湯築城

Basic information
name湯築城
another name湯月城
selected100名城 80
location愛媛県松山市道後公園

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Data




Map




Record

攻城日時

2019年12月20日

攻城手段

瀬戸内バス

攻城記録

 愛媛の100名城5つのうち1つ、湯築城。建武年間に河野通盛が築城。河野氏は、秀吉の四国平定の際に小早川隆景に攻められ、敗れ、廃城となった。

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 湯築城は伊予の豪族河野氏が築いた城。河野氏は、源平の合戦では源氏につき戦功を挙げ、源頼朝と結びつき鎌倉幕府の有力御家人となる。その後、承久の乱で没落、元寇で復活など、浮沈を繰り返しつつ勢力を伸ばした。河野通盛の南北朝時代に全盛期となり、建武年間(1334年〜1338年)に湯築城を築く。約250年間、河野氏が治めた。1535年、河野通直が湯築城の周りに二重の堀を作る。河野通直は、父は来島村上氏の村上通康。1567年に父村上通康が亡くなると、母が河野氏と再婚。河野氏に後継ぎがいなかったため、河野通直が養子となり家督を継いだ。その河野通直が築いた二重堀。現在はこの外堀と内堀が残るのみだが、丘陵の頂部、北部、東部に、それぞれ「本壇」「杉の壇」「中壇」の曲輪を備えた大きな平山城であった。河野氏は、近隣との争いや内紛を繰り返し、秀吉の四国平定で小早川隆景に攻められ、敗れ、湯築城はやがて廃城となった。四国平定で攻められた際には、1か月間籠城。小早川隆景に降伏。河野通直は有馬温泉→高野山で蟄居。その後は小早川隆景に旧領である竹原城に移ったという。湯築城は、1587年に福島正則に入封したが、国分山城を本拠としたため湯築城は使われなくなった、らしい。(以上公式HP等から引用)
 ちなみに、時宗の開祖で有名な一遍上人は、鎌倉時代の武将、河野通信の次男。父の死の際にうな垂れて泣く一遍上人の絵がある。

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 さて、本日3城目の湯築城。今治を出て、15時35分正岡子規記念館・公園前でバスを降りる。目の前が湯築城公園。後ろには道後温泉が見える。そもそも湯が名につく湯築城。河野通直らは温泉の横に城を築いていたわけで、日常的に道後温泉の湯に浸かっていたのであろう。戦時には城郭内で湯治もでき、なんと贅沢なことだろう。その河野氏の湯築城。

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 まずは展望台へ。途中、杉の壇、本壇と曲輪を通り、展望台へ。展望台からは松山市街地を360度見渡すことができる。西の方角にある山の上には、ちょこんと伊予松山城が見える。夕暮れ前できれいだった。展望台から下に降り、歴史資料館へ。ここがスタンプ設置場所。しかし、強く押しすぎたスタンプはインクがこんもり盛り上がり、川越城に引けを取らないレベルの大失敗に終わった。しかしこれも愛嬌と割り切る。資料館に待機しているガイドのおじいさんたちが温かく親切だった。おじいさん方が折った、折り紙の兜を一つ頂いた。湯築城公園は歴史的遺構としてきちんと整備保存されている印象。上級と下級武士のエリアがはっきり分かれており、それも観光しやすいように整備されている。下級武士のエリアには武家屋敷が二つ復元されている。上級エリアには、巨大な天然の岩肌がむき出しになっている箇所があり、紅葉や内堀の水とよく調和し、まるで景勝地のよう。小石川後楽園などを彷彿とさせる。当時の河野氏も岩壁と紅葉を愛でて、季節を感じていたのかもしれない。水が跳ねた音の方を見やると、小さな青い鳥が小魚を加えて水辺の枝にとまっている。まるで上高地にでもいるかと錯覚しそうなシーンであった。
 17時を過ぎ、夕暮れから夜へと一気に進む。暗く寒くなってきた。そこで、湯築城にほど近い道後温泉本館で一風呂浴びて帰ることにする。道後温泉本館は改装中で、風呂のみの利用が可。令和6年まで工事予定、2階の休憩所などは利用できないそうだ。風呂はシンプルな印象、決して豪華ではない。夏目漱石も浸かっていたのだと実感できるほどの古さも感じない。その普通な感じが心地良く、よかった。湯築城の入口にあった不思議な湯釜(700年代作、1500年代に河野通直が字を刻ませる)だが、説明板を読んでもよくわからなかったその役割を、ここで初めて知ることができた。湯釜は温泉の浴槽の中にあり、湯釜からは熱い湯が流れる。いわゆるライオンの口的な役目。温泉に長く浸かり十分に温まり、夕飯へ。その後、道後温泉駅から市電に乗り、松山駅前へ。本日の3城攻城をつつがなく終えることができた。充実の1日であった。

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today's ramen

『和風郷土料理かどや 道後店』 (市電 道後温泉駅) 鯛めし、ジャコ天、道後ビール 2980円



impressions

 道後温泉本館の別館にほど近い、鯛めしの看板が目を引く店。翌日こそ鯛めしやジャコ天の本場である宇和島のため悩んだが、宇和島で食いっぱぐれることを懸念し、松山で入店しておくことに。鯛めしと、ジャコ天、道後地ビールを注文。鯛めしうまし。まずだし汁と卵をよくかき混ぜる。次に鯛の刺身と海藻とシソの葉をだし汁に投入。ごはんにかける。まぜる。これがうまくないはずがない。
 その昔、海賊たちが火の使えない船の上で酒盛りをする時に、酒を飲んでいたお碗にメシを盛り、生の鯛の身を乗せてそのまま食べたのが始まりだそうな。宇和島の郷土料理。先ほども述べたが、松山では、ない。テーマにしているラーメンでも、ない。でも、うまさの前に全てどうでもよくなる。ご飯がよく進み、おかわり。ほのかな苦味のあるジャコ天もビールによく合う。ごちそうさまでした。



店の外観 鯛めし じゃこ天 道後ビール
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