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Data
- 築城年: 1429〜1441年頃(室町時代中期頃 永享年間)
- 廃城年: 1873年()
- 城郭タイプ: 平城(輪郭式)
- 天守タイプ: なし
- 築城主: 若泉三郎? 菅谷氏(小田氏の家臣)?
- 主な城主: 若泉氏、小田氏、菅谷氏、松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏
- 関係する武将:
- 主な遺構: 太鼓櫓門、土塁、堀、復元東西櫓
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
茨城県の続100名城、土浦城。秀吉の北条征伐後は、家康の次男結城秀康の所領となり、関ヶ原の戦い後は主に小さい譜代大名の藩庁となった。松平信興時代の1685年(貞享(じょうきょう)2年)に甲州流軍学による築城術で大改修され、現在に残る縄張りとなった。
▼read more!平安時代(天慶年間)に平将門が砦を築いたという伝説はあるが、文献として残っているのは室町時代(永享年間 1429年〜1441年)から。 小田氏の家臣である菅谷氏が築いたとされている。小田氏の支城として、後に佐竹氏に小田城を追われた小田氏治が入城。 1590年(天正18年)秀吉の小田原征伐の際に、菅谷範政は北条氏と結んだことから佐竹氏や家康の軍勢に攻められて滅亡。 家康が江戸移封後は、結城秀康が入封。秀康が北ノ庄に移ると、松平信一が入封。松平親子が現在の城の形を築いた。その後は土屋氏が11代200年間治めて明治維新を迎える。
▲close!さて、土浦城。本日3攻城のうち3城目。13時30分笠間発。Googleマップには、42km1時間5分と出ていた。42号を延々と走る。峠を越え山道を進む。本日3城目。久々のバイク。疲労。ワインディングを楽しむ余裕もなく、一速で慎重に走る。 道にはすれ違う車はほとんどなく、店もなく。延々と走る。結局1時間20分かかり、土浦に到着。土浦城を通り過ぎて「福来軒」に到着。狙いをつけていたれんこんカレーラーメンの店。14時50分、今日初めてのメシ。
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15時20分、ラーメン屋を出て、土浦城へ。ラーメン屋で教えてもらった通り、亀城公園の入口にバイクを停める。目の前には豊かな水をたたえた水堀があり、奥に復元した東櫓がある。この時点で旅程は大幅にオーバー。本日の宿泊地である千葉県の大多喜に着く予定の時間には到底間に合いそうもない。既に疲労も出てきている。
公園を進み西櫓、博物館と進む。時間がなく、櫓の中には入らなかった。博物館でスタンプを押し、これで3城制覇。
土浦城の滞在時間は30分程度か。しかしあまり広い曲輪ではなく、あらかた見れたのではないか。しかしやっつけ感が隠せない。友人にも言われたが、一日に何城も詰め込むこのスタイルはあまりよろしくないのかもしれない。とは言え、なかなか足を運べない場所だとあれもこれもと欲張ってしまう。しかしそれではよろしくないことは頭の半分ではわかっている。しかし欲張り根性が、、。反省。次回以降は改善を図ろう。
15時55分、土浦をバイクで出発。大多喜へと走る。ここからが、しんどかった。touring史上ベスト3に入るかもしれない。しんどかった。茨城県から下道を南下して千葉の房総半島に向かう、というこの行程。何せ土地勘がない。香取や茂原やらの看板を見ても、目的地である大多喜との位置関係や方角がよくわからない。
日は暮れ始め、さらに雨がパラついた時間もあり、心が折れそうに。タンクバックに設置したスマホのマップ操作があるので、寒くても手袋をはめることができない。そして日が暮れた。しくじったと思いつつ、延々南下するしかない。
19時30分、大多喜町のセブンイレブンに到着。20時、ホテル着。おつかれ。
today's ramen
impressions
当初から狙いをつけてやってきた、れんこんカレーラーメンの福来軒。カレーラーメンはもともと好きで、れんこんも好き。ググって見つけた時には行くこと即決だった。
土浦は、作付面積、生産量ともに日本一のれんこん産地茨城県の中でもその中心を担うそうだ。地元のものを、という考えからではなかったのだが、結果的に土浦の名産を食べることに。
亀城公園西側の通り沿いにある。公園のすぐ南。駐車場はなく、狭い歩道に路駐。昼には時間も遅く、店内に客は他に一組程度。れんこんカレーラーメンを注文。
カレースープの中には大きな蓮根の天ぷら?唐揚げ?が二つ、チンゲンサイ、他にもサイコロ程度に切ったレンコン。うまい。このサイコロ状の小さなレンコンの甘みが、カレーに合う。ボリュームはあるがおいしく完食。
アイディア賞です。これ、普通のカレーライスにもレンコンの唐揚げは合うのでは。ごちそうさまでした。