田丸城

Basic information
name田丸城
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selected続100名城 154
location三重県度会郡玉城町田丸

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Data




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Record

攻城日時

2020年1月31日

攻城手段

東海道新幹線ひかり→JR快速みえ→JR紀勢本線→参宮線

攻城記録

 三重県の続100名城、田丸城。織田信長の伊勢平定の中心拠点。元々は北畠氏の居城であったが、それを織田が乗っ取り、信長の次男信雄の居城となった。第一次天正伊賀の乱を扱った小説「忍びの国」では、大小の局面での舞台であった。

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 田丸城の始まりは、足利尊氏が室町幕府を開き、後醍醐天皇が吉野に下った、南北朝時代の始まりの年である1336年(延元元年、建武三年)に、南朝の重臣北畠親房、顕信が築城したことに遡る。当初は玉丸城(たまる)と呼ばれた。南北朝が統一された後も、多気北畠氏館(霧山城)を本拠とする北畠氏の支城であった。
 1569年(永禄12年)、飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長が伊勢平定に動いていた頃、当時の北畠氏の長、北畠具教は、織田信長の次男信雄を婿養子にし、織田の配下となった。1575年(天正3年)、信雄は第10代北畠家当主となる。信雄は田丸城を居城とし、三重三階の天守や水堀を作るなど大改修を行った。しかし5年後の1580年(天正8年)、火薬庫への放火により天守が焼失。信雄は再建を断念し、松ヶ島城(現松阪市)を築城し移った。
 ちなみに、信雄に城主の座を明け渡した北畠具教は、その後信雄に殺される。1576年(天正4年)の三瀬の変である。北畠家の重臣だった日置大膳、長野左京之助(拓殖三郎右衛門も)に、信雄が手をかけさせた、小説忍びの国のあのくだりである。
 さて、時代は進み、本能寺の変後に勢力が変わる。1584年(天正12年)に小牧長久手の戦いが起こり、その後田丸城は蒲生氏郷の所領となった。蒲生氏郷は松ヶ島城に入城したため、氏郷の妹婿であった田丸直昌が田丸城に返り咲いた。
 江戸時代には紀州徳川藩の所領となり、久野氏が治めた。

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 さて、田丸城。無門が織田信雄の寝所を襲った、あの城。旧家臣に旧君主を敢えて討たせたことを織田信雄が日置大膳らに詫び、日置大膳が信雄を殴って水に流し、以降信雄の真の臣下として働くことを心に決めた、あの城である。史実はどうあれ小説では。直前まで読んでいたので、とても楽しみ。

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 快速みえで名古屋から伊勢市駅まで行き、伊勢市駅ホーム向かい側の参宮線に乗り引き返す。乗り継ぎ時間は2分しかないが、向かいホームなので問題ない。このルートは乗換案内アプリでは出てこず、みどりの窓口で教えてもらった。料金は200円高いが、当初の予定より30分程度早く到着することができた。17時24分、田丸駅着。暗くなるかどうかのボーダーな時間帯なので、30分早く着いたことはとてもありがたい。まずは、多少でも明るいうちにと、田丸城へ。駅から歩いて10分程度。信雄が城郭改修の際に作ったであろう水堀を越え、田丸城に近づく。城郭内、三の丸には中学校があり、富士見門という現存の移築門も設置されている。富士見門はライトで照らされているので、薄暗くい時間帯でもよく見ることができる。この富士見門。田丸城の天守台に向かう登り坂沿いにあるため、見逃すことはないだろう。さて、富士見門から天守台跡に向かう。田丸城は、南北朝時代の中世城郭と織豊時代の近世城郭の両方の石垣を併せ持つ。天守は残っておらず、天守台を含めた石垣群をとても楽しみにしてきた。その頃にはさらに薄暗くなってきたが、石垣も見えてきて気分も上がる。が、しかし。その石垣が、チカチカと七色に光っている。まるでパチンコ屋のネオンのようだ。そう、まさかの石垣そのもののライトアップ。石垣にはおびただしい数のLEDが垂れ下がり、それらがうるさく点滅している。近寄って石垣を見ようにも、チカチカが強すぎてよく見ることができない。点すれば眩しくて見えず、滅すれば暗くて見えず。人の明順応と暗順応の限界をここ田丸城で知る。見えないならと、せめてとりあえずたくさん触れてみた。気を取り直して、天守台へ進む。その天守台も気の毒な感じに、、。穴蔵のある天守台は立ち入り禁止となり、やはりライトアップ。さらには、足場に布を貼っただけの、お祭りのハリボテような安っぽい天守が建てられている。布には殿様とお姫様の大きなイラストがどん、どん、とプリントされて笑っている。もう驚愕のセンスで、こちらも笑う他ない。続100城に指定されているのだから、城自体を見に来る人に多少なりとも配慮しないと、、ね。盛り上げるのは賛成だが、方向性を誤っている。暗い中一人失笑しながら、天守台付近をしばらく散策。時刻はもう18時前で、暗い。田丸城を後にし18時、村山龍平記念館へ。ここでスタンプ押印。ちなみに田丸城スタンプは、平日は19時まで可能。土日祝は17時まで可能。平日の19時までというサービスは、城めぐりで1日3城以上を回りたい場合にとてもありがたい。だから、時間のない中で今日田丸城に来れたわけだ。さて、村山龍平記念館は客がいないのか二階展示室も既に閉めていたが、係の人が快く開けてくれた。そう大きくはないが資料やら刀剣やら最低限の展示物はある。朝日新聞の創始者で、高校野球の祖でもある村山龍平の展示物が当然多かった。この方、第一回大会の始球式で投げた方らしい。係の人にどこからきた?何しにきた?と聞かれる。さらに田丸城はどうだった?と聞かれる。石垣のライトアップは賛否あるのでは、、?と正直に返す。係りの人は苦い顔で、あれは商工会議所の人が、、と同調してくれた。時刻は18時15分、記念館から暗い外へ出る。時を同じく退勤した係りの人も外に出てきた。ラーメン屋はないかと聞く。ラーメン屋はないけど焼肉屋なら、、と親切にも徒歩で連れて行ってくれた。おさやん、という地元の焼肉屋。おさやん前で礼を言って別れたが、やはりラーメンを食べたい。結局ここには入らず、田丸駅へ向かう。予定よりも一本早い電車で、宿泊地の津へ向かう。

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