Photo
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Data
- 築城年: 724年(神亀元年)
- 廃城年: 不明
- 城郭タイプ: 古代城柵(ジョウサク) ※城柵 = 大和朝廷が本州北東部を征服する事業の拠点として築いた施設のこと
- 天守タイプ: −
- 天守の縄張り: −
- 築城主: 大野東人
- 主な城主:
- 関係する武将:
- 主な遺構: 政庁跡 土塁など
- 主な石垣のタイプ: −
Map
Record
攻城日時
2019年4月29日
攻城手段
車
攻城記録
故郷宮城県にある100名城は2つ。その一つ多賀城。
▼read more!岩切の東、塩釜の西、加瀬沼の南に位置する、古代城柵。古代とは奈良平安時代頃のことでかなり古い。ちなみに「城柵」とは、大和朝廷が本州北東部や蝦夷を平定するための拠点として作った建物のこと。 奈良の平城京の律令政府が724年に設置。平時は陸奥国の国府や鎮守府が置かれ、11世紀頃まで政治文化軍事の中心地であった。奈良時代は大きく捉えると、中央に平城京、南に太宰府、北に多賀城、という配置だったようだ。ちなみに多賀城の創建以前は仙台市郡山に陸奥国府はあったそうな。
▲close!さて、多賀城。多賀城というと、仙台市民としては単なる駅名。個人的にも高校の軟式野球の練習試合でいったことあるかな、その地名。それくらいの認知度だった。遠足でもいったことがあるのかもしれないが現地に着いても全く記憶が蘇らない。が、しかし、改めて見るとなかなかおもしろい。政庁跡、正殿跡、礎石、柱穴等しっかり整備されており、説明板もきちんとある。日本三大古石碑の一つもあり、多賀城、という当時の字もはっきり読むことができて感動。天気も良く気持ちよく散策することができた。まだ整備途中の部分もあり、今後が楽しみ。
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