富山城

Basic information
name富山城
another name浮城(うきしろ) 安住城(あずみじょう)
selected続100名城 134
location富山県富山市丸の内

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Data




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Record

攻城日時

2021年12月26日

攻城手段

新幹線かがやき

攻城記録

 富山県の続100名城、富山城。加賀百万石前田氏の分家の居城。上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉など周囲の大大名に振り回されてきた城だったが、江戸時代には加賀前田家の分家として富山藩を立藩、幕末まで続いた。

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 地形について。扇状地のため南北に高低差があり(海側の北が低く山側の南が高い)、扇状地の先端にあるため水が豊富に湧き出る。 また、城の北を横切るように旧神通川(現在の松川)が流れている。これが長い年月をかけて蛇行し高い自然堤防ができ、その上に富山城は作られた。 このように、富山城は四方を水堀と川で二重に囲まれ、特に北面は天然の要害である神通川を守りとした、後堅固な平城。
 歴史について。富山城は、1543年(天文12年)頃、 越中西部の守護代神保長職(じんぼながもと)が築いたとされる。しかし近年の発掘調査ではこれより以前の遺構も発見されているそうな。 戦国時代には上杉氏、一向一揆勢の争奪戦に織田信長が加わり、信長の家臣である佐々成政が富山城を得た。 信長の死後は、佐々成政が豊臣秀吉と対立し、1585年(天正13年)秀吉率いる7万の大軍に城を囲まれ佐々成政は降伏。富山城は破却された。 江戸時代には加賀藩前田氏の分家が独立し、富山藩を立藩。富山城を居城として改修し、幕末まで存続した。 現在の天守は模擬天守。彦根城や犬山城天守を参考に、1954年(昭和29年)に建造された。 現存する千歳御門は、もとは東出丸に営まれた千歳御殿の門だった。富山藩10代藩主前田利保の隠居所であった千歳御殿の正門で、創建当初から残る唯一の建造物。明治維新後に払い下げられたが、所有者の寄付により2008年(平成20年)公園内に修復移築された。

以下ブラタモリより。

【富山の薬売り】
 富山と言えば富山の薬売りだが、富山藩2代目藩主、前田正甫(まさとし)の政策が始まり。前田正甫が富山に薬という富をもたらした。 薬に詳しかった正甫は、藩を救う切り札として薬に注目。薬は北は北海道から南は薩摩まで、藩の外に売りに出て行く。藩の外というところがポイントで、つまり外貨を獲得することができる。 薬売りの柳行李(やなぎごうり)には、外貨を獲得するシステムが隠されている。箱が全部で5段。お得意さんの情報を事細かくに記録して、豪華なお土産まで用意する。 肝心の薬が入っているのは4,5段目。最初は代金を貰わずお客さんに預ける、次に訪れた時に使った分だけ代金を頂く、何代も関係を持つ。こうやって、富山の薬売りが長く長く続き浸透した。 現在の富山のビル群を建てた人たちは、薬関係者。薬で得た富で会社を大きくする。また薬産業が広く富をもたらす。薬の包装紙を作っていた印刷会社が、現在はパッケージ印刷。薬の容器を作っていた会社がエアゾール缶(スプレー缶)いずれもトップメーカーになっている。もとは薬だけど、それは今日銀行や学校まで幅広く拡がる。ビル群は蛇行した神通川の跡地に建てられた。今も産業の中心は薬。北陸で一番早く電気がついたのも富山。

【富山の富】
 深い海+急流河川=富山の街に富をもたらした。 岐阜から富山湾に流れてる急流河川、神通川(じんづうがわ)が海底を削る。結果水位が深く、また魚が豊富。富山湾は最も深いところで水深1000mを超える。3000m級の立山連峰から海底まで4000mもの峡谷になっている。

【富山の名産】
シロエビ ホタルイカ ブリ ベニズワイガニ

【住み続けたい街ランキング】
住み続けたい街ランキング2020年1位

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 さて、富山城。 6時16分北陸新幹線かがやきに乗る。週末は数年に一度の寒気になる、と数日前から天気予報に脅されてきたのだが、東京も1度くらいか朝から寒い。長野以降から窓の外は既に真っ白だった。 8時25分富山駅に到着。見事な雪景色が出迎えてくれた。階段の手すりにすら、その細い幅とはアンバランスにうず高く雪が積もっている。

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 駅横には路面電車の発着場があり、JRのコンコースに隣地しているため外に出て濡れることなく乗ることができる。9時15分、そこから南富山駅前行きの路面電車に乗り、西町(にしちょう)で降りる。 白をかぶって原型がわからないレンタサイクルが冬眠に入り、道も建物も街路樹もすべてが白くこんもりしている。 道にはお湯が散水される融雪パイプが延びており、もちろんありがたいのだが、勢いよく散水されるお湯と雪の二つをよけて歩かなければならないという二重苦。当たり前だが、お湯周りのか細いライン以外は雪で歩けないのだから。 徒歩2分、とあったが土地勘のなさと積雪でそう近くには感じなかったが、雪道をえっちらおっちら歩いて池田屋安兵衛商店に到着。 富山と言えば薬。着くと店内の商品はすべて新聞紙をかぶっている。聞くと今は大掃除中だと、この雪で客は少ないだろうと大掃除を始めたとのこと。 ほどなく大掃除は終わったのだが、店内を見て回れないその間に店員さんが越中反魂担(はんごんたん)の実演と体験をさせてくれた。 この店員さん、知る人ぞ知る落語家の鈴々舎八ゑ歯さんそっくり。そのやえばさんが反魂担の元となる黒い粒を道具で切り取る。 小さな穴からところてんのようにニュっと出た部分を切り取ると、一度に20個くらいの小さな粒となる。この時点ではまだ丸まっておらず、この後大きな木製の蓋のような道具で全体を丸めていく。 やえばさんの実演を見た上でいざ体験。1人目の友人は力を入れすぎて失敗。粒同士がくっつきひどい有様。2人目の自分は力を抜きすぎて失敗。これまたひどい有様。 3人目の知らないお兄さんに成功を託すも彼も見事失敗。100粒ほどを同時に重い木蓋でつかまえて均等に圧力をかけるのだが、これは相当難しい。 ほどなく新聞紙がとられ店内を見て回る。たくさんの薬が陳列されている。反魂担は飲み過ぎなどに効く薬だが、他にも糖尿病や肩こり、便秘等さまざまな薬が売られている。小さな袋で5000円等どれも値が張り、お土産は買わなかった。
 さて、店を出る。依然として雪が降りしきりあまり出歩きたくない状況。近くに富山市ガラス美術館がありそこに行くことに。ガラス細工なんて本来あまり興味を持って見やしないのだが、暖かさも求めて入る。 ここは図書館も入っているのだが建物がとても立派。1から6階まで素敵な吹き抜けになっている。壁面も木をふんだんに使い現代的で大変お洒落な作り。一頻りガラス作品を見て周り、そして暖かさに別れをつげ、出る。

 一度駅前に戻り、ラーメンを食べ、そして路面電車の環状線に乗り丸の内で降り、富山城へ。 富山城も真っ白に雪をかぶっている。水墨画のような、はっとするほどの美しさ。それはそれはきれい。富山城は歴史を無視した模擬天守なのだがそんなことはこの場合どうでもよく、とてもきれい。雪とお城はこんなにも合うものなのだ。 別行動の友人との待ち合わせ時間に遅れてしまい、友人は先に入って既に出てしまっている。遅れを取り戻そうと、巻きに巻く。 桝形の鏡石を小走りで見て、富山市郷土博物館(富山城)に入る。スタンプを入口で押し、中へ。資料は読んできたので、さっと読みとばして上の階へ。階段等は大阪城のように普通の古い公共施設のような階段。 模擬天守の最上階は回縁になっていて外に出ることができる。金網が張ってあるが、天守からの写真をパシャリパシャリ撮り、そしてそそくさと一階へ戻る。現存の千歳御門を見物して、あっという間に攻城は終了。富山城はそう時間がかからないかも。

 駅へ戻るついでに、ブラタモリで見た常夜灯へ。この常夜灯、松川(旧神通川)の右岸左岸にあったものなのだが、河川が現在は縮小して、江戸時代の左岸は街中にあり。まず右岸常夜灯に行きそこから左岸常夜灯まで歩く。ブラタモリでは230mとあったが、実際の体感としてはそこまでない。気づいたら左岸常夜灯の前にいた。

 駅へ戻り、中央口改札でようやく友人と合流。今回は忘年会のついでの攻城。友人との忘年会は2001年から続く。今年はそれが富山、宇奈月温泉だった。 14時20分北陸新幹線かがやきに乗り黒部宇奈月温泉へ。黒部宇奈月温泉駅には宿の送迎バスが来ており、それに乗り宿泊地の延対寺荘へ。 延対寺荘は、昭和天皇や米カーター大統領、川端康成や石原慎太郎などが宿泊した際の写真が飾られている歴史あるホテル。部屋からは眼下に黒部川が流れ、対岸には雪化粧した山が迫る絶好のロケーションであった。料理も丁寧で一つ一つがおいしく満足。 翌日は10時半頃ホテルを出て、雪景色の中、宇奈月温泉街を歩く。河鹿という釜飯屋でホタルイカ釜飯と揚げ白エビやおでんを頂く。白エビがとてもうまかった。 雪は深く積もっているものの、午前中天気は晴れて気持ちのよい散策日和だった。ところが昼前から一転、吹雪いてきて視界が悪くなる。それでも展望台まで足を運び、水墨画のような黒部川と雪化粧の山並みをパシャリパシャリ。付近には野生の猿が数匹いて木の生皮を剥ぎかじりついている。大自然であった。関電の電気資料館にも立ち寄り、そして土産を買い帰途に着く。

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today's ramen

『麺家いろは』 (JR線富山駅) 富山ブラックラーメン 850円



impressions

 池田谷安兵衛商店とガラス美術館を見学後、一度駅前に戻り、友人リサーチの「麺家いろは」で富山ブラックラーメンを食べることに。 麺家いろはは、東京ラーメンショーで通算5度の日本一の栄冠に輝いている。人気の秘密は、スープに使う醤油とのこと。HPによると「旨み成分を多く含み、塩分を控え目にするという独自の製法で造られた超濃厚な魚醤。創業以来、麺家いろはではこの醤油を注ぎ足しながら使っているが、まさに長い歳月をかけて熟成された秘伝の黒醤油といえるだろう。これに丸鶏などを使った食肉系スープと、白エビや宗田ガツオなどで作る魚介系スープを合わせて仕上げる。このダブルスープの手法がさらに豊かな味わいを生み出す。」とある。 ブラックラーメンは目をつぶって食べれば美味しい煮干しラーメンという感じ。ややしょっぱいがしつこくなくとてもおいしかった。 富山ブラックラーメンは、高岡城の時に「らーめん次元」で一度食べたことがある。自分のコンディションにもよるのだが、あの時は後半飽きてしまった記憶。濃厚だけど塩分控え、と謳ういろはの魚醤のおかげだろうか。おいしかった。



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