武田氏館

Basic information
name武田氏館
another name躑躅ヶ崎館
selected100名城 24
location山梨県甲府市古府中町

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Photo

武田神社 大手門の石塁 土橋

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武田神社入口 武田神社 武田神社 武田神社 武田神社 大手門の石塁 大手門エリア 武田氏館北東の高台の池より 土橋 土橋と桝形虎口 水堀

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Data




Map




Record

攻城日時

2019年8月17日

攻城手段

中央線 徒歩

攻城記録

 山梨県の100名城の一つ、武田氏館。もう一つの甲府城が近世城郭なのに対してこちらは中世の城郭。

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 武田氏三代、信虎、晴信、勝頼の居館。18代信虎が甲斐を統一した後、1519年に石和から居館を移したのが始まりらしい。翌年には居館の背後、北の山に要害山城を築城し守りを堅固にしている。1581年に勝頼が韮崎の新府城に居城を移すまでの62年間、武田三代の本拠として機能した。その後、織田、徳川(平岩親吉)、豊臣(加藤光泰)と支配者がコロコロと変わりつつ、浅野長政が甲府城を築城するまで、甲斐国の政治、軍事の中心として再利用されていた。

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 さて、武田氏館。甲府駅北口から2.2キロ。バスで8分のところ酷暑ながら歩いて向かう。城攻めに必要なのは、健脚と想像力とちょっとのお金。そんなわけで歩く。甲府盆地を北上、つまり扇状地の登り傾斜をずっと歩く。30分歩く。暑い。バスで先乗りした友人と武田神社で合流。神社を軽く流し、東側の大手門跡へ。大手門の石塁など遺構を見る。石塁よりも前の時代の三日月堀も発掘されたそう。石垣の上にある謎の池なども散策し、今度は西側へ。

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 西側は、武田氏長男、義信の結婚に合わせて造った義信の新居。義信。そう、「この太郎義信に罰をあたえよー!!」のあの太郎義信。子供の頃見た大河ドラマ武田信玄が蘇る。あの堤真一の名シーンは、未だ脳裏に鮮明に残る。長男義信はあらぬ謀反の疑いをかけられ切腹に追い込まれた。堤真一の迫真の表情と絶叫。あれからもう30年は経つだろうか。いまだに堤真一を見ると太郎義信を思い出す。かなりのインパクトだった。ちなみに勝頼は四男。武田氏館は、堀や土塁で区画された大小8つの曲輪で構成されていて割と広い。今後の発掘調査が楽しみ。

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today's ramen

『甲州ほうとう 小作』 (甲府駅北口) かぼちゃほうとう 1150円



impressions

 ※甲府城ページ参照



ほうとうの写真
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