてあげたい秀吉の親心で戦に慣れていない石田 が総大将だったというラッキーもあるだろうが、その2万の中には長束正家、大谷吉継、真田昌幸、佐竹義宣など錚々たる武将が揃う中で、それでも水攻めなどを城兵わずか数百で耐えたのだから、改めて忍城の難攻不落さを思う。映画では、確か湿地帯をうまく利用していた、ような気がする。記憶が遠く定かではない。北を利根川、南を荒川、東か西を忍川に挟まれた扇状地に点在する沼地や自然堤防を活かした構造。江戸時代は忍藩の藩庁が置かれ徳川譜代や親藩の居城となった。忍藩と言えば、品川の第3台場を作った忍藩。 なお、現在の遺構の基礎は江戸時代の阿部忠秋の時代のものらしい。老中阿部忠秋から確か9代180年間の長い間治め繁栄させたそう。その後、白河→桑名、桑名→忍、忍→白河の三家転封で、今度は松平家が忍にやってきてさらに発展させたのだそう。 ちなみに、忍城の辺りはもともと忍氏(扇谷上杉家臣)の居城。1478年に成田氏(山内上杉家臣)に攻められ、それ以降成田氏が築城したと言われる。成田氏は、弱体化した山内上杉氏を見限り、後北条氏→上杉謙信(不興を買い)→再び後北条と目まぐるしく寝返る。真田氏同様に大国に囲まれて必死で生き延びてきたのだろう。出自は藤原氏など数説あり。
▲close!さて忍城。新宿から湘南新宿ラインで行田駅まで1時間ちょっと。しかし行田駅からは3.8キロ、徒歩だと50分と出ている。駅前の観光センターで無料の観光ママチャリを借り出発。それでも20分はかかった。しかし平地で走りやすい。秩父鉄道の行田市駅の方から行くという手もあり。途中、水城公園を通る。今の忍城は往時の沼や堀が無くなってしまったが、この水城公園では湿地帯だった当時を思い浮かべることができる。その後忍城本丸へ。忍城は御三階櫓、鐘楼など復元され、中が博物館になっている。復元だが、御三階櫓は見事だった。時間がなく、三成堤などは次回に持ち越し。
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impressions
秩父鉄道行田市駅に近い住宅街にある。忍城攻城前に、レンタサイクルで立ち寄る。店名も、貼ってあるレトロなポスター類も、店員さんも、どれもカジュアルで若めな感じ。客層は若者から年配者まで幅広くいた。中華そば太麺中盛750円を食す。前半うまい。見た目が華やか。スープは煮干しの魚介と豚骨か何か合わせてるのかな。うまい。メンマが大きく長く好きな味だった。麺は全粒粉のような食感。もちもちほそほそという感じ。中盛なのに後半はちょっと量が多かった。ごちそうさま。