宇陀松山城

Basic information
name宇陀松山城
another name秋山城 神楽岡城
selected続100名城 166
location奈良県宇陀市大宇陀石清水、春日、拾生

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Data




Map




Record

攻城日時

2020年2月3日

攻城手段

近鉄大阪線→バス(奈良交通)→徒歩

攻城記録

 奈良県の続100名城、宇陀松山城。福島正則の弟、福島高晴の居城。南北朝時代に秋山氏が築いたことに始まる。豊臣政権下では、加藤光泰などの居城となり、大改修を繰り返し近世城廓となる。

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 豊臣秀長の大和郡山城、脇坂安治の高取城とともに、大和支配の要となっていた城である。関ヶ原の戦い後は、福島高晴が入城。しかし大坂夏の陣で、福島高晴は内通したとして改易され、宇陀松山城は小堀遠州などによって破却され、廃城となった。

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 さて、宇陀松山城。本日3城予定の最初、1城目。7時5分、ビジネスホテル河合を出る。大和八木駅から近鉄線で7時22分発、榛原(はいばら)駅7時37分着。榛原駅前から、通学の高校生の集団とともに奈良交通で7時55分出発、大宇陀8時15分着。奈良交通はSuica可。440円。終点手前に大宇陀高校があり、今日は月曜日のため学生が多く、高校前で一気に客は降りた。

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 大宇陀着。道の駅宇陀路大宇陀の前に停まる。そこから150mほど歩いて千軒舎へ。千軒舎は9時から。まだ開いていないので、そのまま宇陀松山城へ出発。宇陀松山は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、城下町として栄えた町人町の面影を今もよく残している。ちなみに奈良には保存地区が三つあり、昨晩の宿泊地大和八木でラーメンを食べるために歩いた道中の今井町もその一つ。今井町は、織田信長と戦った町で、大和の金は今井に七分と言われるほどに反映したところ。脱線したが、その重要伝統的建造物群保存地区を流し見ながら、1kmほど直進する。高取町のように道の両サイドが石造りの側溝で水が流れている。どの家も昔の景観を残しており、歩いていて目が楽しい。ほどなく道を右に折れると春日神社がある。ここは春日門という宇陀松山城の門の一つ。苔生した大きめの石垣が、城門であった名残を感じさせてくれる。神社の境内に入る形で、宇陀松山城はこちらですの看板があり、それに従って進む。ここからが多少の登り坂。2年前、平成30年の台風被害の倒木が散乱しており、足元も少しぬかるんでいる。しかし道は整備されており歩きにくくはない。山道をしばらく登る。車の駐車場スペースだろうか、一度開けた場所に出て、さらに登る。そしてしばらく歩く。すると堀切が出現。その周辺には土塁などたくさんあり、いよいよ本丸に近い。土塁は下部分が石垣になっている。元々そうなのか、修繕して上に土を盛ったのか定かではないが、奈良の山城には石垣があるというイメージのままだった。本丸到着。本丸からは四方を遥か遠くまで見渡せる。水墨画の濃淡のように14,5層に折り重なり続く山脈がとてもきれいだ。時間はここで9時。登っている時間は20分間くらいか、そう長くはなかった。ここから引き返す。バス時間が30分後のため急ぐ。10分で春日神社まで戻り、そこから10分で千軒舎到着。本丸から千軒舎までは、とっても急いで20分間というところか。スタンプを押し、分厚い冊子のパンフを頂き、バス停のある道の駅へ。9時33分、奈良交通バスに乗り、榛原駅へ戻る。宇陀松山城は規模は小さかったが、歴史的伝統的建造物群保存地区と合わせて、一度は訪れる価値あり。おもしろかった。

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