杉山城

Basic information
name杉山城
another name初雁城
selected続100名城 119
location埼玉県比企郡嵐山町杉山

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Data




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Record

攻城日時

2021年9月20日

攻城手段

SR400

攻城記録

 埼玉県の続100名城、杉山城。武蔵比企郡にあった中世山城。高度な築城技術が特徴で、虎口や土塁、堀のいたる所に横矢掛(よこやがかり)が施された築城の教科書のような山城。保存状態も良好。築城年代、築城者とも不明だが、長享の乱(1487年〜1505年)で山内上杉氏の拠点であった鉢形城と、扇谷上杉氏の拠点であった河越城のほぼ中間に位置していた。近年の発掘調査では、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築城したという説が有力視されている。

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 遺構の年代は15世紀末から16世紀前半。後北条氏の時代ではなくそれ以前の、関東管領の山内上杉氏と同族の扇谷両上杉氏と古河公方による関東覇権をめぐる三つ巴の抗争(長享の乱)が繰り広げられていた時代に、山内上杉氏によって築かれたという説が有力。
 この長享の乱と呼ばれる一連の戦いの中で、当時の嵐山町は山内上杉氏の拠点である鉢形城と扇谷上杉氏の拠点である河越城の中間にあった。長享2年(1488)には須賀谷原(嵐山町)で多くの戦死者を出す激しい戦闘があったのだが、杉山城跡から出土した遺跡の年代はこの戦いの少し後にあたる。そのことから杉山城は山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築城したものと考えられている。
 杉山城は、小高い丘陵上に高低差を利用したおよそ10の曲輪を階段状に配置した縄張が特徴。本郭を中心に3方向へ郭群を展開しており、土塁や堀で造成された塁線には屈曲が多用されて、敵方を側面攻撃しやすくする工夫がなされている。また虎口にはほぼ例外なく喰違(くいちがい)や折(おれ)が施され、枡形が設けられるなど可能な限りの技術が凝らされている。
 ちなみに杉山城は、近接する菅谷館跡、松山城跡、小倉城跡とともに国指定史跡「比企城館跡群」となっている。

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 さて、杉山城。9時30分に環八のファミマで友人と合流し、関越道に入る。新型コロナウィルスの感染拡大第5波で首都圏は緊急事態宣言中。一時は1日の感染者数が5000人を越えていたが現在は原因不明の減少時期にあり本日は300人だった。とは言え遠くには出かけられないため、バイクで首都圏の続100を攻めることに。バイクは、この秋の車検前に引退を考えていたのだが、結局維持することに決めた。あと2年。46歳まで。それまでは行けるところはできる限りバイクで攻城したい。

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 さて今回の目的地は埼玉県の続100名城、杉山城と菅谷館。もとい、環八のファミマ練馬高野台店で友人と合流し、9時30分出発、練馬インターから関越に乗る。三連休の最終日で、いつもほどではないにせよ環八も関越もそこそこ混雑している。空は台風一過で真っ青。雲ひとつない。一車線を80kmほどでゆっくり走る。やはりバイクは気持ちがよい。渋滞はあっても1km程度ですぐ流れ、順調に進む。10時20分、嵐山小川インターで関越道を降りる。降りて下道はすぐにT字路。交差点の看板は左が菅谷館、右が杉山城。右に進む。まずは縄張り図とスタンプを手に入れるべく嵐山町役場へ。
 10時30分嵐山町役場着。きれいで立派な町役場だ。1階エリアは土日祝日も開けてくれているようで、ありがたいことにスタンプを押しっぱぐれることはない。縄張り図も手にし、いざ杉山城へ。
 11時、杉山城駐車場着。徒歩の場合は大手正面の積善寺から縄張りに入ることができるのだが、車の場合は西の外郭方面にある駐車場から入らなければならない。バイクを停めて出発する。中学校の入口から入るためちょっと戸惑うがしっかり看板は出ている。中学校のある外郭からは徒歩ですぐに大手口に着いた。大手口から馬出郭、南三の郭、南ニ、東ニ、東三、北ニ、そして本郭へと進む。本郭に差し掛かった時は道(堀底)が二つに分かれていたので自分が左ルート、友人が右ルートと別れて動いてみた。高い土塁を見上げながら一人歩く堀底は、縄張り図が頭に入っていないと迷い込んだ巨大迷路のよう。心細くなる。杉山城は空堀と土類がきれいに残っており、横矢掛(よこやがかり)が幾重にも施されていて、歩いていておもしろい。攻め手の気持ちになり登り、登っては守り手の気持ちで見下ろす。往時は土塁の上に櫓や土塀があったのだ。こんな死角のない道に攻め込まなければならない足軽たちは本当に不憫。平山城だがそこそこの高さはあり多少の見晴らしはある。遠くに日光男体山も見ることができる。本郭の後に、井戸廓と井戸跡を見学。井戸跡は今でも水を湛えていて、棒を突っ込むとズブズブと50cmほどは優に入っていく。廃城時に使えなくしようとしたのか石蓋がしてあるが、今でも枯れることなく山椒魚の生息地になっているらしい。12時20分駐車場に戻る。
 杉山城を振り返る。技巧的で教科書のような縄張り、という看板に偽り無し。杉山城は歩くのにとてもおもしろい城だった。鮮やかな赤い彼岸花など季節も楽しむことができて、よい時間だった。
 余談だが、本郭で15人ほどのシニア御一行に遭遇、お兄ちゃんがいるから撮ってもらおうよ撮ってもらおうよ、と写真を頼まれる。今日は敬老の日だが、もちろんそうではなくても嫌な顔一つせずに愛想よく応ずる。応ずるが、御一行の動きがとても遅い。いいですよ、と応じて皆が自分の前に集まってくるのを待つも、これがなかなか速やかには集まらない。集まったら呼んでください、と言い残し付近を見学することに。すみませんね、と程なく呼ばれたので、3枚ほどパチリパチリパチリ。若い人に撮ってもらうと若く映ることができるのよ、と満面の笑みのおばさまから話しかけられ、はあなるほどという曖昧な表情でやり過ごす。若いとかお兄ちゃんという言葉を素直に喜ぶには自分は中途半端な年齢であると思う。あまり嬉しくない、44歳、おじさんへの背伸びもあるのだ、と自分の心に驚く。お兄ちゃんと言われるような青瓢箪ではないぞと。もう少ししたら素直に喜べるのだろうか。それとは別にシニア御一行の面々の楽しそうな様子。自分の延長線上にいる方々が喜び楽しんでいるのを目の当たりにすると、未来に希望を感じる。

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today's ramen

『麺工房かたくり』 (道の駅おがわまち) かき揚げ付きうどん 800円



impressions

 攻城と言ったら麺、なのだが、ここら一帯にラーメン屋などはないようで、杉山城から5km、バイクで10分ほどの「道の駅おがわまち」までいく。この道の駅には「麺工房かたくり」という自家製手打ち麺を出してくれるところがあるようで、そこに入る。時間は13時頃。そばはもう売り切れ、うどんしかない模様。仕方がないと、かき揚げ付きうどん注文。100円で大盛りにした。
 出てきたのはこしの強そうな若干茶色みがかったうどん。出来立ての手打ちうどん感がぷんぷんする。食べてびっくりうまい。コシがとにかく強い。そしてかき揚げが美味かった。沼津の丸天には負けるが、かなり大きな立体的なかき揚げ。味もよかった。こう美味ければ、うどんも良いね。ごちそうさまでした。



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