吉野ヶ里

Basic information
name吉野ヶ里
another name
selected100名城 88
location佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手

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Data




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Record

攻城日時

2020年3月8日

攻城手段

西鉄バス 徒歩

攻城記録

 佐賀県の100名城、吉野ヶ里。日本最大の環濠集落。今から1800年前の弥生時代。吉野ヶ里の集落は、佐賀平野の東側にあり、気候も温暖で稲作もできる恵まれた環境に作られた集落。弥生時代は600年間。吉野ヶ里はその弥生時代の代表的な集落。邪馬台国を彷彿とさせるような貴重な集落である。

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 集落を囲んだ環壕からいろいろな遺物が見つかり、国宝にあたる特別史跡に指定され、国営の歴史公園として復元整備された。弥生時代の遺跡を保護し、盛り土をし、その上に建物を復元した。復元時期は、もっとも集落が充実する3世紀頃を復元したそうだ。北に墳丘墓と祭り事を行う重要な北内郭。南には生活スペースの南内郭。その間には中のムラ。かなり広大。

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 さて、吉野ヶ里。久留米駅前から西鉄バスで三田川まで。40分、460円。予定では電車で行こうと思っていたが、丁度いいバスが来たので、乗り換えもないし楽かな、、ということでバスで行くことに。途中、ツチカメオウボマエ、目達腹(メタバル)、なんていういかにも古めかしい名前のバス停を過ぎ、12時50分三田川バス停着。そこから1.5km、徒歩20分程度で吉野ヶ里公園着。途中は田園風景が広がり早稲が風になびいている。遠く田園の奥に、吉野ヶ里の集落の屋根が見える。菜の花も咲いていて、暖かくのどか。昨日の島原熊本は本降りだったので幸運。バス停から吉野ヶ里歴史公園まではそこそこ歩く。

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 さて、吉野ヶ里歴史公園に到着。東口入口から入場。入口でスタンプ押印。珍しい点字パンフもあったので頂く。一枚のパンフが、点字に起こすとなると7,8枚になり分厚い。さて、入口エリアから、南内郭エリアへ。早速、環壕と乱杭が出迎えてくれた。土を掘りその土で土塁を作ることが、環壕。城とは、土が成ると書く。そう、城の起源がまさに環壕集落なのである。規模こそ違うが、武士の時代も弥生時代も、掘って盛って侵入を防ごうとすることに変わりはない。今も昔も争ったり守ったり、大なり小なり格差が存在して、服を着て食べて寝て、人の営みというものは変わらないな、とぼんやりと思う。さて、南内郭で生活スペースを見学。復元住居がたくさんある。中のムラは集会場所?だったか。北内郭では甕棺墓や墳丘墓、祭り事を行う高床式の集会所や、身分の高い人の高床式住居などがあり、それらを見学。書くとあっさりだが、なんせ広いものだから、時間がかかる。
 足裏のスネと尻の痛さが限界を迎え、びっこをひきながら歩いていると園内バス発見。14時25分、園内バスに乗る。14時40分、環壕入口まで戻る。助かった。吉野ヶ里は、城の原型とは言えども時代も異なりちょっと異質だし、ある意味、肩の力が抜けて気楽に見ることができるかも、と思っていたのは間違いではなかったが、この疲労の身体にはなにぶん広すぎた。昭和記念公園くらいはあるかも。結局北内郭から先は見送り、今回は引き返す。15時、吉野ヶ里公園駅へ向け、重たい足を引きずり出発。本日はこれで3城。そしてこれからもう1城。がんばろう。

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