津山城

Basic information
name津山城
another name鶴山城(カクザン)
selected100名城 67
location岡山県津山市山下

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Data




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Record

攻城日時

2020年1月13日

攻城手段

JR因美線 徒歩

攻城記録

 岡山県の100名城、三大平山城の一つ、津山城。森蘭丸の弟、森忠政の城で、森家4代、松平家9代の居城であった。

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 関ヶ原の戦いの論功行賞で、宇喜多秀家の岡山55万石(備前、美作、備中)は、小早川秀秋の治めるところに。しかし1602年、小早川秀秋が急死。代わって、森忠政が信濃の海津城(後の松代城)から美作国18万石に転封。森忠政は、信長家臣だった森可成(よしなり)の6男。森忠政が入封したことで、津山藩が誕生した。ちなみに、6男の忠政が森氏を継いでいたのは、森蘭丸を始め兄たちが本能寺や小牧長久手で次々に戦死していたため。森忠政は、1604年に城の大改修(ほぼ築城)を開始、13年後の1616年完成。森忠政ら森氏4代が治める。時代は流れ1697年、後継ぎに恵まれなかった森家は断絶。代わって越前松平家が入封。9代の統治が続き、そして明治に至る。残念ながら、明治6年廃城令で全ての建築物が取り壊しに。現在は復元した備中櫓と、石垣群が残る。
 津山城は、古くは応仁の乱前に遡る。室町幕府6代将軍足利義教が、赤松満祐によって暗殺(嘉吉の乱)。これに対して1441年山名宗全(持豊)、教之、教清が赤松満祐を討伐する。その論功行賞で、山名氏は新たに備前、美作、播磨の守護職を与えられ、再び全盛期に。この時、美作に赴任した山名教清が岩谷城に。そして同族の山名忠政に鶴山城を築かせたのが、津山城の始まり。そして1467年、応仁の乱が起こる。山名教清の子が上洛した隙をつき、赤松政則が教清の美作の岩谷城を攻め落とし、山名に変わって再び備前、美作、播磨の守護職になる。それに伴い、鶴山城は廃城に。

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 さて、津山城。姫路城、伊予松山城は既に攻城済みなので、今回でめでたく三大平山城制覇となる。前日、18時16分松江発特急スーパーまつかぜに乗り鳥取へ。因美線に乗り換え、智頭経由で22時16分津山に入る。松江からジャスト4時間。まっすぐ行けない分、津山はとても遠かった。智頭からのワンマン電車には自分の他に一人も客はいなかった。

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 さて、翌日。駅から津山城までは徒歩15分1.5km。ホテルからは朝日を浴びた津山城が見える。8時10分ホテル発。北側の堤防の一部だけを白い土塀と石垣で仕立て上げ、奥に見える津山城と調和させられた吉井川を渡る。写真を撮りながらゆっくり歩く。8時35分着。鶴山公演は大人300円。本来8時40分からだが、受付窓にはおばちゃんの顔があり少し早くに開いていた。おばちゃんから、いくつか情報を得る。現存の石段は表中門など二つ程度しかなく、他は明治に改修され付けられたものであるということ。備中櫓のある表側が有名だが、裏側も実は石垣が入り組んでいて見所が多いこと、など。備中櫓は9時に開くということで、石垣群を眺めつつゆっくり歩を進める。受付横の冠木門をくぐり、石段を登る。表中門へ。この津山城、その石垣がとても有名。表中門前の石垣の高さは小学校の屋上レベル、松江城の高石垣くらいあるだろうか。それでいて立体迷路のように複雑。巨石文化の遺構に立っているようだ。折れ曲がった石垣を見ながら登り、本丸エリアへ。本丸エリアの角には、備中櫓が立つ。備中櫓は、60を超える津山城内の櫓の中でも突出した大きさでシンボル的な櫓であった。復元され、今日も津山城下にその威厳を見せつけている。しかし他の隅櫓もそうなのだが、外側から見る高石垣の上に君臨する権威に満ちた姿とは異なり、本丸側から見るその姿はこじんまりとした二階櫓。さて、その備中櫓の中へ。入口でスタンプを押印。中はそれほど見所が多いわけではない。ビデオ説明をちょっと見て、あっさり見学し、外に出る。ビデオはわかりやすかった。当時20あれば多いと言われていた建造物が、津山城には100数十もあったそうだ。何故これほどの建造物があり、石垣も曲がりくねらせ複雑にしたのか?もちろん防御の意味もあるが、土豪に威圧感、権威を見せつけるための空間構成の意味合いの方が強い、と説明していた。なるほど、と合点がいく。当時の大名は、異動してきたサラリーマンみたいなものだから、下から舐められて突き上げを喰らわないように、自らを大きく見せる必要があったのだろう。今も昔も人の社会はそう変わらない。ここで時刻は9時20分前。今回の攻城時間は50分程度しか取れず、駆け足で天守台へ。天守台にはハート石あり。眺望もなかなかよい。南に吉井川、東に宮川があり、朝日に反射して煌めいている。さて、天守台を降り、本丸北側から、搦手の方へ。受付のおばちゃんが言っていたその石垣群だが、確かに見事。お陰で、急いでいるのに写真撮影で急げないというジレンマ。ここで9時30分。時間切れ。ほぼ走って駅へ。信号待ちも長く、津山城搦手から小走りで15分、ギリギリセーフ。1月なのに暑い。かなりの駆け足攻城だったので、漏れはいくつかあり、また再訪したい。 9時47分津山発。津山では交通系ICカードは使えないので注意。

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