角牟礼城

Basic information
name角牟礼城
another name角埋城
selected続100名城 192
location大分県玖珠郡玖珠町森

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Data




Map




Record

攻城日時

2022年7月24日

攻城手段

レンタカー

攻城記録

 大分県の続100名城、角牟礼城。島津氏も落とせなかった難攻不落の要害。弘安年間(1278年〜1288年) に豊後の土豪である森朝通が築城したと伝わっている。

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 天文年間(1532年〜1555年)には豊後の大友氏の支配下にあり、天正14年(1586年)の薩摩の島津氏の侵攻に耐え、落城しなかった難攻不落の要害。
 豊臣秀吉の九州平定後、文禄2年(1593年)に大友義統が改易されると、翌年毛利高政が入封し、織系城郭へと改修される。そして、関ヶ原の戦い後、高政の佐伯転封に伴い廃城となった。
 標高約576mの角理山の山頂に伝本丸を置き、南西側の山 に伝二の丸、その下に伝三の丸を配置。伝本丸では石垣は隅櫓部分のみで土塁造りであるが、毛利氏時代の改修とみられる伝二の丸は山を巡るように長大な石垣が築かれ、伝三の丸は石垣というより石塁に近い石場が取り巻く。※続100本より引用

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 さて、角牟礼城。レンタカーで行くのだが、返却を考慮に入れると別府駅からではなく本日宿泊予定の湯布院駅で借りなければならない。別府駅5番乗り場から、7時40分別府出発。ゆふりん観光快速バスでまずレンタカーを借りるために湯布院へ向かう。湯布院まではバスで1時間程度。ゆふりんはSuica可。

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 湯布院は別府から鶴見岳、由布岳などの山を挟んで西にある。電車だと真っ直ぐには行けずぐるっと迂回が必要だが、バスなどの車はまっすぐにいくことができる。バスの車窓には地獄めぐりの看板や、旅館などから立ち上る白い蒸気が。新鮮。改めて次回は温泉メインでここにきたいものだ。
 さてゆふりんは8時47分に湯布院バスセンター着。駅まではすぐ。湯布院駅はモザイク調のシックでおしゃれな駅だった。大きな駅ではないが新しく、駅の規模に比べると駅前は広々としている印象を受ける。別府といい湯布院といい、抱いていた印象と実際はかなり違うものだ。さて予約していた駅レンタカーを借りる。どこにいくのかと店員のおばさんに聞かれ、角牟礼、岡、臼杵だと答える。え?とびっくりされる。結構な距離ですねと。返却は18時まで。営業時間も18時まで、そして明日の予約も入っているため延長して翌朝返すのはだめですと。とにかく急ぐしかない。
 9時20分レンタカーで湯布院発、本日一城目の角牟礼に急ぐ。、、。座席の角度の操作ができず運転ポジションに違和感があったのだが、そのまま高速道に入ったことがいけなかった。いけなかったのだろうか、、。平気だと考えていた車でも上越攻城の時のようなパニックが起きてしまった。トンネルに入り、気圧が変化し耳が詰まった時だった。ふっと気が遠くなり暗い穴に落ちていくような感覚、制御できなくなるかもという恐怖、手足の感覚が鈍くなるかものような焦り。これはやばいと思ってしまったらもうだめだった。足に汗をかき、手もすこしおかしい。一つ目のインターで下道に出た。幸い友人はパニックに理解があり、無理しなくていいと。結局下道で角牟礼を目指すことに。
 結局角牟礼に着いたのが10時。豊後森藩資料館に到着。広い広場スペースに中学生だろうか野球部風の女の子たちがおり律儀に挨拶をしてくれる。資料館に入りスタンプを押す。ここから三の丸パーキングまでは車で行けるとのこと。友人に運転を代わってもらい10時30分出発。友人は運転が10年ぶりか?運転席に座った彼はアクセルとブレーキの位置を確認してくる。ギアもRがドライブだと勘違いしている様子。かなり不安だったが、10時45分何とか辿り着いてくれた。
 角牟礼城の三の丸には立派な石垣の遺構が残る。既に眺めも良い。登っていくとさらに立派な石垣群が。天然の岩盤も見えていて、地産地消の石垣なのかも。小さな井戸曲輪跡はまだ水をたたえ、縄張りには紅白の高いノボリが立つなど、縄張りは単調ではなく回っていて楽しい。展望所からの眺めもよかった。 11時30分、角牟礼城発、本日2城目の岡城に向かう。

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