島原城

Basic information
name島原城
another name森岳城 高来城
selected100名城 91
location長崎県島原市城内1丁目

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Data




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Record

攻城日時

2020年3月7日

攻城手段

島原鉄道バス

攻城記録

 長崎県の100名城、島原城。1616(元和2)年、大和(奈良県)五条から島原に移封した松倉重政は、1618(元和4)年から7年余りの歳月を費やし島原城を築いた。城は昔「四壁山」「森岳」などと呼ばれた小高い丘を利用して築かれたので、別名、森岳城と呼ばれていた。

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 島原城は、南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所あった。内郭は堀にかこまれた本丸、二の丸を設け、その北に藩主の居館である三の丸が続く。本丸には五層の天守閣をはじめ、3か所に三重櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えだった。
 島原城は、松倉氏、高力氏、松平氏、戸田氏、松平氏と、4氏19代、253年間の居城だったが、1874(明治7)年に廃城となり、民間に払い下げられる。1964(昭和39)年に天守閣が復興。 

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 さて、島原城。原城前から島原バスに乗り、島原港を通り過ぎて、13時40分大手バス停に到着。そこから歩くこと10分程度、島原城址公園着。島原港から北方面は比較的都会だ。今日は断続的な雨模様で、足裏の水ぶくれも痛く、原城からバスで直接来れたのは非常にありがたい。さて、島原城だが、立派。堀も広く、石垣も高く規模が大きい。たった4万石の松倉重政がこの規模の城を築くとは、やはり分不相応だと、目の当たりにして改めて思う。4万石の民でこの規模の城を築こうとすれば、それは無理な徴収、無理な労働を課すことになるだろう。一揆も起こるべくして起こった。そんなことを考えながら、堀沿いに城郭を眺めながらぐるっと回る。

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 さて、二の丸と本丸の間から堀底に降りる階段があり、降りる。降りて下から石垣を眺める。老朽化してるが見上げると改めて立派。本来はなかった階段で本丸に上がり、島原城の城郭内に入る。その途中の大手道ではとても立派で巨大な鏡石が複数あった。権威を示すための鏡石。石垣の角にも縦に長い巨石を使ったり、贅沢に、ちょっと背伸びをしているように感じる。
 さて、本丸内には、外観復元された天守と、2棟ほどの三重櫓がある。天守は5層。1階部分は海鼠壁のような、黒壁に盛り上がった白い格子が入っている。4万石で、、とまた思う。キリシタン一揆の発端の一つでもあった城のため、先入観があり、決してよい印象を持っていないのだ。見方も自然と厳しくなってしまう。雨が強くなってきたので天守内へ入る。入口でスタンプ押印。1階がキリシタン展。2階が郷土資料展。3階が民俗展。4階が観光物産展で、5階が回縁のある最上階。1階のキリシタン展がとてもよかった。原城のキリシタン博物館が新型コロナで休館だったため、島原半島に来て初めて当時のキリシタンの資料や文化財を見ることができた。
 1543年に種子島に漂着した中国船に同乗していたポルトガル人から鉄砲が伝わり、これを皮切りに平戸と豊後で南蛮貿易が始まる。戦国時代を生き抜くため南蛮貿易の利益を欲した地方大名は、布教の許可と引き換えに貿易の利を手に入れた。有馬晴信にしてもご多分にもれず利益目当ての側面もあっただろう。そして自分も入信して布教が広まり、農民たちもキリシタンになる。しかし、時を経て、その信仰の強さで農民たちが圧政に対して蜂起する、、。元は貿易の利益目当ての布教許可だったのにも関わらず、だ。農民たちのことを思う。自分の信仰しているキリスト教の、コトの始まりを知らないとは言え、信仰のために死んでいった農民たちをかわいそうに思ってしまう。
 さて、話をキリシタン展に戻すと、キリスト教の広まりから、弾圧までの流れが分かりやすく資料とともにパネル展示してあった。その広まりとその弾圧の間の、取り締まりが厳しくなった時期に、人々がどうその目を掻い潜って信仰を守ったのか、がよくわかった。マリア観音菩薩や、裏に実は十字架が刻まれている仏像など、当時の人々の苦労、工夫がよく見て取れた。弾圧期の、踏絵ならぬ島原オリジナルの踏箱や、外国人が描いた雲仙地獄の殉教図(雲仙の熱湯をかけられる拷問)など、生々しくて、見ていて辛くなるほどだった。2階以降はあっさり流し、5階へ。回縁を作ってくれたのはありがたい。四方を眺める。眉山、と書いてマユヤマと読む、徳島の眉山ではない眉山が天守からよく見える。
 外は雨。気温も10度くらいか、少し寒い。今日は早めに切り上げて、明日からに備えて足裏を労ろう、ということで、熊本に戻ることにする。城から島原駅まで歩いて8分程度。島原鉄道の島原港までの切符を買う。しかし、バス時間と勘違いしていたようで丁度いい電車がない。ホームに入ろうとして駅長さんに間違いを教えてもらう。払い戻しし、16時10分、駅前から島原バスに乗り島原港へ。ちなみに島原鉄道も島原バスも交通IC系使用不可。島原港についた頃は本降り。ちょうどいいフェリーはないので待合室でこの記録を書いて待つ。島原城にあった割引チケットで、行きの半分の時間で到着する熊本フェリーオーシャンアローが880円(本来は1100円)で買えるため、それを利用することに。オーシャンアロー号は定員は430人、車は55台。大型バスも運搬できるらしい。とても大きい高速船。17時30分島原港発、18時過ぎ熊本港着。30分で着いた。

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