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Data
- 築城年: 不明 (鎌倉時代初期?)
- 廃城年: 1582年(天正10年)
- 城郭タイプ: 平城(複郭式館城)
- 天守タイプ: なし
- 築城主: 不明
- 主な城主: 三好実休
- 関係する武将: 細川氏、三好氏
- 主な遺構: 土塁、堀
- 主な石垣のタイプ:
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Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
徳島県の続100名城、勝瑞城。勝瑞館と勝瑞城からなる。 築城時期は不明だが、室町時代に阿波守護細川氏の守護所が置かれていたと伝わる。16世紀半ばに家臣の三好実休が謀反を起こして実権を握り、三好氏も引き続き勝瑞を本拠とした。 土佐の長宗我部氏の侵攻に備え、館の北東に勝瑞城が築かれたとみられる。しかし天正10年(1582)、長宗我部氏によって城は落ち、廃城となった。
▼read more!発掘調査によると、勝瑞城の築城年代は16世紀末の三好氏時代と推定される。 城跡は東西約105m、南北約95mの不整方形で、周囲には水堀と土星が巡っていた。水堀は幅約13m、深さ3m以上あって規模は大きい。また土塁は基底部幅約12.5m、高さ約2.5mで巡っている。水堀と土塁は一部が現存する。ほかに庭園跡や会所跡などが発見されている。 ※以上続100名城本より引用
▲close!さて、勝瑞城。前夜はホテル鳴門海月に泊まり9時に送迎バス出発。9時34分に鳴門駅着。鉄の友人の趣味に付き合いそこから撫養駅(むや)まで15分ほど歩く。10時6分JR鳴門線徳島行きに乗り10時26分勝瑞駅着。 トイレはあるし撫養駅ほどではないのだがここも本当に小さな駅だ。その駅に手書きだったか勝瑞城までのアクセスマップらしきものが掲示されていた。勝瑞城まで0.5km徒歩10分ほど。道はたいしておもしろくもない田舎の住宅街の風景。 比較的大きな道路に出るとすぐに勝瑞城の旗と水堀が見えた。強風で旗が震えるようにたなびいている。勝瑞城跡は今は見性寺という寺で、規模は小さいながら水堀と土塁、そして三好家の墓がある。
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境内を一頻り見て周る。陽は出てるが寒風でとにかく寒い。その後道路を渡り、ローソンの奥にある勝瑞城館跡へ。こちらは整備中だがかなり広大。その奥に発掘調査展示室のような建物があり、そこでスタンプを押す。
今日は土曜で、休日は武田石油でスタンプとあったのだが結局ここで押すことができた。ちょっとしたパネル展示もある。
11時10分駅に引き返し、11時30分過ぎ徳島行きの電車に乗る。本日はこの後高知に移動し岡豊城の予定。