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Data
- 築城年: 1505年(永正2年)※一説には1496年(明応5年)
- 廃城年: 1871年(明治4年)
- 城郭タイプ: 平城(半輪郭式)
- 天守タイプ:
- 築城主: 牧野古白
- 主な城主: 酒井氏、池田氏、松平(大河内)氏
- 関係する武将:
- 主な遺構: 石垣、堀、本丸跡、二の丸、三の丸、土塁
- 主な石垣のタイプ:
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
愛知県の続100名城、吉田城。戦国時代に戦乱の最前線基地として生まれ、 やがて東海道の要となった吉田城。家康が攻略し、酒井忠次を城主に置き、以降転封を繰り返す。最終的には松平氏が治めた。
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吉田城の歴史は、永正2年 (1505) 牧野古白により今橋城が築かれたことに始まる。戦国時代、東三河の要であった今橋城は、激しい攻防が繰り返されるなか、名称も吉田城と改められた。永禄7年(1564)には松平 (徳川) 家康が吉田城を攻略し、城主に酒井忠次を置いた。 天正18年(1590) 家康の関東移封により池田輝政が15万2千石で入城し城地の拡張や城下町の整備を行ったが、慶長5年(1600) 関ヶ原合戦の後姫路に所替えとなった。 江戸時代には東海道の要衝として譜代大名が在城したが、 財政的要因のため完全に整備されないまま明治を迎える。
吉田城の城主は牧野古白に始まり、その後、 戦国時代を経て、徳川家康の三河統一による酒井忠次配置、家康の関東移封による池田輝政の入城と続く。姫路城築城でも有名な輝政によって現在みられる吉田城の基礎が造られた。 江戸幕府成立後は9家22代の譜代大名が支配したが、前期は転封が激しく、中期以降 松平 (大河内) 氏が城主となる。以上豊橋市美術館HPより引用
さて、吉田城。東京から6時30分発こだま701号に乗り8時35分豊橋着。豊橋は初めて降りた。駅構内のお店や広告を見る限りは、手持ち花火、ちくわ、筆。このあたりが名産の様子。とりあえず朝から開いているヤマサちくわ店でプロテイン竹輪200円を購入。解凍まで2時間、丁度吉田城の攻城後に食べられそうだ。
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豊橋駅を出る。豊橋は市電が走っている。ビルがあり大きな街だが、行き交う人は少ない。今は木曜平日の9時前。通勤通学時間帯が終わってるからだろうか。それにしても人も車の往来も少ない。さて、鉄櫓でスタンプを押すことができるのは10時。今は9時前。マンホールカードがいくつかあるのでそれを集めながら向かうことに。そのうちの一つ豊橋市公会堂は大正レトロな外観で趣きある建物だった。さて、そうこうしながら吉田城へ。
豊橋公園に入ると入口に巨石の石垣がある。ここが三の丸門跡らしい。戦時中の歩兵師団の駐屯地でもあるので、兵隊の見張り詰所など当時の面影がいくつかある。公園に入って奥の方に鉄櫓がある。櫓の裏には雄大な大きな川が流れていて、見晴らしがとてもいい。じっくり眺めていたくなるが、時間がないので櫓に入る。スタンプを押し、ざっと櫓内を回る。入館は無料。展示物はそう大したことはない。最上階も廻縁があるわけでもなく、格子のついた窓から川を望むのみ。
さて時間は10時8分。そろそろ出ないと間に合わない。徒歩で1.3キロ、時間にして20分。急ぎ足で向かう。
10時39分豊橋発こだま709号 (名古屋行)に乗り11時6分名古屋着。11時50分名鉄名古屋から空港線準急に乗り12時5分中部国際空港駅着。セントレアは3年ぶり3回目。目に入るものあちこちがなつかしい。仕事へ。
today's ramen
impressions
中部国際空港に到着しそのまま第1ターミナル4階へ。セントレアは空港なのだが、名古屋名物が一か所に勢ぞろいしており最早グルメパークの様相を呈している。上司と合流し、矢場とんへ。毎年ご馳走になり、ありがとうございます。矢場とんは何回かきているが、味噌だれのとんかつはもちろんだが、アップルパイが印象的。なぜにアップルパイが必ず付帯?。
今回は矢場とん三昧を注文。ひれとロース、そして後からソースをかけてくれる鉄板のとんかつ、サラダ、豚汁、そして女将のアップルパイ。期待に違わずとてもおいしかったです。ごちそうさまでした。