Photo
●
Data
- 築城年: 1558〜1570年(永禄年間)
- 廃城年: 1590年(天正18年)
- 城郭タイプ: 山城
- 天守タイプ: −
- 天守の縄張り: −
- 築城主: 北条氏康
- 主な城主: 松田氏
- 関係する武将: 北条氏康、氏政、豊臣秀次
- 主な遺構: 曲輪、堀(畝堀、障子堀)、土塁
- 主な石垣のタイプ: −
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
テレビや本で見るにつけ、一度は訪れてみたいと常々思っていた、静岡県三島の100名城、山中城。
▼read more!朝6時に環八ファミマ集合。東名→小田原厚木道路、という予定が、小田原出口で出ず東名を直進。仕方なく大井松田で降り、255号を南下、そしてようやく小田原厚木道路に乗り、山中城へ。複雑で何度行ってもよくわからないのだが、小田原厚木道路→箱根新道→1号線、というルートでようやく山中城に着く。地図的には芦ノ湖の南の方に位置する。朝方の予想気温は20度だったが、箱根エリアに入るとやはり寒い。雨具大活躍。雨具は本当に便利。山中城に着き、最初の印象は、その行き届いた整備。堀や土塁はもちろんだが、歩道もとてもきれいに整備されている。普通のハイキング客でも十二分に満足できる環境。
▲close!さて、山中城。小田原城の支城として北条氏康により築城された山城である。1590年豊臣秀吉による小田原征伐(北条征伐)の際に、豊臣秀次が率いる7万の大軍によりわずか半日で落ちたことは有名。遺構がきれいに保全されており、「畝堀」や「障子堀」がとても有名。実物を見て、その防御能力の高さを実感。石垣が一切ない山城なのだが、石垣など要らないくらいの、堀と土塁の見事さ。現在は保全のために芝を植えているが、当時は土がむき出しの空堀だったそうだ。関東ローム土のため、滑りやすく、一度堀に降りたら登れないのだろう。そして畝や障子の形状から、堀の中での移動もできず、アリジゴクに落ち込んだ蟻さながら、降りたら死を覚悟する他ない。芝できれいに保全されているが、当時を想像するとその恐ろしさ、城としての頑強さに身がすくむ思いだ。
▼read more!
曲輪を眺める度に、石なんて不要、と改めて強く思う。本丸や北の丸、西の丸、西の櫓、元櫓など、それぞれのエリアの間に畝堀や障子堀が敷き詰められている様は、本当に圧巻。
パンフを見ると『障子堀ワッフル』というお菓子と一緒に障子堀で写真を撮るのが流行っているとのこと。その障子堀ワッフル。改めて見ても、本当に普通のワッフル。障子堀ワッフルと呼ばれていることなど本人は全く考えられないだろうくらいの、ごく普通のワッフル。せめて、ワッフルの縦ラインくらいはクランクにするなど、もう少し障子堀にお菓子を寄せる工夫が必要。ということで、購入はせず。写真も撮らず。
today's ramen
impressions
石垣山城ページを参照。