首里城

Basic information
name首里城
another name百浦添 御百浦添 御城(ゴジョウ)
selected100名城 100
location沖縄県那覇市首里当蔵町

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Photo

2006年首里城 2006年首里城 正殿内の写真

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2006年6月

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2018年11月

沖縄の海と飛行機の写真 玉稜の写真 玉稜の写真 首里城の写真 石畳道の写真 門の写真 門の写真 正殿の写真 正殿内の写真

2019年 首里城火災

首里城火災 首里城火災 火災首里城 火災首里城 黒くすすけた大龍柱

2024年3月

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Data




Map




Record

攻城日時

2006年6月30日
2018年11月5日
2024年3月28日

攻城手段

ANA ゆいレール

攻城記録

 世界遺産、沖縄県那覇市の100名城、首里城。首里城は1429年に成立した琉球王国の国王の居城。1879年に最後の国王である尚泰が明治政府に明け渡すまで約450年間に渡り栄えた。築城は14世紀半ばから後半とみられる。 現在残っている城の縄張りは1477年〜1555年の尚真王と尚C王の時代のものだそうだ。

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 正殿を中心とした御庭(うなー)が見どころ。正殿は百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とも呼ばれ、琉球国や王家の象徴。1階は国王が政治や儀式を行い、2階は国王と親族、女官が儀式を行う場だったとガイドブックにはある。
 首里城は、琉球王国で1469年から1879年まで続いた第二尚氏王朝時代に建てられた中で最大規模を誇るモニュメント的建築物。この場所にはそれまでも城があったと考えられているが、その規模と重要性が大きく拡大したのは第二尚氏の統治下のことだった。
沖縄は激動の歴史を歩んできた。中国、日本本土、そして朝鮮半島という、琉球王国より強大な勢力に囲まれ、それらからの影響をどのように受け止めるべきか歴代の王が模索する中、繁栄と衰退を繰り返してきた。琉球は、14世紀の三山時代に、多くの独立した武将が率いる体制から、3つの国に分割された体制に移行した。そして1429年には第一尚氏王朝のもとで統一された王国となった。第一尚氏王朝の最後の王であった尚徳(1441年〜1469年)が子孫なきままクーデターで殺されたことで、朝廷は尚円(1415年〜1476年)を王に選出し、第二尚氏王朝を打ち立てた。第二尚氏王朝の3代目の王となる尚真(1465年〜1526年)の統治のもと、琉球王国では長い平和と繁栄が続いた。尚真は文化活動を促進し、那覇の港のインフラを改善し、琉球王国の海外との交易を大幅に拡大した。また尚真は、多くのモニュメント、寺院、邸宅、庭園、そして橋などの建築を指揮した。その中で特筆すべきは首里城の拡張と美化。
尚真の後継者はいずれも、尚真ほどの平和、繁栄、そして文化的成果を実現することはできなかったが、首里城は、王朝の宮殿、そして琉球諸島の行政と文化の中心地であり続けた。沖縄が日本に併合された1879年まで、王族は首里城を居城とし続けた。
王族が去ってからは、首里城は兵舎として、そして学校として使われ、1925年には神道の神社になった。※以上、首里城公園HPより引用

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さて、首里城。
2024年
8時半羽田発ANAで11時25分那覇空港着。 ゆいレールで10分、旭橋駅で降りホテルに荷物を預ける。再びゆいレールに乗り13時頃だったか。ゆいレール首里駅で降り西へ歩く。西端の守礼門には1km15分ほど。 雲に覆われているが心配した雨はほとんど降っていない。途中「首里うかじ」という店で沖縄そばを頂いた。三枚肉が甘く柔らかくおいしかった。混ぜご飯風なジューシーという料理も、やさしい杏仁豆腐もおいしかった。
 さて、首里城公園が見えた。2018年以来なので6年ぶり。少し記憶が蘇る。晴れ始めやや蒸し暑くなり沖縄らしさを感じることができる。右横のレストセンター首里社館に入り、マンホールカードをもらう。出て守礼門へ。守礼門は2019年の火事にも無事残り、鮮やかな朱色で迎えてくれる。くぐると、左に世界遺産園比武御嶽石門がある。そして反対側の歓會門から入り、瑞泉、漏刻門と進む。漏刻とは水時計のことらしい。漏刻門を抜けると、御庭(うなー)エリアに。ここは火事で焼けてしまったエリアで現在再建中。正殿跡は工事用の木材倉庫に覆われ、外壁に描かれている正殿のイラストが痛ましい。木材倉庫は、原寸場、加工場でもあり、現在は正殿の大屋根が作られている最中だった正殿については2026年に完成なのかな。残念だが、作成中の様子を見ることができたことは幸運。時間は14時40分頃。長い行列の末尾に並ぶ。聞くと、正殿の材料ヒノキの端材をくれるとのこと。毎日15時から300個限定だそうな。迷ったが記念になるかとそのまま並び端材をもらった。その後倉庫を出て城壁を上から見下ろせる場所へ。沖縄の城は、石が緩やかにカーブした美しいラインと青空と青い海が魅力。今日は空も海も青いとは言い難いが、それでも徐々に日も差してきてところどころで青も垣間見え、十分に満足。ずっと踏み心地の良かった足元の石はよくよく見ると珊瑚のくずだった。こんなところに沖縄感を一番感じる。それにしても、1400年代半ばから、という縄張りの石垣だが、表面の滑らかさにおいても継ぎ目の緻密さにおいてもあまりにも整形がきれいで、あれ石垣は後世?修復?と疑問が湧く。あとで調べよう。下に降りガジュマルやアカギを見つつ城郭エリアを出て、広場で塩ちんすこう味のブルーシールアイスを食べ、レストセンターで91城目のスタンプを無事に押し、16時半くらいだったか、首里城を後にする。今回で3回目だが、正殿を拝めたのは2006年の一回のみだ。修復が終わったら、また是非再訪したい。
 その後、玉陵、石畳通りと観光。石畳通りから40分ほど歩いて国際通りへ。土産物などを流し見て「わらゆい」という沖縄民謡のライブショーの店に入り、沖縄料理とショーを楽しんだ。ショーの二人は歌も上手く、カズさんと呼ばれていた男性の方は、ビギンの息子の友達でビギンのレコーディングメンバーらしい。声も三線もギターも心に染み入るいい音色だった。

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2006年
 2006年にも首里城は訪れていて、その時は正殿もしっかり見学することができた。その時のメモ。首里城正殿は1992年に復元されたもの。朱色を基調とした琉球建築がとてもおもしろい。金龍の彫刻が施された正殿の唐破風妻飾りも見事。龍は国王の象徴なのだそう、城内のあちこちで見られる。朱色の建築物と湾曲した滑らかな城壁、そして青い海。城内の至る所でそれを一望することができ心を奪われる。

2018年
 出張の最終日に同僚と寄ってみた。12年ぶり。ところが正殿は工事中で、正殿の絵が描かれた布で覆われている。そのため遠目からはわからず、目の前にして初めて絵だと理解。がっかり。半日も時間がなかったため駆け足で、石畳通り、玉稜(タマウドゥン)と見学。玉稜はとてもよかった。首里城もそうだが、本州の城郭やお墓とは一線を画している。特に玉稜は総石造りで異彩を放っていた。とても厳かで不思議な空間。

 2019年(令和元年)10月31日(木)午前2時過ぎ、首里城火災。本殿、北殿、南殿など計7棟と、400点以上の歴史的文化財が焼失。原因については、正殿内の配線と延長コードに溶けたショート痕のようなものが数十か所見つかっており、漏電ともネズミが噛んだとも言わている。また、初期消火に有効なスプリンクラーが未設置だったことが、火の拡大を防ぐことができなかった一因ともいわれている。消火栓や放水銃、ドレンチャー(水の幕を作り延焼を防ぐ)などは設置されていたが、屋内にスプリンクラーが設置されていなかった。屋内スプリンクラーの設置については各城対応が割れている難しい問題。「文化財である建築物の現状を変えてしまう」「誤作動した場合に木製の柱や床板へのダメージが心配」等、彦根城、白河小峰城なども設置されていない。一方で姫路城は「一度焼失すると取り返しがつかない」という考えで1000か所にスプリンクラーを設置している。木造復元が計画されている名古屋城天守は「人命を守るため必要」と、スプリンクラーを設置する前提で設計中らしい。
 とにもかくにも沖縄県民の無念を思う。復元、再建はいつになるだろうか。
 首里城に対して支払っていた火災保険料は、年間2940万円。受け取ることのできる支払限度額は、最大70億円だそうな。桁の次元が違う。ちなみに焼失した正殿や北殿などの7棟の建設費用はおよそ73億円、1992年の復元時よりも資材費や人件費は高騰しているとのこと。首里城の材に使用していた台湾ヒノキは、森林保護のため1990年代から輸出禁止。1992年の復元時は、これが最後、と台湾森林管理局から特例で調達を認められたそうである。また、正殿だけでも55000枚必要な赤瓦も、職人の減少と高齢化が進んでいるそうだ。漆喰職人にしても同様。復元までにハードルが幾重にもある

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today's ramen

『餃子 つけ麺 竹蘭』 (那覇市国際通り ゆいレール牧志駅徒歩4分) 島豚つけ麺 900円



impressions

 出張先で一緒に働いた方が「うまかった!」とカードを持ち帰って紹介してもらった。どこで食べようか悩んでいたので、行ってみることに。国際通りを牧志駅方面へ延々と歩く。国際通りからちょっと路地に入ったところにあり。入口は少し分かりづらい。
沖縄県産素材でとったスープに、大豆入りの自家製麺をつけて食べる、贅沢な一品。 沖縄県産島豚チャーシュー、味玉、海苔、キャベツ、大根おろしなどがトッピングされている。うまかった。



島豚つけ麺の写真
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