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Data
- 築城年: 1519年(永正16年)
- 廃城年: 1594年(文禄3年)
- 城郭タイプ: 平城(連郭式)
- 天守タイプ: ※不明
- 築城主: 武田信虎
- 主な城主: 武田氏、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政
- 関係する武将: 武田信虎、晴信(信玄)、勝頼
- 主な遺構: 石垣、石塁、三日月堀、水堀、土塁、土橋、桝形虎口、井戸
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
山梨県の100名城の一つ、武田氏館。もう一つの甲府城が近世城郭なのに対してこちらは中世の城郭。
▼read more!武田氏三代、信虎、晴信、勝頼の居館。18代信虎が甲斐を統一した後、1519年に石和から居館を移したのが始まりらしい。翌年には居館の背後、北の山に要害山城を築城し守りを堅固にしている。1581年に勝頼が韮崎の新府城に居城を移すまでの62年間、武田三代の本拠として機能した。その後、織田、徳川(平岩親吉)、豊臣(加藤光泰)と支配者がコロコロと変わりつつ、浅野長政が甲府城を築城するまで、甲斐国の政治、軍事の中心として再利用されていた。
▲close!さて、武田氏館。甲府駅北口から2.2キロ。バスで8分のところ酷暑ながら歩いて向かう。城攻めに必要なのは、健脚と想像力とちょっとのお金。そんなわけで歩く。甲府盆地を北上、つまり扇状地の登り傾斜をずっと歩く。30分歩く。暑い。バスで先乗りした友人と武田神社で合流。神社を軽く流し、東側の大手門跡へ。大手門の石塁など遺構を見る。石塁よりも前の時代の三日月堀も発掘されたそう。石垣の上にある謎の池なども散策し、今度は西側へ。
▼read more!西側は、武田氏長男、義信の結婚に合わせて造った義信の新居。義信。そう、「この太郎義信に罰をあたえよー!!」のあの太郎義信。子供の頃見た大河ドラマ武田信玄が蘇る。あの堤真一の名シーンは、未だ脳裏に鮮明に残る。長男義信はあらぬ謀反の疑いをかけられ切腹に追い込まれた。堤真一の迫真の表情と絶叫。あれからもう30年は経つだろうか。いまだに堤真一を見ると太郎義信を思い出す。かなりのインパクトだった。ちなみに勝頼は四男。武田氏館は、堀や土塁で区画された大小8つの曲輪で構成されていて割と広い。今後の発掘調査が楽しみ。
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※甲府城ページ参照