駿府城

Basic information
name駿府城
another name府中城 静岡城
selected100名城 41
location静岡県静岡市葵区駿府城公園

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Record

攻城日時

2021年10月2日

攻城手段

東海道新幹線 こだま

攻城記録

 静岡県の100名城、駿府城。徳川家康が人質時代の幼年期、壮年期、晩期と3つの時代を過ごした城。

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 1549年(天文18年)今川氏の全盛期、9代今川義元の時代に、家康(松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活した。 後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受け、家康の人間形成の上で非常に重要な時期を駿府で過ごした。
 戦国争乱の中、1568年(永禄11年)12代今川氏真は甲斐の武田信玄に攻められて掛川に落ち、駿府の町は焼き払われる。 さらに、1582年(天正10年)には家康が駿府の武田勢を攻め、再び戦火に遭った中世駿府の町は、ほぼ壊滅状態となる。 駿河国を領国の一つとした家康は、1585年(天正13年)から居城として駿府城の築城を始め、1589年(天正17年)に完成させた。これらは現在の二ノ丸以内の部分。
 しかし、家康は翌年関白豊臣秀吉の命によって関東に国替えされ、豊臣系の家臣中村一氏(なかむらかずうじ)が城主となる。 豊臣秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した家康は、1603年(慶長8年)征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。
 1605年(慶長10年)将軍職を2代秀忠に譲った家康は、その翌年駿府を「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻る。 天正期の駿府城を拡張(三ノ丸)修築し、駿府の町割りや安倍川の治水事業に取りかかり、現在の静岡市の市街地の原型が造られた。 そして、家康自らは、晩年も「大御所」として天下の実権を掌握し、駿府は江戸を凌しのぐ政治・経済・文化の中心としてその黄金時代を迎えた。 1616年(元和2年)家康は75歳で死去。久能山東照宮に埋葬される。 寛永12年(1635年)城下より出火、城内に延焼し天守・御殿・櫓・塀等大半を焼失。3年後に復元工事が完成するも天守は再建されず。

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 さて、駿府城。13時20分、静岡駅着。本日2城目の駿府城へ。駅前で海鮮丼を食べて、いざ出発。北口を北へ進む。ふと建物側を見やると「徳川慶喜公屋敷跡」という碑が出現。浮月楼(ふげつろう)という懐石料亭なのだが、どうやら慶喜の屋敷跡らしい。徳川慶喜は大政奉還後の明治2年、元の代官屋敷に手を入れて現在の浮月楼の庭を作り、20年の長い時間を過ごした。狩猟や自転車、写真や油絵など趣味に没頭していたそうな。

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 さて北に進むとは書いたものの、正確にはこの辺りの道は南北には伸びておらず斜めの区割りのため、進んでは右折、左折を繰り返す。静岡駅周辺は予想以上に都会だ、が歩いた第一印象。仙台の一番町辺りの雰囲気に似ている。思えば静岡駅周辺をまともに歩いたのは初めてだ。2014年に友人との忘年会で訪れて以来。7年前か。その時は夜に着いて翌早朝に巽櫓を公園の外から眺めたのみ。巽櫓の記憶のみ微かに残る程度で全く覚えておらず、初めての街のようで新鮮。駿府城公園へ歩みを進める。葵区役所の大きな建物が見えてきて、その辺りから景色に石垣が入り混じり始める。ここは既に外堀と内堀の中。葵区役所を迂回し突っ切り内堀へ。そして巽櫓が見えて来た。広い水堀と白く美しい二重櫓。やはり駿府城は江戸城に似ている。青空をバックに巽櫓が映える。東海道中膝栗毛の2人、弥次さん喜多さんの銅像があり、ここに立った記憶が少し蘇る。
 巽櫓のすぐ先の東御門から入城。大きな桝形虎口と見事なはつりの大きな石垣群が出迎えてくれる。東御門と巽櫓、坤櫓、紅葉山庭園のチケットを購入し、100名城スタンプも押印。現在通算75城目。3つ回れるチケットは15時で販売終了となるようで、ぎりぎりであった。
 まずは東御門の中へ。ここは資料館になっている。駿府の歴史を勉強しつつ進む。東御門からそのまま靴を履かずに巽櫓内へ。16時前までに坤櫓と紅葉山庭園に入らねばならず、急ぐ。
 巽櫓を出て坤櫓へ。坤櫓内は櫓の構造を見ることができる。釘を使わない組み込み式の柱や強化ガラスの上に乗り床下も見ることができる。ここもそそくさと出て、紅葉山庭園へ。しかしここで15時50分。相談の上、庭園はスルーしてよいかということになる。
 代わりに天守台発掘調査中の現場を見学することに。一度入るもトイレで引き返し、途中の家康像を見学して、そして戻ったところで16時10分。なんと門が閉まっていた。愕然。ここも入場は16時だったようだ。恨めしそうにスタッフのいるプレハブを見やるとおばさんがこちらを視認して、そしてカーテンを閉めた。それでも粘って見続けていたらどうかしたか?と出て来てくれたので、かくかくしかじか、どうにか入れないかと縋ってみる。非情なおばさん。規則だから、と取り付く島もない対応。呆然。気を取り直すことがなかなかできないままに、外からアクリル越しに発掘現場をのぞく。まあ、アクリル越しにでも概要はわかる。天正時代の古い天守台跡と、その奥に広大な慶長期の天守台跡。二つは慶長期の南東角辺りで位置的に重なっている。概要はわかるのだがしかし近くに行きたい気持ちが募る。金箔瓦が大量に出土、という看板が見える分、やはりますます近くで見てみたい。出土した天守台の石垣とその周りに散乱する裏込め石らしき大量の石群を間近で見てみたい。非常に残念。
 16時半頃公園を出て、駅へ引き返し始める。アド街で見た濃厚抹茶ジェラートの「ななや」に入り、No.7の濃厚抹茶とプレーンミルクのダブルを食す。この組み合わせが非常に美味。No.7は濃厚すぎてジェラートマシンがよく故障するらしい。評判に違わずうまかった。18時40分帰途に着く。発掘調査現場については残念だったが、台風一過の晴天に恵まれ、とてもよい一日だった。

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today's ramen

『魚 のへそ』 (東海道線静岡駅) 寿司屋の賄いトロたく丼 1250円



impressions

 何か静岡名物を、とネットで探すもおでんかお茶かばかり。海鮮を食べたいという声が上がり、ではということで静岡駅北口出て西に行きすぐ、口コミの評価が高いのへそに入店。昼時だが少し遅いせいか店内はそう混んでいない。さすが静岡、当たり前のようにグラスに緑茶が注がれる。トロたく丼を注文。わさびを溶いた醤油をかけ頂く。
 うまい。たくあんがトロを引き立ててくれてトロの甘みをより感じる。トロたくは以前飲み会で食べたことがあり、それがとても美味だった強い記憶があり、今回注文。記憶と期待を裏切らないうまさであった。お口直しになのかガリや卵焼きも添えられている。ごちそうさまでした。
 ちなみに「のへそ」は「〜のへそ」という意味だそうな。静岡で言う「へそ」とは魚の心臓のことを表す。「へそ」は魚の中心部分、良いところ、美味いところと、、ということで、魚へのこだわりを表しているそうな。



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