白河小峰城

Basic information
name白河小峰城
another name小峰城 白河城
selected100名城 13
location福島県白河市追廻

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Photo

前御門と三重櫓 前御門と三重櫓 前御門と三重櫓

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Data




Map




Record

攻城日時

2020年1月4日

攻城手段

JR東北本線

攻城記録

 福島県の100名城、白河小峰城。江戸時代初期に、築城の名手丹羽長重が城主となり、大改修。盛岡城、会津若松城と並び「東北の石垣造り三名城」と称されるほどの、急勾配で高石垣の総石垣造りを完成させた。白河小峰城は、古くは白河結城氏が築城したことが始まり。

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 白河結城氏は豊臣秀吉により天正18年に改易。蒲生氏、上杉氏を経て、江戸初期に丹羽長重が城主となる。丹羽長重は中世城郭だった小峰城を、いまも残る高石垣の近世城郭に改修。小峰城は一国一城令の後に築城されたため天守を立てることはできず、代用として御三階櫓が1632年(寛永9年)に建てられた。丹羽氏が二本松へ転封となって以降は、徳川の譜代大名や親藩の松平諸家が入封、幕府の直轄地となった。そして白河小峰城は幕末の戊辰戦争(白河口の戦い)で焼失。現在の御三階櫓は1991年(平成3年)に木造で復元された。奥羽の咽喉と呼ばれた白河は、東北の関門。戦略的に最大の要地だった。しかし、その軍事的拠点となるはずの白河小峰城は、藩主の阿部家が兵庫開港問題で棚倉に転封しており、戊辰戦争時は藩主不在の空き城。こんな状況で白河城は戊辰戦争を迎え、そして焼失した。
 ※白河口の戦い
 戊辰戦争における東北各地の戦いの端緒と言うべき戦い。会津藩による白河城占拠を知った江戸からの指令で、新政府軍は宇都宮から白河へ出陣。慶長4年5月1日は、白河の1番長い日と言われる。関東から北上してきた新政府軍(薩摩、長州、大垣、忍)700人が、旧幕府軍(会津藩、奥羽列藩同盟、新撰組など)2500人が守る白河城を攻撃。戦略や近代兵器に恵まれる新政府軍を前に歴史的惨敗。建物全てが焼失。1873年(明治6年)の廃城令時には、存城処分となったが、曲輪土塁石垣水堀を残すのみだった。
 ※丹羽長重
 信長に仕え、秀吉が出世する足がかりとなった、あの丹羽長秀の子。父とともに秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦いに参加。 浮き沈みの激しい人生。
 ※丹羽長秀
 丹羽長秀は、信長に抜擢された武将で、柴田勝家とともに小田家の双璧と言われた。六角氏征伐の観音寺城の戦いにも参加し武功を立てたり、姉川の戦い後は佐和山城主にもなったり、安土城普請の総奉行を務めたりと、自分が城巡りをしてよく知っている歴史の名場面によく顔を出してくれる武将。
 
 ※最古の公園
 寛政の改革で有名な松平定信が、水利開発のために作った回遊式庭園(現在の南湖公園)は、市農工商の四民に解放され、日本最古の公園と言われている。

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 さて、白河小峰城。白石駅から東北本線に乗り白河駅に行く鈍行ルートを選択。城最寄りの白河駅には、白石からは2時間50分かかるのだが、そのうちの1時間は福島と郡山での乗り継ぎ待ち時間。途中の郡山駅でもホームにて乗り継ぎ電車を待つ。郡山駅は磐越西線と磐越東線も交わるジャンクション駅。新白河行きの2番線ホームに立ち、線路を挟んだ1番線に停車中の磐越西線の列車「会津若松行き」という文字を懐かしく思いながら眺め待つ。13時30分、白河駅着。

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 なんと白河駅はSuica不可。白石からの1980円は現金払い。白河駅から白河小峰城までは徒歩5分(400m)。城はホームからも見ることができるくらい近く、北にある。だが駅は南口しかなく、南口から出て地下道を通り、北へ。地下道を抜けて少し行くとすぐに白河小峰城が見える。前御門と奥に連なる三重櫓は噂に違わず見事。また、清水門から入った正面にある多聞櫓跡の石垣群がとても見事。高い。10m程度あるだろうか。全体の作りも自分好みの不整形。清水門から入りすぐ正面に、高石垣の部分部分に不思議な箇所がある。落とし積み石垣、というらしい。三箇所程度、高石垣の上部が半円弧を描いており、幾何学模様のような、まるで石文化の外国の遺跡を見てるような気分にさえなる。 二の丸カフェで、先入りの友と合流し、一度駅方面に戻り白河ラーメンを食す。その後友と解散し1人小峰城へ。 改めて清水門を通り、半円弧の高石垣を仰ぎ見ながら、前御門と三重櫓へ。テレビで見たことのあるアングルで写真を一頻り撮り、前御門から本丸、三重櫓へ。三重櫓は、無料だった。正月だけかと聞くと、通年無料だとのこと。三重櫓一階でスタンプ押印。白河小峰城は木製の復元天守。白石城や大洲城、浜松城とおよそ時期を同じくして復元したらしい。復元天守の木材は、小峰城から2キロほど南にある稲荷山の杉材を使用。この稲荷山、戊辰戦争時に白河口の戦いの最大の激戦地。放たれた鉄砲の銃弾の多くが杉の木に撃ち込まれ残った。そのため、稲荷山の杉を利用した小峰城は、戊辰戦争時の銃弾痕が床や柱のいくつかに見られる。柱は樹齢400年の両手で回らないくらいの杉を削って切り出したものなのだが、木の奥深くまで達した銃弾痕を見ることができる。さて3階の最上階へ。最上階は、狭い。小峰城は逓減率が高く、3階部分が外から見ても小さいが、中はより狭いものに感じる。10畳くらいだろうか。回縁などはなく、外に出ることはできない。また窓にしても、武者窓の隙間からでしか景色を拝むことはできない。小峰城の中はあまり見所はなく、1時間程度あればゆっくり回ることができる。三重櫓を出て、一旦清水門を出る。丁度夕陽のきれいな時間帯で、振り返った小峰城がまた見事だった。写真を撮りにまた前御門と三重櫓へ戻る。それにしても白河に来てからは雪がちらつき寒い。余裕を持って白河駅へ戻ることに。16時22分白河駅発、16時26分新白河駅着。16時51分、やまびこで東京へ。

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today's ramen

『香来軒』 (JR白河駅) ラーメン 500円



impressions

 攻城前にラーメン屋を探す。白河駅南口、徒歩5分くらいだろうか。香来軒。地元の中華料理屋さんという印象。他に客はいない。のれんに「白河らーめん」とあり、入店。しかしメニューにはどこにも白河らーめんはない。聞くと、全て白河ラーメンだと。とりあえずスタンダードそうな「らーめん」を注文。ワンコインと安い。
 第一印象は喜多方らーめんという感じ。縮れ太麺でしょうゆスープ。シンプルなラーメン。普通においしかった。白河らーめんの定義がわからないが、鶏出汁しょうゆベースのスープに縮れ太麺、なのだろうか。外は雪がちらつく。暖まることができた。ごちそうさまでした。



ラーメンの写真 ラーメンの写真
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