高松城

Basic information
name高松城
another name玉藻城(タマモジョウ)
selected100名城 77
location香川県高松市玉藻町

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Photo

月見櫓と水手御門 海と隣接した縄張りの写真 艮櫓

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2019年2月
玉藻公園入口の写真 玉藻公園入口の写真 海と隣接した縄張りの写真 再建したばかりの天守台の写真 渡櫓の写真 丸艮櫓?の写真

2020年11月

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Data




Map




Record

攻城日時

2019年2月9日
2020年11月23日

攻城手段

JR線

攻城記録

 日本三大水城、香川県の100名城、高松城。海に面し水堀にはフグが泳ぐ三大水城の一つで、全国に12しかない現存三重櫓が二つもある貴重な城。

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 この辺りの海が玉藻の浦と呼ばれていた(万葉集で讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と柿本人麻呂が詠んだことが由来)ことから、別名玉藻城と呼ばれる。1588年(天正16年)に生駒親正が「香東郡野原庄(のはらのしょう)」と呼ばれていた地を高松と改め、築城に着手。縄張り設計は、築城の名手、黒田孝高(如水)とも細川忠興とも言われている。生駒親正は前年に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられていた。生駒氏の治世は4代54年間続いたが、1640年(寛永17年)のお家騒動により讃岐一国を召し上げられ、出羽国(秋田県)1万石に移封させられた。生駒氏後は、1642年(寛永19年)に松平頼重が東讃岐12万石の領主として入城。松平頼重は、それ以前は常陸国(茨城県)下館藩主で、徳川家康の孫でもあり、徳川光圀の兄でもある人物。頼重は家康11男で水戸徳川家の祖徳川頼房の長男として生まれながら、次男である光圀が水戸徳川家を継いでしまった、ということになる。親藩である松平頼重に中国四国地方の監視を任せたと言われている。松平氏の治世は11代228年間。高松は松平氏の城下町として栄えた。

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 さて、高松城。丸亀城から急いで出発し、高松に着いたのは既に16時半過ぎだった。やはり1日3城攻めは厳しい。足も棒。玉藻公園内を散策。現在は往時に比べて8分の1程度の広さでしかない。重要文化財の月見櫓、水手御門、渡櫓には、既に17時近くであったため入れず、無念。外から眺める。月見櫓は、江戸からの船が帰ってくるのを櫓から望み見たため「着見櫓」とも呼ばれる。また月見櫓と連なる薬医門洋式の水手御門は、いわば海の大手門。まさに海城。さすがは三大水城の一つ。天守閣はないが、現地に行けば高松城ARアプリで見ることができる。松平時代に改修された南蛮造りの特徴的な天守閣。ARで周囲を眺めると、往時の海城の様子や雰囲気を感じることができる。実際の今は、H25年に修復工事が完了した天守台しかない。他にも復元ではあるが、本丸と二の丸をつなぐ唯一の連絡通路「鞘橋」など、見どころが随所にある。しかし如何せん3城目。冒頭にも書いたが足が棒。攻城後は、玉藻公園前のベンチに座り高松市街を眺めて呆けていた。日は落ち既に暗い。確かその後にその日最初の食事、讃岐うどんを食べた。翌日が備中松山城→岡山城→福山城→広島城の予定のため、急いで岡山に向かう。楽しいが、疲労困憊。

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 2020年11月に再訪。奇しくも今日43歳。この日は、こんぴらさん、丸亀城、高松城と回った。こんぴらさんの石段を登っている最中に故郷の父から電話をもらう。「俺が43の時は福島に転勤になったことを思い出した!、あんときはな、」とまあ相変わらず自分の話に終始していたが、でもまあ電話をくれるだけありがたい。父が43の頃、自分は、、と計算すると、14歳。思春期真っただ中だったのだろうか。父は仕事仕事でほぼ家におらず、職業がら土日もいなかった。当時会話をした記憶はほとんどない。反抗期だったからか、接点がそもそもなかったからなのか。同じ年代の子を持つ親として、何を考え何に悩んでいたのか、当時の父に聞いてみたいものだ。今思えば当時の父は今みたいにおれがおれがという感じではなく、思慮深さも兼ね備えていたような記憶。当時の父と飲んだりできるのなら楽しいのかもな、、。なんて思いながら、父の話に相づちを打つことで呼吸が乱れ、はあはあいいながらこんぴらさんの石段を登る。ここは攻城記録を書くところだから本来書かなくていいことなのだが、節目にこんぴらさんとはよい巡り合わせなのでついでに書き記しておくことに。健康としあわせのこんぴらさん。しあわせ、まで欲張りたくないが、健康には是非あやかりたい。よい巡り合わせだと思った。そこで父から電話が来たものだから、これも何かの縁、と書き記してしまった。
 さて高松城。高松城も高松城で100名城の77。これまたよい数字。電車の乗り継ぎをミスし、高松駅に予定より30分遅れで到着したため、攻城に許された時間は1時間程度。時刻は15時頃。今回は現存の月見櫓と艮櫓を拝めると、楽しみにしてきた。駅からすぐの玉藻公園に入り、入園料200円を払い公園内に入る。スタンプも無事に回収することができ一安心、まずは月見櫓と水手御門へ。西の入口から入って、左奥の方になる。月見櫓に到着。着いて記憶が蘇り、月見櫓も前回しっかり見ていたことを思い出す。直前に丸亀城に寄っていたこともあり、自然に大きさを比較してしまう。丸亀城天守より、ここ高松城の月見櫓の方が大きさも大きく、雰囲気もよい。水手御門と合わせて、表から裏からと一頻り見学。2階部分だろうか、一部破損していたのが気になった。続いて艮櫓へ。ちなみに「艮」とは北東の方角のこと。しかし高松城の艮櫓は南東に位置する。どうやら本来の場所から移築されたようだ。艮櫓は月見櫓とほとんど同じ大きさで形も同じ。実際に同じ設計図で同じように造られたのではないだろうか。二階部分の傷まで同じ個所についている。月見櫓から艮櫓に来る途中で、天守台や鞘橋(さやばし)も流し見てきたが、戻って改めて足を運ぶ。2年前に比べて天守台周りは復元が進んだように思うのは気のせいだろうか。鞘橋を渡り、天守台に登り、瀬戸内海方面を写真に撮る。水の青のプリズムの影響だろうか、ここからの写真はとても素敵な色合いになる。海水の水堀が海の方に延び、その先に瀬戸内海が見える。海の深緑基調の味わい深い青色がとてもよい。さて、時間がない。東の入出口からちょっと出て水堀のハコフグを見て急いで戻り、そして玉藻公園を出て、高松築港(ちっこう)駅前4番乗り場から、16時、高松空港行きのリムジンバスに乗る。今回もちょっと詰め込みすぎた感が否めない。欲張りすぎないように、と改めて自戒する。何はともあれ、いい攻城だった。一つ年を重ねた初日に、いいスタートを切ることができた。

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today's ramen

『めりけんや』 (高松駅前) 肉ぶっかけ 550円



impressions

 高松駅前すぐ。讃岐うどんを食べることが今回のテーマの一つでもあったのだが、なにぶん時間があまりない。めりけんや。駅前にあり地域クーポンが使える店ということで即決、入店。
 トレイを取り、うどんを注文、そのまま進みトッピングを選び会計する、という讃岐うどんに多く見られるスタイル。肉ぶっかけの大(温)を注文し、カウンターで食べる。
 うまい。うどんのコシこそ想像を上回らなかったが、牛肉とたっぷりの大根おろしと生姜の効いた出汁汁はとてもうまかった。そしてさすがはうどん、リーズナブル。しかしおかげで地域クーポンを消化できず。ごちそうさまでした。



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