大内氏館・高嶺城

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name大内氏館・高嶺城
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selected続100名城 174
location山口県山口市大殿大路他

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Data




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Record

攻城日時

2022年12月16日

攻城手段

スターフライヤー
バス

攻城記録

 山口県の続100名城、大内氏館・高嶺城。室町将軍の邸宅を模した方形居館と山城が見どころ。室町時代、周防、長門の守護大内氏は、山口に守護所を築いた。やがて大内氏は戦国大名化、大いに繁栄。最後の当主大内義長は1556年(弘治2年)大内氏館の詰城である高嶺城の築城を開始。しかし翌年毛利が山口に侵攻。義長は城を捨て逃げ、自害。代わりに毛利氏が城を完成させた。 毛利は関ヶ原後に萩に移封。高嶺城は最後は1615年(元和元年)の一国一城令で廃城。

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 大内氏館は京の室町将軍邸を模したと言われる方形居館で、大内氏の勢力拡大とともに増築を繰り返す。築地塀と土塀と堀に囲まれた内郭とその外を巡る外郭があったらしい。大内氏は百済の王族、琳聖太子の末裔であるという伝承もある。平安時代後期に現在の山口市大内に拠点を移したとされ、その後14世紀後半に第24代大内弘世が統治の本拠を山口とした。 高嶺城は標高338mの山城で主要な郭には石垣も使われていた。※以上続100本 現地パンフより引用

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 さて、大内氏館・高嶺城。品川から京急に乗り換え羽田第1ターミナルに6時34分着。スターフライヤーに乗り7時25分羽田発。9時15分山口宇部空港着予定。機内の席では、広くて足が伸ばせて快適だと思ったらどうやら非常口座席だったようで客室乗務員がやってきた。荷物は床下に置けないから上に上げてくれ、非常口席のしおりを読んでおけと。非常口席は初めて。非常口に接している座席列の客は緊急脱出の援助をしてもらう、という行から始まるしおりを言われた通りに読む。「乗務員が非常口を完全に開放するまでの間、他のお客様を制止すること」いくつかある中でこのくだりがかなり気になる。一般市民にそんな大役果たして務まるだろうか。 飛行機は22000フィートを行く。天気は晴れ、そしてそんな重責を当然担う出番もなく、9時15分無事に山口宇部空港に到着。

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 厚い灰色の雲を抜けて降りてきた通りに地上は曇り。空港を出てすぐ目の前に新山口行きのバスが停車している。9時30分出発。1580円、Suica可。移動のための道路という感じで車窓は何も楽しませてくれない。新山口駅に10時着。新山口は新幹線のためにできた駅なのだろう。新しく、そして周辺に目ぼないものはない。10時30分ロータリー4番乗り場から防長バスに乗る。バスはICカード不可、1万円もくずせず、駅で670円の切符を買い戻る。スポーツの森行き、竪小路バス亭で下車。タテコウジと読むらしい、ケンコウジと言ったら案内所の愛想のないおばさんには通じなかった。道中はそう特色があるわけではないが街並みや店が目を楽しませてくれた。維新公園や中原中也生誕地なども通る。
 11時7分堅小路バス停着。ここから大内氏館は歩いてすぐ。高齢の方が多いのどかな田舎という印象。まずはスタンプを押すべく大路ロビーへ。ここでパンフももらう。パンフには方形居館の大内氏館跡がわかりやすく記載されている。龍福寺の参道から山門へ北に進む。紅葉が赤くきれいに色づいている。気温も上がり温かくなってきた。山門をくぐり方形居館の中へ。奥には重要文化財の本堂が存在感を放っている。向かって左には資料館か、第30代大内義興の像があり。西に出て石組水路と西門を見学。復元西門は思っていたよりずっと小さかった。そこから北へ歩きこれまた小さな枯山水庭園を見て、方形居館を取り巻く土塁に上がる。土塁の高さは1mほどで往時は築地塀や板塀が張り巡らされていた。東に回り石組かまどとせん列建物をあっさり見て、池泉庭園を横目で見やりつつまた本堂の方に戻る。
 時間は12時前。バス時間が迫りここで攻城終了。見学時間は1時間もいらないかも。
 

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